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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

無垢でいられなかった花1

長いので折り畳み


 ハルという存在は、ニンゲンに近い心を持っているとは言え、まだ幼く純粋だ。それこそ、アキラがハルに伸ばした手を、彼に触れる寸前で躊躇わせるぐらいには。
 アキラはハルとは違い、大人だ。世界は綺麗なものばかりではない
と知っているし、自分自身薄汚れた考えを持ち合わせていることを自覚している。だから指先で僅かに触れるだけでも最後、まっさらな心に汚れが移ってしまいそうで怖かった。
 昼下がりのヘミングウェイで、いつものバタージンジャーチャイを飲みながら、アキラは自分の手のひらをじっと見つめていた。褐色色の肌に釣りや武術をしているお陰で出来た肉刺。それらを除けば他の人間とは何ら変わりない。
 しかしアキラには自分の手のひらが汚れて見える気がした。指先を擦りあわせても、違和感は拭えない。
 ――気にしすぎだな。
 こぼれかけたため息を飲み込み、チャイを口に含む。
 憂鬱な物思いに耽るアキラを余所に、店内はのどかな雰囲気で満たされていた。釣り具売場では海咲がやってきた客相手に蘊蓄を披露している。そして今ごろ歩は、青春丸で江の島の海を大物目指し走らせているんだろう。
 しかし、時折店長の代わりに愚痴をたらすのは止めてほしい。ユキは笑ってみているが、巻き込まれた方はたまったもんじゃないのだ。
「ねぇ、さくらーぁ」
 アキラが座っているテーブル席の後ろから「ここどうすればいいのかわかんないよぉー」とハルが音を上げた。
 両手に持っているのは釣り糸とビーズ。ハルはさくらに教えてもらいながら、ブレスレットを作っている途中だった。ユニノットなら楽々でも、アクセサリ作りになれていないハルの手つきは危なっかしい。
 苛々しながらうなるハルの横で、さくらがくすくすと笑った。
「ハルちゃん、ここはこうするんだよ」
 さくらは器用にビーズを釣り糸に通していく。さくらの手本をハルは真剣に見つめ「もっかい見せて!」とねだった。
「うん、もう一回ね。こうやるの」
 微笑みながら頷き、さくらは同じ動作を繰り返した。そして「はい、ハルちゃんもやってみよう?」と促す。
 彼女は以前より大人びているようにアキラには見えた。妹が出来たからだろうか。さくらはもう、兄に甘えるだけの少女ではなくなりつつある。
 時間の流れをアキラは実感した。
 祖母以外の人間にはなかなか心を開けなかったのに、今では胸を張って大きく笑えるように。
 仲違いしていた家族と、ぶつかりながらもわかりあえたように。
 ヒトの心がわからなかった宇宙人が、ヒトのために我が身を犠牲にして誰かを守ろうとしたように。
 ――宇宙人に対して警戒心しか持たなかった俺が、こうしてハルと一緒にいるのが当たり前になってきたように。
 お陰で江の島での任務以降、仕事のやり方も変わってきた。なるべく穏便な方法で済ませられるように心がける。もちろん、部下たちにも同じようにさせる。決して排除する手段は取らせない。

 ――ヤマーダ。お前をそこまで骨抜きにしたJF1は、大した宇宙人だな。

 上司であるジョージ・エースに皮肉混じりで言われたとき、アキラは違います、と返せなかった。
 その自覚もあるし、ジョージにはハルが捕まった際、激昂した様を見せている。言い返しても、倍になってしまうのが目に見えていた。
 負ける勝負はしない主義なんだ。言い聞かせつつも、アキラはもの悲しくなって、最後の一口を飲む。
 チャイを口の中で転がして、よく味わった。明日には新たな任務のため、江の島を出なければならない。ヘミングウェイのバタージンジャーチャイもしばらくは飲めなくなってしまう。
 しばらくは味わえなくなるティータイムを、名残惜しい気持ちで終え終えた。カップをソーサーに置き、アキラはこっそり後ろを振り向く。
 ハルは相変わらずアクセサリ作りに苦戦中だ。思い通りにならない作業に、しかし投げ出さず頑張っている。さくらが優しい眼差しでハルを見守っていた。
 アキラもさくらと同じようにハルを見守っていたかった。しかし明日からの任務に向けて、準備が山のようにある。怠ったら潤滑に任務を遂行するのは難しい。DUCKとしての意識が欠けているとジョージに小言を刺されるのも勘弁願いたいところだ。
 アキラは席を立ち「タピオカ」とバディの名前を呼んだ。アキラの足下で座っていたタピオカが「クワッ」と一鳴きし、腰を屈めた相棒の腕の中へ飛び込んだ。
「わかってるよ、タピオカ。きっちり仕事はこなすさ」
 タピオカの背中を一撫でし、やれやれと肩を竦めたアキラは、カウンターに近づいた。店番をしているユキに伝票を手渡す。
「俺は一足先に戻る。しばらく部屋にこもるが気にしないでくれ」
「わかった」とアキラから代金を受け取り、ユキはレジを打った。バイトも大分慣れた彼の手つきは様になっている。
 お釣りを受け取り、帰りかけたアキラを「あ、アキラ待って」とユキが呼び止めた。
「どうした?」
「あ、あのさ……。アキラって明日の何時頃江の島出るんだ?」
「昼前には空港に向かう手はずになってる」
 空港ではDUCKが手配したチャーター便で、任務地までひとっ飛びだ。
「そっか……」
 ユキが口元に手をやり、考え込んでいた。アキラは怪訝に眉を潜める。
「それがどうかしたか?」
「えっ……? いっ、いやいやいやいや。何でもないっ」
 ユキは慌てた様子で首を勢いよく振った。しかしアキラはますます怪しそうにユキをじっと見る。不審がるアキラの視線を受け「だから何でもないんだってば!」とユキは必死だ。
 何でもないんなら、どうして顔が般若になりかけてるんだ。
 尋ねてみたくなったが、アキラはこれ以上突っ込まないでおいた。それが大人の優しさってもんだろ。
「そうか」と笑い、レシートを受け取ったアキラはヘミングウェイを出た。カフェスペースから出る寸前、横目で見やったハルはビーズに夢中で、アキラには気づかない。そこまで夢中になって作って――誰かに、やるつもりなんだろうか。いや、見えたビーズの色は赤だから、自分用に作ってるのか。ハルは赤が好きだから。
 考えがつい深みにはまるアキラを咎めるように「グワッグワッ」とタピオカがくちばしで肩をつついた。つぶらな瞳が、またジョージに皮肉を言われてもいいのか、と訴えている。
「わかってるさ」とアキラは口を歪めた。
「俺はDUCKの調査員だからな。仕事はきちんとこなすさ」
 ハルから視線をそらし、後ろ髪引かれる思いでヘミングウェイを出る。
 そうだ、程良く距離を保つべきだ。
 ただでさえ近づきすぎていることを考えれば、頭を冷やすいい機会だ。
 これ以上近づいて、まっさらな心に触れる前に、距離を取らなければ。
 アキラは自分の指先を擦りあわせる。


 真田邸に戻ったアキラは借りている平屋の一室でパソコンを立ち上げた。
 送られてきたデータの多さに、思わず天を仰ぐ。
 新たに発見された異星人の特徴や行動記録。どのように星に帰すのか手段を纏め、また実行した際の結果が纏められたレポート。
 全てに目を落としておくように、と上司の名前でしめられたメールを読み、アキラは重い疲労感がしてうなだれる。なんとなく今頃、ジョージ・エースが意地悪く笑っていそうな予感がした。
「……最近おちょくられてる気がするんだが、どう思うタピオカ」
「クワッ」
「知るかって……お前も最近意地が悪いぞ」
 つれない相棒にアキラは目の前が滲みそうだった。ハルとの関係を知っている上司にはことあるごとにからかわれ、相棒には知らんぷりされる。本格的に職を変えるべきかとたまに考えてしまいそうだ。
 それこそ江の島でカレー屋でも開いたら、ずっとハルの近くに――。
「……いかんいかん」
 アキラは頭を振って、雑念を追い払った。現実逃避をしても、仕事は消えてくれない。諦めて、目を背けていたデータの山に向きなおる。
 データの一つ一つに目を通し、資料とにらめっこをしながら修正を加える。これらのデータは、異星人の情報としてDUCKに残る貴重なものになる。手抜きは許されない。
 ――しかしこのデータを作った奴らは、纏めるという言葉を知らんのか。キーボードで文字を打ち込むアキラの指先に力がこもった。無性に煙草が吸いたくなるが、部屋を借りている立場上行動に移せない。代わりに買っていた棒つき飴をくわえ、作業を続行していく。
 データを精査し、修正をして保存する。同じ行動の繰り返しは、アキラを大いにうんざりさせた。しかしやらなければ終わらない。終わらなかったら、飛んでくるのは叱責だ。
 横でパソコンの画面を眺めていたタピオカが、次第にうとうとし始めた。長い首で船を漕ぐタピオカに、アキラはこっそり笑う。
 寝てもいいんだぞ。あやすように小さな頭を撫でる。するとタピオカはあっさり首を落として寝てしまった。
 ぽんぽんと眠るタピオカの背中を優しく叩き、アキラは再びパソコンと向かい合う。
 こんな書類なんぞ、すぐに片づけてやる。
 意気込み、キーボードを叩く音が薄暗くなりつつある和室に響く。窓から見える空は青から夕暮れの赤へと変わり、もうすぐ夜になる時間だと告げていた。


 息苦しさに、アキラは目を覚ました。
 いつの間にか眠ってしまったらしい。卓に突っ伏していたせいで、背中が軋むように痛む。呻きながら背伸びをして筋肉を解し、腕時計で時刻を確認した。
「……五時半か」
 明け方まで寝てしまった失態に、顔をしかめた。いつ寝てしまったのかすら、覚えていない。
 アキラは欠伸をしながら、画面が真っ暗になったパソコンのスリープ状態を解除した。寝落ちてしまった寸前に開いていたページを恐る恐る確認する。
「……読めん」
 画面上に続く、明らかにおかしい文章の羅列。自分で打ったはずなのに、文法が全くなっておらず、解読を数行で放棄した。
 ガンバったんだな、寝落ちる前の俺。眉間を揉みながら、アキラは時分で自分を誉めた。しかしこれは少し休むべきだろう。こんなの提出したらまず呼び出しの後、再提出を即座に食らうレベルだ。
 疲れた表情で文章を手直しし、アキラは窓を見た。うっすらと、夜の暗さが和らぎ、青みがかった色をしている。朝が近い。
 ――ずっと部屋にいたせいか、アキラは外の空気を吸いたくなった。午後にはもう日本を発っている。今のうちに江の島の朝を身体いっぱいに浴びたくなった。
 パソコンを再びスリープ状態に戻し、アキラは横で寝ているタピオカを起こさないよう注意して腰を上げた。自分が座っていた座布団の上にタピオカを乗せ、アキラは部屋を出る。


 今日はユキもハルも朝釣りをしていないようだ。
 早朝の真田邸は静かで、アキラは足音を立てないよう注意しながら歩く。途中、二人が寝ている洋風の棟がある方を見つつ、リビングから外に出た。
 ドアを開けるとまず感じるのは潮の匂いだ。しばらくパソコンとにらめっこをしていた目に、白々と明けていく空の色は少々痛い。
 涼しい空気に、遠く新聞配達のバイクが走る音。どこかの家で作っている味噌汁の匂いに、つい腹を押さえた。ヘミングウェイから戻って今まで、飴しか食べていない。
 朝ご飯、味噌汁飲みたいな。ケイトさんが作る赤出汁の味噌汁は美味しいから。日本を発ったらこれもしばらく味わえなくなるのが、なんだかとても寂しい。そして、アキラ自分がここまで江の島に愛着を持っていることに驚いた。
 庭を横切り、片隅にある東屋に足を向ける。ここからは海がよく見えた。アキラは海と向かい合うように東屋の椅子に座る。
 今日の海は静かだ。遠くから海面を眺め、アキラは唐突に釣りがしたくなってきた。二日としない日はないのに、こうして海を泳ぐ魚を思うと、竿を持ちたくなって手がむずむずしてくる。
 衝動を抑えるように、アキラは胸ポケットを探った。飴か――もしくは煙草があれば。
「――アキラっ!?」
 突然、ドアが乱暴に開かれる音が真田邸から聞こえた。同時に慌てふためくハルの声が続く。
 真田邸の方を振り向くと、庭に出ていたハルがきょろきょろしていた。せわしなく視線をあたりに巡らせ「アキラッ、――アキラッ!」と庭を駆け回った。
 ハルからは東屋に座るアキラは死角になっていて見えないようだ。朝の静寂をぶちこわすハルに「ハルッ!」と立ち上がって、ハルを手招きした。近所迷惑すぎるだろう、とはらはらしてしまう。それに恥ずかしい。
 ハルは立ち止まって、姿を現したアキラに目を止めた。不安に曇った表情が一変して明るくなる。
 走ってくるハルは裸足だった。芝生が多いとは言え、あまりほめられた行動ではない。目を丸くしたアキラは「裸足で庭を走るんじゃありません。あと朝っぱらから大声で叫ばない。近所迷惑でしょうが」とまるでハルの親になった気分で叱った。しーっと口元に立てた人差し指を当てるアキラに、ハルは口元を両手で押さえる。
 静けさが戻り、アキラは安堵した。しかし顔を真っ赤にして、肩を震わせるハルに「誰も息まで止めろとは言ってない!」と口を塞ぐ手を引きはがす。
「……っぷはー」
 ハルは大きく息を吸い込んだ。朝っぱらから騒がしい奴だな。苦々しく考えつつも、口元は自然と弧を描く。どんな時でも天真爛漫なのがハルという存在なのだ。
「アキラ、いた。よかったぁー……」
 ハルはにっこり笑った。
「部屋にいなかったから、もう行っちゃったと思っちゃった」
「黙っていなくなったりしない」
「うん。でも……アキラいなかったから」
「それは……悪かった」
 アキラは頭の後ろに手をやり、気まずくハルから視線を反らす。いらぬ心配をかけてしまったが、まさかこちらも朝っぱらから探されるとは思っていなかった。
「ううん、良かった。アキラいてくれて、ぼくうれしいよ。……胸痛いのなくなった」
 左胸を軽く手で押さえ、ハルの笑みはますます深まる。
 ――俺がいなくなって慌てて探してたのか。
 こんな、うれしそうな顔しやがって。
 くそっ、とアキラは胸の中で毒づいた。捕まえてさらっていってしまいたくなる。両手をきつく握りしめた。
 その左手を、ほっそりしたハルの手が取った。何をするんだと首を傾げるアキラを余所に、ハルはポケットを探る。
 つけられたモノに、アキラはこれ以上ないほど目を見開いた。
 赤いビーズの、ブレスレットだ。さくらに教わりながらヘミングウェイで作っていた、あの――。
「ハル、これは……」
 目の高さにあげたブレスレットを、アキラはまじまじと見つめる。まさか、俺によこすとは思ってもいなかった。
 ハルは「アキラにあげる。ぼくとおそろいっ」と自分の手首を軽く掲げた。白い手首には、アキラがはめているのと同じようなブレスレットがあった。色は黄色だ。
「さくらが言ってた」
 睫を伏せ、ハルは愛おしそうにブレスレットを擦る。
「黄色はマリちゃんの好きな色だけど、アキラの色でもあるみたいだねって。だからぼく、ガンバってさっきまで作ってたんだよ」
「……」
 呆然と突っ立つアキラにハルは「アキラ、それちょーイカしてる」と親指を立てた。その目は、よく見たら赤い。
 ――寝ずに作っていたのか。
 アキラの心が僅かにぐらついた。程良く保ちたかった距離の加減がわからなくなっていく。
 今、俺とハルの距離はどうなんだ。
 近いのか、遠いのか。
 ――それとも。
 黙するアキラに、ハルは自分の思いを自分なりに伝える。
「ケイトね、ぼくが星に帰ってる間、赤い花に話しかけてくれたんだって。赤い色はぼくが好きな色。だからぼくに声が届きますようにーって。だから、ぼくも話しかけるね」
 自分の腕につけたブレスレットに、ハルは話しかける。
「アキラの仕事がうまくいって、早く江の島に帰ってきてね。もうすぐ夏樹も帰ってくるから、またみんなと釣りしようねって」
「…………」
 指先を擦り、アキラは「――――くそっ」と苛立ったように吐き捨て、両腕を伸ばした。
 ハルの肩を掴んで、力任せに引き寄せる。
 形にできない想いをぶつけるように、アキラはハルをきつく抱きしめていた。
「……アキラ?」
 アキラの腕の中、ハルがきょとんと瞬きをする。

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