理由などないよ 1 ペルソナ4 Memories of the world 2013年05月02日 長いので折り畳み 嬉しかったんだ。俺を見てくれて。 遠くから聞こえてくる雨の降る音が、陽介を浅い眠りから目覚めさせる。その音は、春の日のあの人が死んだ朝を連想させた。 瞼を開けた陽介は、ぼんやりとしたまま布団の中でじっとしていた。起きなきゃいけないけれど、なかなか踏ん切りがつかない。 起きたばかりの身体はもう疲れたように重く、また眠ってしまいたくなる。けど、もうそれは駄目なんだ。 長い溜め息を吐いたあと、陽介は自分の気持ちを振り払うように起き上がる。そして窓の前に立ち、閉めたままのカーテンを勢いよく開けた。 外は雨が降っている。昨日見た天気予報では、終日天気は崩れたままらしい。 空に立ち篭める曇天を見上げ、陽介は掴んだままのカーテンを握りしめた。『親は親。キミはキミでしょ?』 思い出す、好きだった人の言葉。 あの人の言葉で、俺は救われたようなものだったけど。 だけど、俺は。「……」 陽介は空に向けていた視線を、机に移した。そして突然置いてあったペン立てを逆さまにし、中身を机の上にぶちまける。 その中から一つ、小さな鍵を拾い上げた。じっと摘んだ鍵を見つめ、一番上の引き出しについている鍵穴へ差し込む。 鍵を回し引き出しを開ける。探すまでもなく、目的の物はすぐに見つかった。 それを見た陽介の眼が、辛そうにぎゅっと細まる。「……今日も来なかったね、花村の奴」 下校時間を迎え帰る支度を整えていた千枝は、心配そうに後ろを振り向いた。斜め後ろにある席の主は、今日も学校に来なかった。 陽介は昨日今日と何の理由もなく、無断で休んでいる。最初はサボりかと思う程度だったが、二日も続いて流石に心配になってきていた。「体調でも崩したのかな?」 不安そうな雪子に「わかんない」と千枝は首を振る。「メール一応送ってみたけど返事来ないし。携帯も出てこないし……。ったく一言ぐらい言えっつーの」 こっちは心配しているのに。爪先で床をいら立ちを込めながら蹴り、千枝は「ねぇ、橿宮くん、花村がどうして休んでるのか知ってる?」と日向に尋ねた。 席について帰る準備をしていた日向は、顔を上げ「俺も知らない」と首を振る。その答えに千枝はげんなりと肩を落とした。「そっか橿宮くんも知らないのか……。大丈夫かな」 不安を濃くした千枝の視線につられたように、日向は後ろを振り向く。そして開いたままの陽介の席に視線を止めたまま言った。「様子、見に行ってみるよ」 下校途中で日向はジュネスへ向かった。テレビの中へ行く時と同じように、入るなりすぐのエレベータに乗る。 屋上のフードコートに着き、辺りを見回したがどこにも――いつもの集合場所にも、陽介の姿はない。どうやらここには来ていないようだった。 小さく息を吐き、改めて周囲を見渡す。今度はすぐに見つけられた。屋根のある席に座り、空をぼんやり見上げている。仕事中ではないのか、着ぐるみもエプロンもしていない格好だった。「――クマ」 雨を避けながら、日向はクマの元へ向かった。近づいてくる日向に、はっと顔を上げたクマが「センセイ?」と眼を丸くする。「学校終ったクマ?」「うん」「……ヨースケ、来た?」 おずおずと控え目に尋ねるクマに、日向は「来なかった」と瞼を伏せ首を振った。「そうクマか……」 日向の言葉にクマは俯いた。座っている長椅子の縁に手を突き「朝いつもの時間に家を出たってママさんから聞いたからもしかしてって思ったけども、やっぱ来てないクマか」と意気消沈する。「家は出たんだ」 繰り返し確認し、日向は指を顎に当て考え込む。クマの様子を見た後、陽介の家に出向こうかと思っていたが、無駄足になりそうだ。「……」 じっと不安そうに見つめるクマに気づいて、日向は笑ってみせた。隣に座り「どうだった?」と柔らかな口調で問いかける。「え……、あ、うん。パパさんもママさんも怒らなかったクマ。センセイがちゃんと連絡取ってくれたお陰。それどころか、クマのこと心配してくれたクマ。何だかくすぐったかったクマよ」 その時のことを思い出したのか、クマは頬を赤くして照れた。「そっか。良かったな」 笑顔を浮かべるクマに、日向もほっとする。 陽介に詰問され、花村家を飛び出したクマは、結局二日ほど堂島家に泊まった。連絡自体は日向が直接陽介の両親に伝え、きちんと承諾を得ている。理由は場当たりで考えたものだったが、なんとかうまく誤魔化せたようだった。 堂島家にいる間クマはずっと沈みがちだったが、菜々子と一緒にいたことでそれも和らいだらしい。今のクマは日向の元に駆け込んできた時よりも、随分顔色が良くなっている。「クマはもう大丈夫クマよ」 顔を上げたクマが日向を見て言った。「センセイやナナチャンが慰めてくれたし、ヨースケのママさんパパさんもクマのこと、心配してくれたから。もうメソメソしない」「うん」「でも、ヨースケはきっと辛いままだと思う」 さっきまでの笑顔を曇らせ、クマが俯いた。日向がクマの方を向くと、空色の瞳が不安で翳っているように見えた。「ねえセンセイ。ヨースケ、大丈夫クマよね?」「……」「クマ思うクマ。センセイならきっと何とかしてくれるって」 縋るような視線を向けるクマに、日向は寂しそうに眼を伏せた。自嘲めいた笑みを口元に浮かべ「俺はそんなにすごい人間じゃないよ」と呟く。「でも」 言い返そうとするクマの頭にぽんと手を置き「分かってる」と遮るように日向は言った。「何とかしてみる。ちゃんと約束は果たさなきゃいけないから」 父親の転勤じゃなかったら、誰がこんなところに来るもんか。 稲羽に来て最初の頃は、ずっとそう思っていた。 田舎暮しも嫌だったし。何より自分を取り巻く環境に訳もなく苛立っていた。 商店街はジュネスは店を潰すとうるさい。周りも、誰も彼も、みんな自分をジュネスの店長の息子、としか見ていない。 ウザいし面倒くさかった。 全てをどこか見下していた。 だけど、あの人は言ってくれた。『親は親。キミはキミでしょ?』 腐って不貞腐れていた自分に、あの人は立場とか飛び越えてそう言ってくれた。あの人自身も商店街のことで大変だろうに。『店のことなんかで、君がそんな顔してたらもったいないよ』 だけど、あの人はそんなことを感じさせない笑顔を向けてくれて話し掛けてくれた。『ね、プリクラ撮ろっか。出会えた記念に』 そう言って、容易く自分の手を掴んで、引いてくれた。 あの時半分無理矢理で、取ったプリクラは仏頂面をしていたけど。 本当は、嬉しかったんだ。 自分を見てくれる人に出会えて。 帰り道の途中、鮫川の河川敷を歩いていた日向は、東屋の方へ眼を向け足を止めた。ジュネスを出てから、ずっと何度も同じところに掛けていた携帯電話を当てていた耳から離す。 フリップを閉じ、携帯電話を制服のポケットに仕舞った。脇に挟んでいた鞄を持ち直し、ゆっくりとした足取りで東屋に近づく。一歩踏み出すごとに、雨に濡れた地面が音を立てる。 傘を閉じ、屋根の下に入る。そしてこちらに背を向けて、長椅子の端に座っている陽介の背中を見つめた。足音で誰かが近づいていることに気づいているだろうに、振り向きもしない。 日向は黙って、陽介の隣に座った。しばらく無言で降り続く雨を見つめていたが、不意に小さく息を吐いて黙ったままの背中に、声を掛ける。「……里中と天城が心配してた。二日も無断で休んでるから」「……」「それからクマのことは怒らないでほしい。クマは俺が巻き込んだようなものだから。本当は、花村のことすごく心配している」「……うん」 陽介は、日向を見ないまま小さく頷いた。 そしてまた、沈黙が流れる。聞こえるのは、地面を打つ、雨の音だけ。「あの、さ」 ゆっくりと口火を切る陽介を、日向は振り向いた。「今日は、ちゃんと学校に行くつもりだったんだ」「うん」「でも、どうしても行けなくて、気づいてたらここに来てた。いたら、お前が見つけてくれると思ったから」「……思い出した?」 尋ねる日向に「思い出した、っつーか、思い出さされたって言うか」と、陽介は答えた。だけどその声は掠れて、引き攣っている。まるで、無理に笑おうとして失敗したような。「忘れてたこと、全部?」 重ねられる問いに、陽介は頷く。「――いつ?」「昨日お前と別れた後。親父に報告した帰りでさ。もうすっげー突然で、びっくり……」 ははっ、と笑う陽介の声が引き攣って唐突に途切れた。そして大きく息を吸ったかと思うと、陽介は洟を啜り出す。「ごめん橿宮」 声を震わせ、陽介は膝に肘を突き、自分の顔を掌で覆った。「俺、お前を巻き込んでおいて、自分だけ逃げてた。ずっと、守ってくれたことにも気づかないで」『でもそうやって“特別”に酔っている間、お前は知らずにいるんだ。……あの時の、そして今のお前が、どれだけアイツに守られている状態だってことをな』 影の言う通りだ。 俺は“特別”だと自惚れてた。 あの時から、全く変わってないくせに。「――ごめん」 ただ謝る陽介の背中を、日向は黙って見つめる。 雨音が、やけにうるさく耳に響いた。 [0回]PR