無垢でいられなかった花4 つり球 はりきってスタートライン 2013年04月29日 長いので折り畳み ユキが延々と悩んでいた一方で、アキラもまた目の前の現状に頭を抱えていた。 任務のことではない。新たに発見した宇宙人はそうそうに調査、そして説得を終え故郷の星に帰らせている。 それよりも厄介な人物が今、アキラを悩ませている一因となっていた。 アキラはうんざりしながら、とある場所の一室でモニター越しにその人物を見た。「ごくろうだったな、ヤマーダ。後は完璧な報告書があれば言うことはない」「仕上げてみせますよ。貴方が通信を切ってくれたらもっと速くなりますが――ジョージ・エース」 刺々しい声で皮肉を言うアキラにジョージ・エースは口に手をやり優雅に笑う。「はは、謙遜は良くないなヤマーダ。お前ほどのものなら私と話していても、報告書をあげるぐらい容易いものだろう?」 首に巻いているファーとサングラス、毟り取ってやろうか。アキラは内心毒づいたが、それをおくびにも出さず「いえいえ、私なんぞと話して、貴方の貴重なお時間の浪費をさせないためですよ」とわざとらしく笑って見せた。「そう邪険に扱わないでほしいものだなヤマーダ。私はお前を信頼している。それに、忘れたわけではあるまい。お前が何度も江の島と任務地を行き来しても咎められないのは誰のお陰か」「……わかっていますよ、ジョージ・エース」 アキラは軽くため息をついて諸手をあげた。「それは貴方が目を瞑っていてくれているお陰だ」 ハルが戻ってから、アキラは何度も江の島に足を運んでいる。本来なら任務に集中すべきであり、任せられた土地から離れてはいけない。アキラの無茶は、ジョージ・エースに見逃してもらっているからこそ可能だった。「しかしそれももう必要ありません。私はDUCK隊員の一人として――」「果たして、それは本当かねヤマーダ」 ジョージ・エースがアキラの決意を遮った。つい、と手を前に伸ばし「そのブレスレットはどうした」とアキラの左腕を指し示す。「これは……」 アキラはとっさに指された左手首を右手でブレスレットごと覆った。ハルから贈られたブレスレットを、アキラはずっと肌身離さず持っていた。「ずいぶん大事そうにしてるじゃないか」「別に、そんなことは」 アキラは言い淀んだ。あり得ないが、まさか見られているんじゃないよな。江の島でもハルを監視していたつもりが、こちらまで動向を見張られていたから。 つい後ろめたい気分になり、唇を噛む。ブレスレットを大事に撫でている場面とか、まるで恋人であるかのように甘い声でハルの名前を呼んでしまったりだとか――もし見られているんなら、俺は恥ずかしさで死ねる自信があるぞ。 ジョージ・エースは優美な笑みを保ったままだ。それを見ていると、まさかそんなことはないだろう、と笑い飛ばせない迫力があった。 アキラの考えを裏付けるように、紫のルージュを塗った唇が弧を描いた。「お前をそこまで変えたJF1は大した宇宙人のようだ。今まで任務に没頭するしかなかった男が、ここまで慌てる様を見せるとは」「……それは貴方にも言えることでしょう」 負けずにアキラも言い返す。「他の上司が驚いていましたよ。ジョージ・エースは随分丸くなった、と」 江の島で起きたJFXの騒動からジョージ・エースの取る方針は変わってきていた。必要とあれば軍事介入も辞さなかった方針が一変し、地球人と宇宙人が共に被害が及ばないよう穏便な策を選ぶようになった。そして部下を信じ、上からの圧力をかけないよう取りはからう。「ああ――。お前は洗脳されたのか、と他の奴らからうるさく言われたな。私は洗脳などされていないと何度も言っているのに……戯れ言を」 白けたようにジョージ・エースが言った。「強いて言えば影響された、のが正しいな。ヤマーダ、お前にな」「私は貴方を洗脳した覚えはありませんが」「洗脳ではないと言っただろう、影響だよヤマーダ。お前の愚かさと直情さにな」 ジョージ・エースは遠くない過去を顧みる。 優秀な部下だったアキラの乱心は、JF1による洗脳だと確信していた。そして我らは宇宙人から地球を守る意義を持った組織の人間。だからこそ、ジョージ・エースは自らを信じ、アキラの代わりに現場へ立った。いざとなれば地球人を危険にさらす宇宙人を排除することもいとわない。 しかしアキラは諦めなかった。捕らえたJF1を助けだし、JFXを釣り上げるために荒れ狂う海へ船を出した。例え隊員資格を剥奪すると脅しても迷わず、DUCKに逆らった。 後先考えない、愚直な行動。だが、敵視していたはずのJF1を信じるアキラの姿に、ジョージ・エースは心が揺さぶられていた。そこまでして、彼を動かすものはなんなのか。それを知りたいと思った。理解したら、宇宙人との間に敵視とは別のもので繋がれるんじゃないか。そんな予感めいたものを抱いて。 残念ながら、まだジョージ・エースには確信に至る理由を見つけられないでいる。しかし、はっきりわかることもアキラの行動から見つけていた。「ヤマーダ、正直に言いたまえ」「……」 沈黙を保つアキラに、ジョージ・エースははっきりと切り込んだ。「お前はJF1に会いたいのだろう?」 するとアキラは薄く唇を噛んだ。答えはあるのに、自分から塞いでしまっている。だが、アキラの気持ちがどこにあるのか、それを見ただけでも明白だった。「そうなのだろう?」 重ねて問うジョージ・エースに、アキラはゆっくり頭を振った。「そんなことはありませんが」「すぐにバレる嘘はつくものではないよ、ヤマーダ」「私は公私混同する人間ではありません」「つい一ヶ月まえまで混同しまくっていた人間が言う言葉ではないな」 皮肉が籠もった言葉に、アキラは呻く。「いい加減認めたまえ。今君がどんな顔をしているか教えてやろうか。恋人に会えず一日千秋の思いを抱えている表情をしているぞ」「――ぶほっ」 とどめを刺され、アキラは思わずせき込んだ。モニターから顔を反らして口を押さえる。いきなりなにを言い出すんだこの上司は! モニターの向こうから、ジョージ・エースが声高らかに笑っていた。だからあまり長く話していたくなかったんだ。アキラは苛立ち、眉間にしわを刻む。 アキラは手で口を押さえた。もう余計なことを言わないように。もう一本手があったら、両耳も塞いでしまいたい。 誰も彼も――俺の心を揺さぶるんじゃない。俺はハルからまだ距離を取るべきなんだ。 しかし耳をふさげないアキラの耳に、ジョージ・エースの声が届いた。「お前にはしばらく謹慎してもらう」「――は?」 一瞬、何を言われたのかアキラは理解できなかった。口から手を離し、モニターに向き直る。呆気にとられたアキラを余所に、ジョージ・エースは一人で話を進めていく。「当分の間、私の指定した場所にて大人しくしてもらおう」「いきなり何を……」「何、お前のかわりなどいくらでもいる」 既視感を覚えるやりとりに、目眩がしそうだ。アキラは頭を支えるように手で押さえる。江の島での騒動ならいざ知らず、今謹慎される理由がアキラには見当たらない。「ちょっと待ってください。理由はなんなのか教えてください」「理由? お前のその顔は見飽きた。それで十分だろう?」 にべもなく言われ、とうとうアキラは絶句した。愕然と両手をぺたぺたと頬に当てる。俺は今、マジでどんな顔をしてるんだ!?「これはお前を見限るのではない。誇りあるDUCKの一員としてなすべきことをしてもらうだけだ」 ジョージ・エースが愕然としているアキラを見た。紫のサングラスの向こう、切れ長の目がすっと細まる。「――休め。今のお前は身をすり減らしているように見えて痛々しい。私はそのように美しくないものは見たくないのでな」「任務に……美しいも何も関係ないでしょうが。私には首を縦に振る必要性が見当たりません」 頑として譲らないアキラに、ジョージ・エースも言い返した。「ああ、お前はそう言うと思っていた。だから謹慎と言ったんだ。これは既に決定事項である。よってお前の意志は関係ない。――以上だ」 一方的に通信は切られ、モニターは真っ暗になる。 好き勝手言いやがって。アキラはモニターを睨みつけた。 不毛な会話に精神をすり減らしたアキラは、長く深いため息を吐いた。座っていた椅子に凭れると、疲れてしまった身体が重く感じる。 こっちは今までわがままを通してしまったのは事実だ。だから真面目に働こうと思っていたのに、この仕打ち。あの上司は俺に恨みでもあるのか。 天井をぼんやり見上げ、アキラは静かに息をつく。膝の上に置いていた左手首から伝わる堅い感触に、ゆっくり視線を下ろした。 赤いビーズのブレスレットが、存在を主張している。同時に思い出すのは、苦くも切ない記憶だ。「……ハル」 最後に見たハルの姿は、慌てたユキに引っ張られて真田邸に戻るところだ。 ブレスレットを贈られた朝を思い出す。あの時ハルは抱きしめ、額や頬にキスを落とすアキラを嫌がるどころか、受け入れてくれた。それがアキラにとってはとても恐ろしいことに感じた。あのまま、ハルに甘え続けていたら、俺はきっとアイツを汚してしまっただろう。 ハルはその名前の通り、無邪気に笑うのが一番にあっている。それを自分が汚したせいで失ってしまったらと考えると、今まで踏み込めなかった。だから近くで面倒見ていられるだけでも幸せだとアキラは納得していた――あの時までは。 俺はどうしようもないところで、やっぱり男なんだよ、ハル。 抱きしめた瞬間、アキラはハルの肌をさらけ出し、貪りたい欲求が芽生えていた。白い肌に痕をつけて、奥の奥まで自分を刻み込んでやりたい。俺の名前を呼ぶ声を甘く揺らして、喘がせたい。夢で何度もしていたように。 ハルはまだ精神が幼いところがあるだろ。そこにつけ込んで、訳も分からないまま奪い取ってしまえよ。そう、心の奥で囁く自分がいた。 結局はユキが駆けつけ、未遂で終わったが。 ――あの瞬間、浅ましい欲情をハルに対して持っている自分が、空恐ろしかった。そして抑えて我慢できるほど、もう大人にはなれないのだと、アキラ自身わかっていた。 江の島から逃げるように出て、もうずいぶん時間が経つ。あちらはもうとっくに夏休みに入っている。ユキとハルはまた青春丸のバイトをするんだろうか。夏樹もアメリカから帰ってくるようなことを言っていた。また周りが賑やかになるんだろうな。 俺は、俺はどうしようか――。 今更、あの輪に戻れない。 ハルに会う資格なんて、ないんだ。 アキラはそう思いながらも愛おしむようにブレスレットを撫でる。 程なくして、アキラの元にジョージ・エースからの通達がきた。 そこに記されていた場所の名前に、アキラは思い切り顔をしかめる。「……どいつもこいつもおせっかいすぎるんだよ」 ――謹慎場所は江の島とする。 そう書かれた文面に、アキラは苦々しく言い捨てた。 釣りから戻ると、ハルが庭の水やりをしていた。広い庭を彩る花に「元気になーれ」とホースで水を楽しそうにまいている。「おはよう、ハル」 サンルームから庭に出たユキをハルが振り返った。「ユキ、おはよう!」と元気よくホースを持つ手を、上下にぶんぶん振る。「ねぇユキも一緒にお水あげようよ~」「よし、やるか」「うんっ! ぼくアレ持ってくるね」 つっかけを履いて庭に出てきたユキに、ハルはホースを託す。そしてホースをつなげている水場から、ピンク色のじょうろを持ってきた。「ユキ、お水いっぱいにして!」 ゾウの形をしたそれを差し出され、ユキは水をいっぱいに注ぐ。「お花さんたち元気になぁれ~」 水で満タンになったじょうろで、歌いながらハルはせっせと水やりをした。聞いているだけで、ユキも気分がうきうきしそうになる。自然と、口元がゆるんだ。 ユキはホースの口を上向かせ、恵みの雨を花や植え込みに与える。葉っぱや花びらの上で、水滴がきらきら朝日を受けて輝いていた。「なぁ、ハル。ハルはアキラに会いたい?」 植木鉢の前でしゃがみ、じょうろを傾けていたハルがぱっと振り返った。「会いたい!」「うん。俺も会いたい」「もうすぐ夏樹も帰ってくる! そうしたらまたみんなで釣りしたーい!」 ハルはもうすっかりその気だ。わくわくしているハルに、ユキもにっこり頷く。夏樹も帰ってくるその時は、アキラもハルも――みんなと一緒でいたい。 でもそれを叶えるためには、ちょっと勇気を出さなければならない。自分の気持ちを偽らずに伝える為の。 でもハルの笑顔を見て、僅かに残っていた不安は消えた。心は凪いだ海のように穏やかだ。 今だったらきっと、あの時言えなかった気持ちを、形にできる。「ユキ、ユキ。お水なくなった。入れて」 空っぽになったじょうろを手に、ハルがユキに駆け寄った。ユキはホースをじょうろに入れて、並々と水を注ぐ。あっと言う間に水でいっぱいになったじょうろを両手で持ち直し「ありがとう、ユキ」とハルははにかむ。 庭に咲く花に負けないきれいな笑顔にユキも「ありがとう」と返した。「どうしてユキもありがとうなの?」 ハルはじょうろを両手に持って、きょとんと首を傾げた。「うれしいことあった?」 不思議がるハルに「なんでもないよ」とユキは首を振って誤魔化す。そして「ほら」とじょうろに傾けていたホースを上に向けた。先を指でつぶし、即席のシャワーを作る。雨のように降り注ぐ水が、花やハルを潤していった。「んー、きんもちいー!」 両手を広げ、ハルはうっとりと水を全身で受け止める。そして「ぼくもシャワーする!」とじょうろを頭上で逆さまにした。 ざばりとじょうろから一気に流れ出た水で、ハルはずぶ濡れになってしまう。「それじゃシャワーにならないだろ」 そう言って笑いながら、ユキはホースの雨を降らし続けた。 ケイトの作った朝食を食べた後、ハルは着替えてヘミングウェイへ出かけた。後でさくらと待ち合わせをしているらしい。今のハルは、ビーズアクセサリーの腕をもっと磨こうと躍起になっていた。 ハルを見送り家に残ったユキは、サンルームのチェアに座る。目の前のテーブルに置かれたスマホを、じっと見つめた。 大きく吸った息を吐き出し、よし、と意を決する。スマホへ手を伸ばし、アキラのアドレスを画面に表示させた。 指で画面をタップし、音声発信をする。 呼び出し音がかかるスマホを耳に当て、目を閉じたユキは、相手に通話が繋がる時を待った。 しばらく待った後、観念したように呼び出し音が途切れた。しばらく聞いていなかった声が届く。「……なんだ」 決まり悪く聞こえるのは、最後に気まずい状態で別れたからか。それはユキも同じで、アキラの声に動悸が激しくなる。 緊張する心を叱咤し、ユキは「アキラに言いたいことがあって」と切り出した。「……言いたいこと?」 スマホの向こうからはアキラのいぶかしむ声と、そして波の音が聞こえた。任務で派遣された場所は海の近くなのかな。「……もう、戻ってこないのか?」「ああ……そんなことか」 投げやりになった声でアキラが笑った。「別に戻る必要はないだろう? これまでだって無理してきてたんだ。わざわざいらない苦労を背負い込む必要なんてない。まぁ……部屋を貸してくれたケイトさんに悪いとは思うが」「そう思うなら戻ってくればいいだろ」 アキラが出ていった後も、ケイトはアキラが使っていた部屋を掃除していた。いつアキラが戻ってきても使えるように。ケイトは、またアキラが帰ってくるのだと信じている。――ハルだって。「俺もばあちゃんも、ハルも――アキラが戻ってくるの待ってんだよ」「そんなこと言われちゃってもなあ……今更だろ」「ハルのことがあったから?」 ユキはアキラが嫌がるだろう部分に、わざと触れた。以前なら、人の嫌がるようなことなんて出来なかった。だけど、こうしなきゃ先に進めないのなら、俺はあえて泥をかぶる。悪者にだってなってやる! アキラが息を飲む。「ハル、ずっとブレスレット身につけてるよ。たまに話しかけてたりもしてる。アキラに届くといいなって、花みたいに笑ってさ」 ユキは朝、花と一緒に濡れながら笑うハルの笑顔を思い出した。その表情が、勇気を振り絞るユキの心を支えてくれる。「……アキラはハルを監視してたって言ってたから知ってるかもしれないけど。アイツいきなり俺の家に押し掛けてきたんだよ」 江の島に引っ越してすぐ、慣れない家に突然現れてきたハル。ただいま、と言うハルにユキは混乱した。けれど、ケイトはそれが当たり前のようにハルの帰宅を受け入れた。 奇妙な生活が始まったのはそれからだ。そして、俺が変わる第一歩だったんだ、とユキは思っている。ばあちゃんの選択は、正しかった。「あれからさ俺、聞いたんだ。どうしてばあちゃんはハルを家に誘ったのって。そしたらさ、ばあちゃんはこう答えてくれたんだ」 ――私、花が好きだから。 そうフランス語で答えた後、ケイトは優しく微笑み、日本語でこう付け加える。 ユキにも花が必要だと思ったから――。「……ばあちゃんは、きっと俺がずっと強がってたの昔からわかってたんだと思うんだ。でも黙っててくれてて、だけどこのままじゃダメだってわかってたんだ。だから、ハルを家に誘った。そのかわり俺と友達になるように頼んだんだ」「……ケイトさんらしい」 小さくアキラが笑った。「俺もそう思う」 ユキも頷いた。俺の友達に友達になってほしいから。そんな理由で会ったばかりの人間――この場合は宇宙人か――を家に招くなんて。俺じゃそうそう考えられない。「俺とばあちゃんは、今おんなじ気持ちを持ってる。ハルはまっすぐに咲く花なんだ」 ケイトの素敵な思いつきは、ユキの心にあった空洞を埋めてくれた。ハルという花が、笑顔を、トモダチを、あきらめたくない気持ちを――たくさん与えて、心を満たしてくれたから。「だから俺はハルを大切にしたい。悲しませたくないし、辛い思いをさせたくない。――枯らせたくない。でも――」 ユキは迷わずに自分の気持ちを形にする。「アキラになら渡せると思うんだ、俺にとっての花をさ」「……ユキ、本気で言ってるのか。お前はそれを大切にしてるんじゃなかったのか」「そうだよ。でもアキラなら、枯らせるなんてしない。きっと大切に大事にして育ててくれる。ハルのこと、幸せにしてくれる。悲しませたりしない」 そして幸せに育った花は、アキラの心を満たしてくれるだろう。ユキ自身がそうなったように。「だからまた、家に帰ってきてよアキラ。俺もばあちゃんもハルも、待ってるから」 ずっと形に出来なかったことを言葉にし終え、ユキはじっとアキラの返事を待った。スマホの向こう、静かに波の音が繰り返し聞こえる。「……どうして俺の周りには、揃いも揃ってお節介な奴が多いんだ」 苛立ちと困惑が混ざった声でアキラが言った。「宇宙人の策略か? 俺をはめてどうするんだ」「策略でもないし、はめるつもりもないよ。俺はただアキラとハルが一緒にいるところを見られないのがイヤなだけだから」「お前さぁ……本当にいいのか? 俺みたいな男にハルを渡してもいいよーってほいほい言っちゃって」「いいよ」 一瞬の迷いもなく、ユキの口からするりと返事が出る。もうユキの気持ちは変わらない。アキラなら、絶対に大丈夫。「ユキ、お前……」 アキラは絶句している。あー、もう、と二の句が告げず困惑しているのがわかった。 信じられないなら、もう一回言おうかな。そうユキが思った時、不意にスマホの向こうから「あーっ!!」とハルの声が聞こえた。「って……ええっ!?」 どうしてハルの声が聞こえるんだ? アキラは任務に派遣された場所にいるんじゃ。混乱するユキを余所に、慌てふためくアキラの声が聞こえる。板張りの地面を走る軽い足音が続いて――。「おっかえりー!!」「うおぁあぁああ――っ!?」 アキラの悲鳴と、盛大な水しぶきがユキの耳を刺激した。 ユキは肩を竦め、耳元で弾ける飛び込み音に目をぎゅっと閉じる。通信は途切れ、スマホの向こうは静かになった。「……な、なんなんだ?」 呆然と呟くユキの脳裏にふとある可能性が浮かぶ。 波の音と、ハルの声。聞こえる足音は木の床を歩いていたように響いてた。そしてハルはヘミングウェイに向かっていたはず。 それらから導かれる答えはたった一つ。 ――もしかして! 大慌てでソファから腰を上げ、サンルームを出た。 玄関で靴を履くユキに「どうしたの、ユキ。そんなに慌てて」とケイトが声をかける。「ちょっと出かけてくる!」「そう、いってらっしゃい」 行き先も告げず急ぐユキを、ケイトは笑って見送ってくれた。「帰るときは、みんな一緒にね。――待ってるわ」 微笑みながら、そう言葉を付け加えて。 [0回]PR