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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

無垢でいられなかった花

長いので折り畳み



 今、アキラは保とうとしていたハルとの距離を、自分からぶち壊そうとしていた。

 ――ヤマーダ。お前をそこまで骨抜きにしたJF1は、大した宇宙人だな。

 脳裏にジョージ・エースの皮肉がよみがえる。
 ああ、そうだよ。その時には言い返せなかった答えを、半ば自棄になってここにはいない上司にぶつけた。アンタの言う通り、こいつは大した宇宙人だ、こんちくしょうめが。
 異星人は何をしでかすかわからない。だから警戒しなければならない。必要もあれば排除もいとわない存在――だったはずだ。しかし疑念を不信で凝り固まったアキラの理屈は、ハルによって溶かされた。笑みを振りまき、人を振り回して、遠慮も知らず心に入ってきた。人の気持ちも知らないで。
「――アキラ?」
 おとなしく抱かれたまま、ハルがアキラを見上げた。
「どうしたの? アキラ、苦しそう」
「……ハル」
 ハルの問いには答えず、アキラは柔らかな輪郭を描く白い頬に手のひらを当てた。釣りや武道をしているせいで肉刺は出来、皮膚は硬くなった手は、あまり障り心地がよろしくない。しかしハルはアキラの手のひらに頬をすり寄らせた。あどけなさが残る仕草に、アキラは薄く笑うがすぐにそれは消えてしまう。
 前は目を合わせていただけでも怯えられていたのが、嘘みたいだな。
 もう片方の手も同じようにハルの頬に添える。僅かに手首を返し、ハルの顔を上向けた。
 ハルはじっとアキラの顔を見つめている。スミレを思わせる淡い紫の瞳が、焦燥したアキラの顔を映していた。
「ハル……これは、嫌か?」
 アキラは小さく掠れた声で、ハルに確認を取った。もしハルが少しでも嫌がる素振りを見せたら、すぐ離せるように。ずるいやり方だと思いつつ、アキラは線引きをせずにいられない。
 でも、これは恐らく最後の一本。これを越えたら――もうおしまいだろう。
 固唾を飲み込み、アキラはハルの返事を待つ。
「――イヤじゃないよ」
 ハルの答えは簡潔だった。しかしそれは、苦悩するアキラをいとも簡単に受け止める。
 アキラは苦いものが走ったように顔を歪める。後ろ髪を引っ張られれているように、じりじりと追いつめられている感覚がする。引きずられればこの先に待ち受けているのは、きっと切り立つ崖だ。落ちたらもう、戻れない。
「……じゃあ、これは?」
 首を屈め、アキラはハルの瞼に唇を落とした。右、左。そして鼻筋へ唇を移動させて、柔らかく押しつける。
「これは……嫌か?」
「んんー、くすぐったい」
 答えになっていなかったが、ハルの表情がイヤではない、と雄弁に語っていた。逃げる素振りだって微塵もない。
 どこまでだ? どこまで近づいたら逃げてくれるんだ?
 これ以上深みにはまる前に逃げてくれ。そう思う反面、逃げてくれるなと必死に願っている。
 どっちが本心か、アキラ自身測りかねていた。
 ハルはアキラを見つめ続けている。きれいな紫に釣られ、アキラは引き寄せられてしまう。
「…………ハル」
 掠れ声で呟き、ハルの唇を指でなぞったアキラは、そこに口づけをしようとした。
 ああ、もう俺もお前も逃げられないな。
 唇が重なりかけた――その瞬間、
「ハルー、アキラ見つかったか?」と真田邸の方からユキの声がした。
「――っ!?」
 アキラは反射的に顔を上げた。それと同時に庭から走ってきた寝間着姿のユキが東屋に現れる。
 互いに目があって、二人の身体が固まった。
 目を見開き、般若になりかけているユキの顔を見て、アキラは自分がしでかしかけている状況に気づく。両手は未だ、ハルの頬に添えたままだ。
「アキ……っ!?」
「……ちが、違う! これは……」
 慌ててハルを解放したアキラは諸手をあげた。首を振るアキラの脳裏にいくつかの言い訳が浮かんでは消える。だがそのどれもが、アキラからすると白々しく見えた。
「どうしたの、アキラ?」
「――ハルっ」
 はっと我に返ったユキが、ハルに歩み寄って腕をつかんだ。引っ張られ振り向いたハルは「あっ、ユキ!」と笑った。
「アキラ、うけとってくれた! ぼくうれしーい!!」
「……」
 緊張した場にそぐわぬ明るさが、アキラとユキの間に漂う気まずい雰囲気を壊していく。
「あ……」
 アキラの手首にはめられた赤いブレスレットを見つけ、ユキの強ばっていた表情がほっとしたように少し緩む。しかしすぐに困った表情に戻ってしまった。
 どうすればいいのか、行動に悩んでいるんだろう。アキラもこれ幸いと助け船を出す。
「ユキ、ハルの足を洗ってこい。裸足のままで汚れてる」
「あ……本当だ」
 裸足のハルに「ハル、靴ぐらい履けって」とユキが軽くたしなめた。
「だって部屋にアキラいなかったんだもん」
 ハルは頬を膨らませる。
「だからもう江の島出たんじゃないかって、心配だったから……。でもアキラいた」
 胸を押さえたハルは笑顔になって、アキラを見る。
「アキラに渡せた。ブレスレット、受け取ってくれた。ぼく、すっごく嬉しい」
「……そっか、良かったな」
 ハルに笑いかけながらも、ユキはアキラをちらちら見ていた。確かめたいけど、その勇気がない。でも気になる。そんな風に言っているような視線がちくちく刺さって痛い。
 アキラは早く行け、と無言で手を振った。
 ユキは最後にアキラの顔を見て「ハル、行こう」とハルをつれて真田邸へと戻る。
 家の中へ入る二人が見えなくなるまで眺め、アキラはその場に座り込んだ。やっちまった。自分の行動に頭を抱える。しかもそれをユキに見られてしまうなんて。
 別に見られて困るものではない。だが、ハル同様ユキに対してもアキラは今はまだまっさらでいてほしい気持ちがあった。俺みたいに、ずるい大人にはなってほしくないから。
 ハルの頬に触れていた手のひらに目を落とす。
 左手首にはめられた赤いブレスレットが、やけに眩しくアキラには見えた。




 ユキがハルを真田邸につれて帰ってから十数分後、アキラは重い足取りで部屋に戻った。
 扉を静かに開ける。朝日がさしてうっすら明るくなった室内で、タピオカが座布団の上で出る前とかわらず眠り続けていた。
 アキラはタピオカの隣に座り、そのまま畳に寝そべる。四肢を投げ出し、ぼんやり天井を見上げた。さっきまでは瞼を閉じれば一瞬で眠れそうだったが、それもすっかり吹っ飛んでしまった。
 ブレスレットがはめられた手を目の前へ持ち上げる。
 赤い色はハルの好きな色。黄色い色は俺の色。
 お揃いだと無邪気に笑う顔が、脳裏に浮かんだ。腕に、ハルを抱きしめた感触がよみがえる。距離を見失って腕の中に閉じこめたハルは見た目どおり細く、そしてヒトの体温より少し低かった。
「……」
 瞼や鼻梁を口づけた唇を指でさする。それだけなのに、ハルの感触を思い出すだけで、背中からぞくぞくと震えが走った。
「……なぁ、タピオカ。俺はこれからどうすればいいんだろうな」
 寝ているタピオカを見て、アキラはつい問いかけていた。眠っているタピオカには答えようがないと承知している。だが、アキラは尋ねずにはいられなかった。
 確実に、歯止めが利かなくなっていく。ハルという存在が、少しずつ少しずつ、アキラの理性を剥ぎ落として本能の波へさらわせようと誘っている。
 まるで深海にいる感覚。ユキも極度に緊張するときはこんな感じなのか。今更のようにアキラはユキに同情する。これは、苦しい。息ができなくなる。アキラはあえぎ、酸素を求めるように唇を薄く開閉させる。 あの時――ブレスレットを手にはめて、笑うハルを見たアキラは、自分自身の行動に歯止めがきかせられなかった。自分自身のことなのに、暴走する心が制御できず、保とうとしていた距離を自らぶち壊すまねをした。
 ――そばで見ていられるだけでも良かったのに。
「――アキラ」
 扉を叩く音に、アキラは跳ね上がるように起きた。控えめなユキの声がアキラを呼んでいる。
 アキラは息を詰め、迷った。ユキがここにくる理由は明白だ。しかし無視を決めても、ユキは引いてくれないだろう。
「……入ってもいいぞ」
 観念し、アキラはユキを招き入れる。
 ゆっくり開かれた扉から、ユキが部屋に入った。顔がこわばっていて、緊張している。それでも般若の表情になっていないぐらいには、ユキは冷静でいるようだ。
 アキラの前に正座したユキは、膝の上に軽く握った手を置いた。視線を畳へ落とす。
 それからしばらく沈黙が続いた。アキラはだんだんと居心地が悪くなってくる。
 いっそひと思いにとどめを刺してくれ。耐えきれなくなり、アキラから沈黙を破った。
「……ハルは?」
 ユキがおそるおそるアキラに目を合わせた。
「寝ちゃったよ。今日はずっと起きてたから」
「――ずっと?」
「ブレスレット。アキラが行っちゃうまでに作りたいからって」
「……それじゃあお前も起きてたんだな」
 よく見ればユキの目は慣れない徹夜で赤く充血していた。
「ハルひとり起こしておけないよ。あんなに一生懸命だったんだから」
「……」
 アキラは無言でブレスレットを見た。不格好に釣り糸へ通されたビーズが、窓からはいる朝日を受けてきらきら輝いている。
「アキラ。このままで本当にいいのか?」
 アキラを見つめ、意を決したようにユキが切り出した。まっすぐな視線に、アキラは目を合わせられない。
「……何がだ」
 無駄だろうが、アキラはとぼける。
「アキラ、ハルが好きなんだろ」
 思った通りユキは見逃してくれなかった。先ほどよりも強い口調で核心を突く。あまりのまっすぐさに突かれた胸が痛む。
「――ああ、そうだよ」
 痛みに耐えるように瞼を伏せ、アキラはあっさり認めた。皮肉っぽく口元をあげる。
 そもそもユキはアキラがハルをどう思っているか知っているのだ。それどころか、ハルへの好意をアキラに自覚させた張本人でもある。慌てて隠し立てする必要もない。
「だったら――言えばいいじゃん」
 ユキが両手をぎゅっと握りしめた。
「ハルだってアキラのこと嫌ってないし。だから――」
「後押ししてくれるのは嬉しいが、俺は進んでハルとどうこうなろうとは考えてない」
 突き放すように、淡々と、アキラは言った。
 ハルという存在は、ニンゲンに近い心を持っているとは言え、まだ幼く純粋だ。それこそ、アキラがハルに伸ばした手を、彼に触れる寸前で躊躇わせるぐらいには。
 アキラはハルとは違い、大人だ。世界は綺麗なものばかりではない
と知っているし、自分自身薄汚れた考えを持ち合わせていることを自覚している。だから指先で僅かに触れるだけでも最後、まっさらな心に汚れが移ってしまいそうで怖かった。
 だからこそ、距離を保っていたんだ。
 ハルは――俺が触れるには無垢すぎる。
 アキラはきつく手のひらを握りしめた。
「でも……っ!」
 感情が高ぶり、ユキはアキラへ身を乗り出した。しかし開いた口は、言葉に詰まり続きが出せないでいる。納得できないが、うまい言葉が見つからないんだろう。それでもあきらめず、視線をさまよわせながら、必死に考えている。
 アキラはユキに気づかれないよう、そっと笑った。
 ユキは人見知りが激しく、緊張しやすい。加えて許容範囲が越えることが起きると、顔が般若のように厳めしくなる損な性質の持ち主だ。
 だがそれらを除けば、ユキは友達思いの一生懸命な少年だ。だからこそ、かつてのハルの願いを叶え――今だって、アキラのために必死になって考えている。
 青さが目立つユキのがむしゃらな真っ直ぐさが、アキラは嫌いではなかった。
 しかしアキラは、向けられているユキの優しさを突っぱねる。
「悪いが――話はここまでだ」
 話を強制的に切り、アキラは腰を上げた。パソコンをケースにしまい、昨夜のうちにまとめた荷物を掴む。物音に目を覚ましたタピオカが億劫とした動作で首を上げた。
 突然のアキラの行動に「えっ!?」とユキが目を丸くした。
「俺はいつまでも暇な訳じゃない。――タピオカ」
 目覚めたばかりでもタピオカは優秀ぶりを発揮してくれた。心得たように一鳴きし、羽ばたいてアキラの肩に飛び乗った。そのままアキラは相棒の身体を左胸の定位置で抱きしめる。
 アキラは、固まったままのユキを一瞥する。
「慌ただしくしてすまんが、俺は行く。――じゃあな」
 短い別れの言葉を告げて、アキラは部屋を出た。玄関に向かう廊下で「ええええーっ!?」とユキの驚く声が響く。
 まあ、当然の反応だな。悪いと思いつつ、アキラは振り返らなかった。こちらとてこれ以上追求されたくない。
 それに。

 ――イヤじゃないよ。

 次、ハルの顔を見てしまったら、俺は今度こそアイツを汚してしまうかもしれない。
「アキラっ!」
 玄関で靴をはき、押し扉に手をかけたところで、ユキが慌てて追いかけてきた。焦っている彼の肩を「ユキ」とやってきたケイトの手が優しく止める。朝食の準備をしていたらしいケイトはエプロン姿で、いつもとかわらぬ笑顔を浮かべていた。
 アキラとユキの間に漂う緊迫感が、ケイトの存在で緩む。
「ばあちゃん……」
「ユキ、大きな声出したらハルが起きちゃうわよ」
 いたずらっぽく、ケイトは人差し指を口元に当てた。それを見てユキはあわてて口を手でふさぐ。
「朝ご飯、食べていかないの?」
 ケイトは笑顔のまま、アキラを振り返った。
「……申し訳ありませんが」
 背中を向けたまま答えるアキラに「そう」とケイトはあっさりとした返事をする。
「ブレスレット、きれいね」
「……そうですね」
「今度はいつ、帰ってくるのかしら?」
「それは……わかりません」
 俯くアキラに「アキラさん」とケイトが声をかけた。柔らかい口調は、ユキやハルにかけるものと同じ家族を案じるように。
「ハルに、ありがとう言った?」
「……」
 黙ったままのアキラを咎めたりせず、ケイトは諭すように穏やかに言った。
「言っていないなら、また言いに戻らないとだめよ。うれしい気持ち、ちゃんと伝えなきゃ」
「……」
 アキラはケイトを振り返った。静かに佇み、ケイトは優しい笑みをたたえている。
 やっぱりこの人にはかなわない。帰りづらくなってしまうだろうアキラに、ケイトはきちんとアキラが再びここに戻れる理由を残してくれる。
 じっと目を見つめるケイトから視線を逸らし、アキラは黙ったまま真田邸を出る。扉が完全に閉まる瞬間「ばあちゃん」とユキの焦る声が聞こえた。
 アキラは門のところまで歩いたところでようやく足を止めた。ユキが追いかけてくる気配はない。
 ふう、と息を吐き出し、真田邸を振り返る。切ない眼差しを注ぐアキラに「グワっ」と眠気が覚めてきたらしいタピオカが鳴いた。これでいいのか、とタピオカも心配している。
「いいんだ、タピオカ。少し距離が縮まりすぎてしまったから、こうするのが正しいんだ」
 自分に言い聞かせるようにアキラは言い、再び歩き始めた。
 自然と頬に力が入る。そうしなければ、また後ろを振り返ってしまいそうで、怖かった。

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