劇場を指で描く 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 放課後、燈治は珍しい場所で七代を見つけた。何気なく横をみなければ、そのまま通り過ぎてしまっただろう。 美術室の後ろ側。ひっそり隠れるように七代がスケッチブックを開いている。時折周囲を見回す様は誰か来ることを恐れているようにも見えた。 扉に手をかけていた燈治は、周囲を見回した。誰の姿もないことを確認し、扉を開ける。 がらり、と音を立てて開く扉に案の定七代は驚いていた。スケッチブックを閉じ、慌てふためいていたが、相手が燈治だとわかり安堵の表情を見せる。「何だ、壇じゃないですか。驚かせないでくださいよ」「そういうお前こそこんなところでどうしたんだよ。探したんだからな」「あー、うん、その……」 言葉を濁し、七代は膝の上に載せたスケッチブックを見た。「絵を、描いてたんです。ほらおれ、美術部に入りたかったって言ってたでしょう? だけど任務との掛け合いはちょっと難しいと思って諦めたんですよね」 七代が寂しそうに俯く。「だからちょっとでも時間が空いたらちょっとここを借りて部活の真似事とか、しちゃったりしてみたりして」「だからそんな周りを気にしていたのか」「生徒会の人に見つかったら説明するの面倒臭いですし」 燈治は七代の行動を把握したが、それでもまだ腑に落ちない。絵を描くのは、何等疚しいことではないだろう。 七代の膝に置かれたスケッチブックを指差し「なあ、それ俺に見せてくれよ」と燈治は頼んだ。「え、ええっ!?」と七代は目を丸くして慌てる。スケッチブックを素早く背中に隠して「だ、駄目ですよ!」と首をぶんぶん振った。「なんでだよ」「だって、おれ絵が下手だし」「俺よりは絶対上手いと思うぜ」 絵を描くこと自体、馴染みがないのだ。腕前は考える間もなく七代が上だろう。「逆にこっちがうまく感じたこと言えねえかもしれねえけど」「そんなことないですって。……もうしょうがないなぁ」 七代が根負けし、スケッチブックを燈治のほうに向けて差し出す。「どうぞ。でもがっかりとかしないでくださいよ」「んなこたねーよ」 前々から七代の描く絵には興味があった。だけどこちらに気づくとすぐに隠してしまい、今まで見れずじまいだったからだ。 スケッチブックを受け取り、燈治はさっそく表紙を捲った。イーゼルや彫像。美術室を描いているんだろうが燈治の目に見えるものと、スケッチブックのそれとは色彩がまるで違う。 色鉛筆で描かれた美術室。でたらめな色使いがごちゃごちゃと白い紙の中に存在していた。 同じ場所かと思わず二つを見比べる燈治に「驚いたでしょ」と七代が悪戯っぽく笑った。「あ、いや」「いいんですよ。それが普通の反応ですし」 どこか覚めた七代の反応に、燈治は訝しむ。「どうして笑ってられるんだ。さっきの俺は失礼だとか怒られても無理ねえ反応してただろ」 なのに七代は笑みを崩さない。目を細め「だって、ねぇ」と淡々と言う。「俺の目は普通じゃないですから。描きたいものをそのまま写したって、他の人とは違うふうになっちゃうんですよ」「……じゃあこれはお前の目から見た、風景か?」「はい」と七代が頷く。「生活する分に秘法眼は、寧ろいらないものですしね。極力力を抑えても、おれの場合どうしたって多少は力が出ちゃうらしいから。どうにもこうにも」「あはは」と他人事のように言って、七代は閉じた瞼の上から自分の眼に触れた。「……」 黙って燈治は再びスケッチブックの絵を見た。これが七代の持つ秘法眼を通して見る、世界の一部。「他のも見ていいか?」「どうぞ」 七代に承諾を得て燈治はスケッチブックをぱらぱらと捲った。いつ描いたのか、校舎の色んな場所が描かれていた。 教室。階段の踊り場。武道場。屋上から見た新宿。 やはりどれも燈治が眼にするものとは違った色彩で表現されている。「……すごいな」 燈治は思ったままを素直に口に出した。 閉じた瞼に手を当てていたままだった七代が、ばっと驚いた顔を上げた。信じられないような眼で、燈治を見つめる。「……どこが、ですか?」 恐る恐る尋ねられ「うーん」と燈治は宙を仰いで考えた。ここがこうだから、なんて具体的に答えられない。燈治が感じたのは、もっと抽象的なこと。「俺には絵とかわからねえけど。お前の眼にはこんな風に見えてんだなって思うと……すげえなって」「あまり、意味がわからないんですけど」「だな。俺にもよくわからねぇや」 自信たっぷりに言った燈治に、思わず七代は吹き出してしまった。腹を抱え「変な理屈」と声を殺して笑う。「笑うなよ」と燈治は少しむっとして言う。こっちは本気なのに。「これでも嬉しかったりするんだぞ俺は。これがお前から見たものだって、わかったんだからな」 どう足掻いたって燈治には七代のような秘法眼を持てたりしない。だから彼の眼にはどんな風にモノが、景色が見えているか知る由もない。そう、思っていたけれど。 七代自身が、燈治の持っていた願いの一つを叶えてくれた。 笑うのを止めた七代が、ぽつりと弱い口調で言った。「……壇は、おれの言うことを信じてくれるんですね」「お前は下らないことはするけど嘘はつかないだろ。だから俺は信じるさ。これがお前の見てるもんだって。……見せてくれてありがとな」 燈治はスケッチブックを閉じ、七代に渡した。「……」 スケッチブックを受け取った七代は、それをまた膝の上に置いた。表紙をそっと指先で撫で、俯く。「壇はそういうけど、やっぱり殆どはおれの言うこと、信じてくれなかったかな」「……」「嘘はついてないから。だから見えるものそのままを描いたのに。やっぱり言われることは一緒だった。こんな風に見える訳無い。嘘つきだって」 スケッチブックに置いた七代の手が、震えた。「嘘をついたんじゃなかったんです。おれにとってはここに描かれていることが本当で。でも殆どの人にとっては嘘にしか見えなかった」「――千馗」 溜め込んでいた感情を吐き出しているように七代は言う。燈治は少し身体を屈めて後ろから七代を抱きしめた。 びくり、と七代の肩が震える。 燈治は七代の耳元で囁いた。「俺にとっても本物だ。それは、信じとけ」 直接脳髄へ声が届くように、意識して力強く言う。 そう、七代は下らないことはするが、嘘を吐く人間ではないことを、燈治は知っている。信じない奴はそのまま放ってしまえ。何があろうと俺は七代を信じている。 七代の掌が、自身を閉じ込める燈治の手の甲に重なった。そのまま力を抜いて燈治に凭れて七代は言う。「……ありがとう」 その声は微かに震えていたが、燈治は聞かないふりをしてそのまま七代を抱きしめていた。 [0回]PR