君はそうやって幸せになれる子だよ つり球 はりきってスタートライン 2013年04月29日 庭に咲く花たちの世話を済ませ、ユキとハルは家に戻った。洗面所で汚れた手を洗い、居間に向かう。 居間ではソファに座っていたケイトが、やってきた二人に「おつかれさま」と柔らかく笑った。「ケイト! お水あげて、お花さんたち、みんな元気ー!」 大きく広げた手をぶんぶん振って、身体いっぱいで喜びを表現するハルに、ケイトは「ありがとう」と目を細める。すっかり自分の子供を見ているような優しさが込められている眼差しに、ハルのすぐ後ろにいたユキも小さく笑った。江ノ島に来る前はケイトと二人暮らしが当たり前だったのに、今ではもうハルが真田家にすっかりとけ込んでしまっている。「あっ、カレーの……匂いーっ!」 鼻をひくひくさせて、ハルは突然台所へと駆け出す。 ガス台の前を陣取っているアキラが、火にかけた鍋をお玉でかき混ぜていた。中にいっぱいのしらすカレーがアキラの手によって、美味しく煮込まれている。「アキラー!」 ハルがアキラの隣で急停止した。わくわくした表情で鍋をのぞくハルを、アキラがおかしそうに見ている。 なんか、不思議な感じだな。これも前までは考えられなかった光景を眺めつつ、ユキはケイトの隣へ座った。 ティーカップを持っていたケイトは「ユキも飲んでみる? すごーく、おいしいわよ」とユキに勧めた。うんと頷くユキに、ケイトは優雅な仕草で伏せてあったティーカップを手に取り、ポットの中身を注いだ。「……甘い。これ、チャイ?」 ケイトから受け取ったティーカップに口をつけたユキは目を丸くした。見た目からして紅茶だとわかっていたが、思った以上に濃厚で甘い味が口に広がっていく。 そう、とケイトが楽しそうにティーカップの中身を軽く揺らしてさざ波を立てた。「アキラさんが入れてくれたのよ。カレーにはこれが一番だって」「へぇ……」「お夕飯が終わったら、作り方教えてもらおうかしら」「うん、俺もまた飲みたい」 美味しそうにチャイを飲むユキを、ケイトはさっきハルに向けたような優しい眼差しで見ていた。そしてそのまま視線を台所へ向ける。 アキラは江ノ島での任務を終えた後、別の任務へ旅立っていた。しかしこうして「休みぐらい自分の好きなように過ごしたい」と江ノ島によく戻ってくる。自分の星へ戻ったハルがまた江ノ島に来てからはその頻度が高くなっていた。 ハルもハルで、アキラに会うのが待ち遠しいらしい。顔を合わせればぴったりアキラにくっついている時間が長くなっていた。そして今もハルは、アキラの隣でカレーの出来上がりを今か今かと待っている。「ハル。お前、しらすカレーはないんじゃなかったか?」 アキラがお玉で鍋をかき混ぜる手はそのままに、意地悪く口元をあげた。 ハルが頬を膨らませて反論する。「言ってないよ~。しらすカレー、ぼくだーいすきっ!!」「嘘をつくな。ユキから聞いたぞ。お前、俺の店見てしらすカレーは『ないな』って言ったそうじゃないか。切り捨て御免する奴にはカレーあげられないな」「ごめんごめんっ! 謝るからさぁ~、アキラのカレーちょうだいってば~」 さっきまでのむくれっ面はどこへやら。ハルは軽く手のひらを合わせてにこやかに謝る。あっさり前言撤回するハルに、アキラは呆れたように肩を竦め「調子いいヤツだな」と苦笑した。「味見! 味見すーるぅー!!」 シャツの袖を引っ張るハルに、アキラは「言ったからには味見だろうがなんだろうが、残すなよ」とガス台の脇に置かれた小皿を取った。お玉からカレーを掬い、小皿に入れる。 ほれ、と渡されたアキラ手作りのカレーに「わーい!」とハルが歓声を上げた。「おいしーい!!」「……そうか」 あっと言う間に小皿のカレーを平らげたハルに、アキラはどこかほっとしたようにふわふわした金色の髪を撫でる。 今までどこにいたのか、とことこと居間に入ってきたタピオカが、ソファに上がった。ケイトをハルと挟むように場を落ち着け「ぐぁ」と鳴く。ユキにはそれが、アキラとハルを見て楽しそうだな、と言っているように聞こえた。「すっかり仲良しね」 ケイトが笑った。うん、とユキもはにかんで頷く。ケイトが笑うとユキもうれしい。ハルとアキラも楽しそうで、もっと嬉しい。 ここに夏樹もいたらな、とユキは遠くアメリカに渡った親友を思う。そうしたら俺、もっともっと楽しくって嬉しくなるのにな。すると少しだけ胸がちくりと痛くなった。 これも一年前まで知らなかった痛みだ。それまでは、ばあちゃんがいればそれでよかったと思っていたのに。今じゃみんなとずっと一緒に、楽しい時間を過ごしていたい。簡単に叶わなくなってしまったけど、やっぱり心からそう思ってしまう。 そんなユキの願いを呼んでいたかのようにデニムパンツのポケットに入れていたスマフォが震えた。驚いて取り出してみるとビデオチャットの着信が入っている。着信者の名前は――夏樹だ。 慌ててユキは画面をタップして、着信をつなげた。画面に現れた夏樹の顔を見て、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。 ユキは画面ごしに夏樹と言葉を交わし、立ち上がった。台所のハルとアキラの元へ足早に近づき、みんなで一斉にユキのスマフォをのぞき込む。アメリカで、夏樹は大物のブラックバスを釣り上げたらしく「夏樹、すっごーい!」とハルが嬉しそうにその場で飛び跳ねた。 自分のことのように喜ぶ姿を見て、ユキとアキラがこっそり目を合わせて笑う。 遠く離れても繋がってる。通話手段が発達している現代、それを叶えるのはとても容易い。だけど、やっぱりユキは直に夏樹と会いたかった。会って、話をして、一緒に釣りをしたい。 そうだいつかアメリカに行ってみようか。ふと思いついたことがユキには素敵な名案だと感じた。だって夏樹にも会えるし、俺もブラックバス釣ってみたい! 友達に囲まれ、はしゃぎ大きな声で笑うユキに、ケイトは誇らしい気持ちで見つめた。『胸を張って、大きな声で』 そうすれば幸せになれるのよ。 フランス語で歌うようにケイトは言葉を紡ぐ。楽しそうに弾む響きに、そうだな、と言わんばかりにタピオカが鳴いた。 [0回]PR