無垢でいられなかった花3 つり球 はりきってスタートライン 2013年04月29日 長いので折り畳み ぐるぐる。ぐるぐるとユキの頭の中でめまぐるしく記憶が溢れる。 苦しくって、切なくて。痛む胸をユキはそっと手で押さえる。 頭の中の映像が切り替わっていく。それはアキラが家から出ていこうとする時のものだった。 ――何か言わなきゃ。 急ぎ足で玄関から出ていくアキラの背中に、ユキは焦っていた。だけどうまく形にできない気持ちばかりが、ユキの喉にせり上がってしまう。呼吸が詰まって、苦しい。 でも――言わなきゃ。言わなきゃ! 急ぐ気持ちがユキを後ろから押す。早くしないと行っちゃう。きっと今を逃したら、もう言えなくなっちゃう。 だけどわからないんだ。俺は、アキラに、何を言えばいいのか。 迷って立ち尽くすユキに、アキラは振り向きもせず家を出ていく。ガラスの向こうに見えるアキラの姿は、まるで水を通して見ているみたいに遠くぼやけていた。 次に浮かんだのは『アイツ』を釣りに荒れた海を出港した時の記憶だ。 荒れた海を青春丸が進んでいく。向かう先は『アイツ』が潜んでいるナブラのあるところ。 台風が近づいている。雨も強くなって、波も高い。ユキは足を踏ん張り、襲い来る波に耐えた。釣り竿を持つ手に自然と力が入る。絶対、絶対に釣らなきゃ――ハルのためにも。 ユキは船の高いところに上ったハルを見上げた。ハルは両腕を大きく広げ「んんんんんー!」と海を睨んでいる。今、ユキたちが『アイツ』に操られずにすんでいるのは、ハルががんばっているからだ。「――ユキ」 後ろから夏樹が呼んだ。顎で運転席をしゃくり「着くまで休んでろ」とユキに言った。「そんな、俺だけ休むなんて」「お前だからこそだろ。これから超大物に挑むんだ。今から力んで、いざって時に力抜けたらやばいだろ」 夏樹はさっさとユキの手から竿を奪い取った。ユキの腕を掴んで、運転席に押しやる。「夏樹!」「タックルとハルはこっちに任せとけ。アキラ、ユキのこと頼んだ」「わかった」 操縦桿を握るアキラが頷く。そして夏樹はすぐに船上へ戻っていった。 いいのかな。みんな頑張ってるのに俺だけ……。 ユキはそわそわと辺りを見回した。タックルを組んでいる夏樹。ナブラの元へ青春丸を走らせるアキラ。そして必死にユキたちを『アイツ』の影響から守ってくれるハル。「――ユキ」 ユキの困惑を読みとったようなタイミングで、アキラが「いいから少しでも休んでいろ」と言った。操縦席のレーダーや外の様子に視線を巡らせ、ナブラに向かって船を動かしている。「JFXを釣り上げるのはお前しかいないんだ。コンディションを少しでもベストの状態に近づけておけ。……失敗は許されないんだからな。ハルのためにも――休んでおけ」「……ハル」 ユキは操縦席から見えるハルの背中を見つめた。ハルは一人でナブラの底にいる『アイツ』を、江の島から遠ざけようとしていた。自分を犠牲にして――すべてを背負って。 多分、俺が釣れなかったら、ハルは恐らくまた一人で行こうとするだろう。それだけは絶対にダメだ。「……わかった」 ユキは運転席の隅に腰を下ろした。今俺のやることはちょっとでも休んで力を蓄えること。そして『アイツ』を釣り上げる。もうハルに無茶をさせないためにも。「……それでいいんだ」 アキラがぽつりと言った。油断すれば波音にかき消されそうだったが、声が悔しさに滲んでいる。 アキラの表情は後ろのユキからはわからない。だけど、ハルを見てるんだろうなと言う気にさせた。 ハルのこと、アキラはどう思ってるんだろう。ユキの胸に疑問がうえつけられる。世界の命運を決める釣りが待っていたから、口には出せなかったけど。 次に浮かんだのは、夏樹がアメリカに旅立った数日後の記憶だ。「落ち込んでるかと思って」 冗談めかして言いながらも、アキラは釣りに誘ってくれた。夏樹の旅立ちを見送り、後からじわりとしみ出てきた寂しさをアキラなりに紛らわせてくれたんだろう。 夏の終わりにシーバス釣りの勝負をした海岸で、二人並んでルアーを投げた。そしていろんな話をした。ハルのこと、夏樹のこと。夏のバイトのこと。――みんなで頑張ってウララを釣り上げた日のこと。「ハル、元気かな」 リールを巻きながらユキは空を見上げた。ハルのことだから今も笑って、気持ちよさそうに水中を泳いでいそうだ。アイツは、魚だから。「……そうだな」 ユキの明るい問いかけに反し、アキラの声は沈みがちだ。海面を見つめ、無言でリールを巻いている。一度ルアーを手元に戻し、また大きくロッドを振りあげキャスティングする。赤いルアーがついたラインが、遠く飛び、海面へ落ちた。「アイツのことだから、騒がしくしてるんじゃないか? ココが苦労してそうだ」「はは、ありえる」 ココはハルよりもしっかりしていた。それはまだまだ子供っぽい兄に、しっかりしなければと妹なりの危機感があったのだろう。同じ兄でも、ハルも夏樹ではかなり違っていて、おもしろい。 ユキの竿に当たりはこず、もう一度キャスティングする。さっきより横にずれた位置にルアーを投げた。 ちらりと横目でアキラを伺う。声から元気がないと判断していたが、やっぱり表情も覇気がなかった。 アキラも寂しいのかな。ユキは思い切ってずっと疑問だったことを口にした。「アキラってさ、ハルのことどう、思ってたんだ?」 リールを巻くアキラの手が止まる。「どう……って」「夏樹がいないからって俺の落ち込む顔見に来たって言ってるけど、アキラだってハルがいなくなってから落ち込んでる顔してるからさ」「別に俺は落ち込んでなんかいない」「アキラはそうじゃないって思ってても、俺からはそんな風に見える」「そんな風ってどんな風?」「ハルがいなくて寂しい感じ、かな」「…………」 反論を続けていたアキラは、とうとう黙り込んでしまった。言いたいことが思い浮かばず、唇をひん曲げている。「アキラとは仲良くなったと思ったら、すぐに帰っちゃったからなあ。最初あんなに怯えてたのに」 アキラが目に入る度、急いで背中に隠れていたハルを思い出し、ユキは笑った。今ではもうすっかり懐かしい思い出だ。「……こっちとしてはそれで良かったのかもな」 ぽつりとアキラが呟く。ユキは「え?」と目を丸くした。 どういうこと? そうユキが聞き返そうとした瞬間、ラインから引っ張られる力が竿に伝わってきた。シーバスがヒットしたんだ。 ユキは慌てて竿を立てる。そしてシーバスを釣るのに意識が集中してしまった。その結果アキラには真意を聞けないまま、釣りが終わってしまった。 もしかしたら、この時にはもう、アキラは気づいていたんじゃないか? 自分がハルをどう思っていたことを。だからあんなことを言って、恐れてたんじゃないんだろうか。必要以上に縮まるハルとの距離を。 ぐるぐる。ぐるぐるとユキの頭の中でめまぐるしく記憶が溢れる。 二人のことを考えると、胸が苦しくなってしまう。 俺が友達が幸せなら、とても嬉しい。だからハルとアキラが笑いあっていると、胸がすごく暖かくなるんだ。幸せって、こんな風に感じられるものなんだなって。 だから二人が離ればなれになって、俺まで悲しくなってしまう。 どうしたらいいんだろう。俺はあの時、どうアキラに言うべきだったのか――まだ、わからないんだ。 ユキは瞼を開けた。横になっていた自室のベッドから身体を起こす。考えごとをしているうちに眠っていたらしい。カーテンが開いていた窓から白々と夜が明けていく海が見えた。「……」 寝起きのまだ思考が重い頭でぼんやり外を眺め、ユキはベッドから降りた。ベランダに続く扉を開けて、外に出る。 朝の空気は夏とは言え、まだ涼しい。薄手の服だとちょっと寒い。自分の身体を抱きしめつつ、ユキはそっとハルの部屋の扉を開けた。隙間から部屋の様子をうかがう。 ほとんど物がない殺風景な室内の真ん中に、ゆったりとした椅子が置かれている。そこに身を凭れて座り、ハルが眠っていた。椅子で眠るのは足下に水を張った水面器を置くためだ。魚であるハルは水分を保つため、乾いてはいけない。 カーテンをしめきり、暗い部屋の中でハルは穏やかな寝顔を見せていた。どんな夢を見ているのか、口元がたわんでいる。 手首には黄色いブレスレット。肌身はなさずつけるようになったそれに話しかけているハルを、ユキは何度か見かけていた。 途端にユキの胸が、締め付けられるように痛む。 ハルを起こさないよう静かに扉を閉め、その場を後にした。足早に自分の部屋に戻る。窓際に置いていた竿立てから、竿を手に取り釣りの準備を始める。 ――こう言う時こそ投げんだよ。 ――なんか、釣りしたくね? いつか夏樹が言っていた言葉を思い出す。 今ユキは釣りが思い切りしたくなっていた。ルアーを胸の中でたまっているもやもやごと、遠くまで飛ばしたい。悩んでいる答えを引っ張り出すように、魚を釣りたい。 ルアー入れをリュックに入れ、着替えたユキは竿を手に部屋を出た。「あら、ユキくん」 向かった釣り場には先客がいた。見知った顔に「おはようございます」とユキは挨拶をしながら隣に立つ。 先客――海咲は「おはよう」と快活に笑った。ヘミングウェイのエプロンを外した海咲はアングラーの顔をしていた。手にした竿を振り、ルアーを投げる。 ひゅっと音を立て、ラインを引っ張りながら飛んでいったルアーは海面に落ちていった。綺麗なキャスティングに、ユキは魅入ってしまう。「釣りにきたんじゃないのかな、ユキくんは」 くすくすと海咲に笑われ、ユキは慌てて準備を始めた。その場でしゃがんでリュックをおろす。道具を出してタックルを組んだ。選んだルアーと釣り糸を、しっかりとユニノットで結ぶ。 支度を終え、ユキは釣り竿を手に腰を上げた。静かな水面を見つめ、考える。魚はどこにいるか。どんな風に泳いでいるか。想像し、そして狙いを定める。「エノ、シマ、ドン」 もう口にしなくてもキャスティングは十分にこなせる。しかしユキは、もう数え切れないぐらい言ってきた言葉を口にして、ルアーを投げた。「そうだ。今日船長は?」「歩ちゃんならまだベッドでおやすみ中。夏休み入ったから毎日のように海に出てるでしょう? だからどうしても疲れ溜まっちゃうだろうし、たまにはね~」 茶目っ気たっぷりに笑う海咲に、ユキは乾いた笑いを返した。海咲と歩が結婚してからもう半年以上経つ。長くはない間に、海咲はもう歩を尻に敷いているようだった。また船長が店長に愚痴を言う回数が増えるかも。そう思いつつも幸せそうな二人に、ユキの頬はゆるむ。「今年も俺、青春丸のバイトしましょうか?」「そうね、歩ちゃんに聞いてみるわ。でもヘミングウェイのバイトもあるし、去年よりは海に出る回数少なくなるかもね」「はい。わかりました」 一応頷いたが、内心ユキは残念がった。青春丸のバイトは、終わった後で歩に海づりをさせてもらえる。夏樹から任されたヘミングウェイのバイトも大切だ。しかし、海釣りの回数が少なくなるのも、ちょっともったいなかった。「――それで、何を悩んでいるのかな、少年?」「えっ!?」 俺が悩んでるって、気づいてる。驚いてユキは海咲を見た。海咲はアングラーから頼りがいのある姉の顔へと変わっていた。「ほらほら、言っちゃいなって。楽になるわよ~」 からかうように海咲は笑っているが、ユキはそれが本心からじゃないとすぐに悟った。抱えているものをちょっとでも言いやすいよう、ユキを導いてくれる。 ユキも以前までのユキとは違う。ケイトしか頼れる人がいない子供じゃない。辛い気持ちを受け止めてくれたり、共に考えてくれる人が今のユキにはたくさんいた。 ユキは一度大きく息を吸ってから、海咲に悩みを打ち明けた。だが、さすがに全部を明かすわけにもいかない。何しろ男同士の恋愛事情だ。時に声がつっかりながらも話すユキに、それでも海咲は相づちを打ちながら聞いてくれる。 事情を説明したユキに、海咲は「なるほど」と頷いて。「ユキくん、よかったわねぇ」 何故か笑った。「――ええっ!?」 よかった、の意味がわからず、ユキは冷や汗を流す。あれっ、どうして悩み相談してよかったなんて言われるんだろ。頭の中をせわしなく疑問符が飛び交う。「ごめんごめん。悩み相談してるユキくんに言う言葉じゃなかったわね。でも今本当にそう思ったの。去年のユキくんとは全然違うから」 海咲の表情は、完全に弟の成長を喜ぶ姉のようなものへと変化していた。「去年の君はぜんぜん頼りなくて、釣りもすぐやめちゃうだろうな、もう来ないんだろうなって、はじめはよく思ってた」「俺もそう思ってました」 宇宙人だと言うハルに振り回され、釣りをするよう強要されていたユキは後ろ向きだった。どうして俺がこんなことをしなきゃならないんだ。釣りなんてしたくない。ただ普通に暮らしていたいだけなのに!「やっぱり」 からからと海咲に笑われて、ユキは照れくさくなった。もう一年も前の出来事を昨日のことのように言われるなんて。「でももう、私はユキくんが頼りないとかなんて思わないわよ。ヘミングウェイのバイトも頑張ってくれてるし、すっごく見違えた」「ヘミングウェイのバイトは、夏樹にまかされたから」 アメリカに行った夏樹に頼まれて始めたヘミングウェイのバイト。いつか戻ってくる彼に胸を張っていられるように、役目を果たしていきたい。「うん。ユキくんはやっぱり前とは全然違ってるわ。今、すっごくいい顔してるのわかる?」 海咲がユキにほほえんだ。ユキは首を振る。見てみたいような、でも見るのがちょっと怖いような、そわそわしてしまう。「してるわよ」と海咲は言い切る。「だから、他の人の心配も出来るようになったんじゃないかな。それってきっと、自分のことを考える余裕が生まれたからだと思うの」「あ……」「ユキくんは今、自分よりハルくんやアキラさんのことを優先している。それってね、簡単なようで意外と難しいことだって思うの。君の場合は特にね」「そ、うですか?」「うん、そう。だって昔の君はすぐにテンパっちゃうから、自分のことだけでいっぱいいっぱいじゃなかったかな」 言われてみれば海咲の言うとおりだ。誰かのことを考える余裕はそんなになかった。「だから、よかったね」「あ……ありがとうございます」 まさか悩みの相談でよかったなんて言われると思わなかったユキは、顔を赤らめながらも海咲に礼を返した。誰かに認めてもらえるのが、とても嬉しい。 しかし肝心な相談がまだ一歩も進んでいなかった。「――それでハルとアキラのこと、どうすればいいと思いますか?」「うーん、そうねえ……」 海咲は朝の空を見上げて考える。「いっそ、アキラさんを海にでも突き落としちゃう?」 いきなり答えがユキの予想を斜め上へと飛んでいく。目をむくユキに、海咲は「だってアキラさん意外と真面目じゃない。ユキくんの話聞く限り、考えすぎちゃってるように感じるわよ」とあっけらかんに言った。「いやでも、それは……」 過激なんじゃ。ユキは口ごもる。「でもユキくんだって、見ててもどかしいところあるんじゃないかしら?」 海咲の指摘ももっともだった。アキラはハルが好きだ。そしてハルもアキラを憎からず思っているだろう。「だってねえ、アキラさんハルが江の島に戻ってきてから、ぐんとこっちに来る回数増えたじゃない。どう思ってるか端から見ればわかるわよ。歩ちゃんの時と同じ気持ちを味わうなんて思ってもいなかったわ。これだから男は弱腰になられてもこっちが困るってのにね」「はは……」 プロポーズの騒動を思い出し、ユキは苦笑で海咲の不満を受け流した。もしかしてアキラがハルのことを『そういう意味』で好きなことも見抜いているんじゃないか。ユキはそう思ったが、口にはしないでおいた。世の中答えを知らない方が幸せなときだってある。「俺、何かアキラに言わなきゃと思ったけど、うまく言葉に出来なくって……」 ちくりとユキの胸が痛む。アキラが出ていった後、誰もいなくなった玄関でユキは呆然としていた。ケイトは「帰ってくるわよ」と笑っていた。 しかし、あれからずっとアキラは帰ってこない。 まさかもう来ないとかないよな。沸き上がる不安をユキは必死に拭うが、消えてくれない。 もしも俺がアキラを引き留められる言葉を言えてたら――。 ユキはリールに視線を落とした。悩む心中を察するように、釣り竿には当たりが来ない。このままだと、魚も答えも引き寄せられなくなりそうだ。増していく不安が、ユキの心をかき乱す。「うまくなくたっていいじゃない」 悩むユキに対して、海咲の答えははやり簡潔だった。「うまくなくたって、きちんと受け止めてくれる人はいるし、もし失敗しても私や――歩ちゃんとか力になってくれる人もいる。だから怖がらずにぶつかっちゃいなさい」「海咲さん……」 海咲の言葉が、とん、と悩んで小さくなったユキの心を叩いた。ケイトのような穏やかさはないが、つまづいたら引っ張って起こしてくれるような力強さがある。「――はい」 しっかりと頷くユキに「うんうん」と海咲は満足そうに頷き、リールを巻いた。戻ってきたルアーを引き上げ「じゃあ私は他に行こうかな」と片づけを始める。「え? 海咲さんが先にきてたんだし、俺が――」「ユキくんは大切なことを考えるのは一人の時なんでしょう? ハルが言ってたわ」 ぽかんとするユキに海咲がいたずらっぽく笑った。「しっかりたくさん考えて、後悔しないようにしなくちゃね。がんばれ若人っ」 ユキの肩を軽く叩き、海咲は行ってしまった。まるで台風のように過ぎ去っていく後ろ姿をユキは呆然と見送る。 ――怖かったのかもしれない。 もしあそこで下手なことを言ってアキラを傷つけたら、もう江の島には帰ってこない気がしていた。そうしたらハルが悲しむ。ハルが悲しいなら俺も悲しくなってしまう。それに俺はあの二人が幸せそうなところを見るのが好きなんだ。 ユキはリールを巻いた。ルアーを一度手元に戻し、きっと海を見据える。 右足を後ろに引いた。深呼吸をして、釣り竿を大きく振りあげた。「エノ、シマ、ドン――!!」 さっきよりも大きな声で叫び、ユキはルアーを投げた。くすぶってる迷いごと海にぶつけるように。 そうだ、俺は二人が好きで、お互いがお互いを好きだからこそ、一緒にいてほしいんだ。だってハルもアキラも、俺の大事な――トモダチだから。 ユキは瞼を閉じる。 ぐるぐる。ぐるぐるとユキの頭の中でめまぐるしく記憶が溢れる。 思い出したのはウララを釣りあげるため青春丸に乗り込んだ時のことだ。突然現れたDUCK隊員に対し、アキラは一歩も引かなかった。抵抗すれば隊員資格を剥奪されてしまうのに、それでも立ち向かいハルを助けてくれた。はじめはあんなにハルを警戒していたくせに。 次に思い出したのは星に帰ったはずのハルが、また江の島に現れた時。 ハルが戻ってきたと連絡を入れたその日に、アキラは江の島にやってきた。ヘミングウェイに駆け込んできたアキラは、スーツの乱れも気にせず、店内を見回していた。 すごく慌てた様子のアキラを見つけ、ハルはたちまち嬉しそうに笑顔を咲かせた。――まるで、ばあちゃんの育てた花みたいに。「ただいまぁー!」 そう言ってアキラに抱きつくハルは、無邪気にはしゃいでいた。はじめは、あんなに怯えていたくせに。 それからアキラが江の島に来る回数が増えてきた。ハルも喜んでる。ばあちゃんがみんな一緒が楽しいでしょう? ってアキラに部屋をかす提案をしてた。アキラは遠慮しながらも、結局はハルに押されてそれを受け入れてた。 台所でアキラがカレーを作ってる。ハルが隣にたって味見をねだってる。 アキラ、喜んでくれるかなあ。旅立つまでに作りたいからと、ブレスレットを徹夜で作るハルは、とても一生懸命で――。 でも、ハルはアキラから『ありがとう』を聞けていない。嬉しい気持ちを言えないまま、アキラは行ってしまったから。「……うん」 なら俺が出来るのは、立ち止まっているアキラに対して背中を押してやることだ。 ユキは目を開けた。もう息苦しさはない。 ぐん、と釣り糸が引っ張られる衝撃を感じた。ルアーに食いついたシーバスが逃げようと動き回っている。 ユキは落ち着いて竿を立てた。今はまだリールを巻くときではない。もし失敗したって、また恐れずに挑戦するんだ。あの一年間でそれを学んできたんだから。 答えは最初からそこにあった。 後はもう――釣り上げるだけ。 ユキは目の前のシーバスに集中する。 これが釣れたらアキラに連絡を取ろう。だから絶対に逃さない。 決意を固め、ユキは釣り竿を持つ手に力を込めた。 [0回]PR