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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

彼は不器用だったので 4

長いので折り畳み


『これ以上は事態が拗れないようにするつもりだ。事件のこともあるし』

 まるで事件がなければ何の対処もしないとも取れる発言。それがなかったら嫌われたままでも構わないようだった。
 陽介との溝を埋められるよう頑張るのではなく、これ以上嫌われないよう努力するだなんて消極的過ぎる。まるで、もう仲良くなれないと決めつけているようだ。
『どう接したらいいかわからないんだ、花村と』
 寂しそうに笑う日向を思い出し、胸のもやもやが一層強くなる。ここがテレビの中でシャドウが現れたらな、と千枝は思った。そうしたらそれと一緒に胸に巣食うもやもやも、空の果てまで蹴り飛ばしてしまいたい。
 事情はわかる。だけどどうして橿宮くんはあんなことを言うんだろう。千枝は不思議に思った。あたしは、橿宮くんが優しいって知っているのに。

「……わっかんないなあ」
 愛家のカウンター席で、千枝は重く息を吐き、箸を置いた。せっかく大好きな肉なのに、箸が進まない。好物の肉丼はまだ三分の一残っている。並盛り一杯なら十分もかからず完食してしまう千枝にしては、残してしまうこと自体なかった。
 露をもったコップを取り、一気に水をあおいだ。氷で冷やされた冷たさが食道を通り、僅かに肩を竦める。
 お腹が一杯になれば、もやもやとかなくなると思ったのにな。腹部を摩りまだ残っている丼に首を捻る。それどころか、そのもやもやは大きく膨れて、重たくのしかかっているようだった。
 多分それは自分のやっていることが全部空回りしてしまったからだろう。千枝なりに原因を考える。今日は日向と陽介の距離を少しでも縮めようと奔走した。だけど、結果は惨敗。陽介もだったが、日向もまた壁が分厚くて。
「千枝ちゃん、今日はえらく少食だね」
 愛家の店主に心配されてしまう程、食が進まなくて悩んでしまっていた。
「そ、そんなことありませんよ」
 曖昧にごまかして笑い、残りをゆっくり食べ切った千枝はすぐに愛家を出た。しかし、気分は全然晴れていない。
 家に向かう足取りは重い。そして頭に思い浮かぶのは、千枝をもっとも悩ませているあの二人。彼らはどちらも相手から逃げている。陽介は日向の考えがわからないから。日向は人と接して来なかったからどうしていいかわからないから。そこで足が止まってしまっていた。
 その足で互いに向き合って話してみれば、案外解決しそうなのに。千枝は考えもどかしさに口を尖らせる。当たって砕けろと昔の人も言ってんのに。
 あたしが何とか出来たら、と千枝は意気込んでいたが、些か荷が重すぎた。難攻不落の二人を前についくじけそうになってしまう。
「……ダメダメ。弱気は厳禁!」
 しかしすぐに思い直す。ここで諦めたらダメだ、と勢いよく首を振った。難しい場面に直面して逃げてたら、それじゃ昔の自分と変わらず、あの時と一緒になってしまうじゃないか。
 強くなるって、決めたんだから。
 千枝は始めて自分の意志でテレビに飛び込んだ日のことを思い出す。

 失踪した親友を追いかけ、霧の中に現れた城を探していた千枝の前に現れたのは、自分とそっくり同じ姿の存在だった。だけど、浮かべる表情は醜く歪み、黄色い虹彩で千枝を睨めつける。
『――雪子ってば美人で、色白で、女らしくて……。男子なんかいっつもチヤホヤしてる』
 驚く千枝を余所に、その存在は好き勝手なことを言い出した。
『その雪子が、時々あたしを卑屈な目で見てくる……。それがたまんなく嬉しかった』
「違う。あたしはそんなこと思ってない」
 愉悦に浸った声に、千枝は首を振って否定する。だけど、心の片隅は動揺に揺れていた。
 それはずっとどこかで思っていたこと。だけど、誰にも言えなかったこと。
 違う。雪子は親友で大切なんだ。あたしはそんなこと思ってない。本当に雪子が大切だもん。本当に。
『――そう、雪子は大切。手放せない』
 揺れる心を見透かして『ソレ』は醜く笑った。鋭く上がった口角。見据えられた視線に、得体の知れない震えが背筋に走る。いやだ。やめて。それ以上聞きたくない。手で耳を押さえても、まるで直接脳に吹き込むように声は聞こえてくる。
『あたしは雪子に人としても、女としても勝ててない。一人じゃ何にも出来ないどうしようもないあたし。だけど雪子はそんなあたしを頼ってくる。……手放せるわけないじゃない。だから、守るの』
 雪子は大事。雪子は親友で大切だから守りたい。そうずっと言い聞かせて自分を守っていた壁に、小さな穴が開く。違う違う違う。あたしはそんなこと思ってない。
『違わない』
『ソレ』ははっきりと断じた。
『あたしはアンタ。アンタはあたし。あたしはアンタが思っていたことを口にしただけ。あってんでしょ?』
「違う! あたし……あたしはちゃんと雪子を助けようって思って、」
「里中! それ以上言うな!」
 後ろから声が聞こえた。振り向くと追い掛けてきた日向と陽介が霧の中でぼんやり見える。
 ――嫌だ。
 見られてしまう。
 聞かれてしまう。
 こんなことをあたしが言ったと思われたら――。
 幻滅される恐怖に、千枝は怯えて叫んだ。
「やだ……、来ないで! 見ないでぇ!」
 これ以上何か言われてしまったら。
「これは、あたしじゃない!」
 やめろ、と陽介が叫ぶ。だけど気にする余裕など千枝には欠片もなかった。心を暴く目の前の存在を、早くどこかに追い払ってしまいたい。
「あたしは雪子のこと、友達だって、大切だって思ってる! アンタの言ってることなんて嘘! ――アンタなんか」
 にい、と金色の目が細くなる。まるで、それを待ち侘びたように。
「アンタなんか、あたしじゃない――!!」
 全てを拒絶した瞬間、狂ったように『ソレ』が笑った。その周囲をどこからか現れた黒いモノが囲み、飲み込んでいく。
 展開についていけず千枝はへなへなと床へ崩れ落ちた。
 怖い怖い怖い。このままじゃヤバいってわかっているのに身体が竦んで動けない。
『我は影……真なる我』
 目の前の気配が動く。さっきより数倍も膨れ上がった『ソレ』は千枝に対し、何かを振り落とした。
「――里中!」
 誰かの声がした。駆けつけた足音が為す術なく呆然としていた千枝を横抱きにし、走り出す。そのすぐ後、千枝がいた場所に鞭が飛んで床を鋭く叩いた。
 驚いた千枝が見上げると、すぐ近くに日向の顔が見えた。
「か、橿宮くん……?」
 遠くから「里中置いて早く戻ってこい!」と陽介の声がした。だから今自分を抱えているのは日向だろう。だけど濃い霧のせいで、どんな表情をしているのか判別が出来ない。
 知られたくないことを聞かれてしまった。その事実に千枝の身体がさっきと違う意味で震え出す。あんなことを聞かれ、軽蔑されたんじゃないか。
 日向は無言で走り、千枝を部屋の隅でそっと下ろした。柱の影にもなっている場所は、襲ってきた化け物から身を守るには打ってつけだった。
 床についた足は力が入らない。千枝は崩れ落ちるように座り込んだ。腰が抜けて動けない。身体の震えも落ち着くどころか激しさを増していく。
「すぐに終わらせる。里中はここでじっとしてて」
 膝をつき日向は千枝に短く告げた。立ち上がり、鞘を抜いた模造刀の切っ先を下方で固定する。そして戻りかけた彼の、制服の端を千枝は「待って!」と必死になって掴んだ。
「里中?」
 怪訝そうに振り向く日向に対し「違うの」と千枝は涙声で首を振った。
「違うの……違う。あたしあんなこと思ってない。雪子に……あんな……あんな……!!」
 とにかく必死だった。全ての終わりのような気持ちが千枝の思考を支配していた。このまま置き去りにされ一人になってしまう不安が、じわりと侵食していく。
 信じて。あんなこと思ってるんじゃない。
「あれはあたしじゃ――」
「里中」
 日向がしゃがんで「落ち着け」と千枝の頬を軽く叩いた。
「ちゃんと、わかってる」
「……え?」
 一杯に涙を溜めた目で、千枝は日向を見上げた。引き結んでいた彼の口元が柔らかく弧を描く。
「『アレ』が里中の全てじゃない。誰だって同じ。これぐらいで里中を嫌ったりしないよ」
 学ランの裾を掴む手を日向がそっと外す。さっきまでみっともないほど体が震えていたのに、伝わる手の温かさが千枝に平静を取り戻させる。
「……かしみや……くん……」
 どうして、と問いかける前に床を鞭で打つ音が広い部屋に反響した。続いて「橿宮!」と陽介の大声が急かす。
 日向は一瞬陽介の声が聞こえた方を振り向いたが、すぐ千枝の方を見た。
「とにかく里中はここにいて。すぐに終わらせるから」
「あ――」
 立ち上がり日向は素早くきびすを返した。走り出す姿はあっという間に霧に紛れ、見えなくなる。
「………………」
 千枝は日向の体温が伝わっていた手に触れた。あんな、あんなに見苦しいところを見せたのに。嫌ったりしないって日向ははっきり言ってくれた。
 日向が消えた方向を見つめる。千枝の目から零れが涙が膝の上で握りしめた拳に落ちた。


 考えているのに夢中で家についたのすら気づかなかった。ワン、と鳴き声が耳に飛び込んだ千枝は反射的に顔を上げた。玄関口からリードをいっぱいに伸ばして犬が千枝を出迎える。
「ただいま、ムク」
 千枝は尻尾を大きく振る飼い犬の元へ駆け寄ってしゃがんだ。頭や首の辺りを大きく撫でてやると、気持ちいいようでムクの目がうっとりと細くなる。
「……しかしアンタ、また太った?」
 たぷたぷした重い触感に、千枝は疑いの目を向けた。餌のやり過ぎか、運動不足か。明らかにお腹回りが前よりも丸くなっている。
 ムクは心外だ、と言いたげにぷるぷると首を振った。しかし手を伸ばすと掴めてしまうお腹周りの贅肉は、紛れもなく太っている証拠だった。
 家族の一員だし、ムクには長生きしてほしい。
「散歩いこっか」
 首根の辺りをぽんぽんと叩いて千枝は立ち上がった。ムクに運動させるのはもちろん、頭を空っぽにしたら日向たちのことでいい考えが浮かぶかも。少し考えの整理が必要だと判断する。
 いそいそと鞄を置いてリードを取りに行く千枝の背後で、ムクが不満を表すように鳴いた。


 ムクの散歩は、鮫川河川敷を通り商店街を抜けていく。そして帰り道に通りかかる惣菜大学でビフテキ串を買うのが恒例だった。
 しかし今日は同じ商店街にある染め物屋から出てきた姿に、ビフテキ串のことが頭から吹っ飛んでしまう。
 あの着物姿。見間違えるはずがない。
 雪子だ。
 久しぶりに見る親友の姿。千枝の中で喜びがふつふつと沸いてくる。居ても立ってもいられず、思わず「雪子ーっ!」と大きく手を振ってムク共々駆け出してしまった。
 突然呼ばれ驚いて上げた雪子の顔が、千枝を見つけみるみるうちに綻んだ。
「千枝!」
 二人は手を取り合って偶然を喜んだ。雪子とは、テレビの世界から救出して家まで送り届けた後携帯でのやりとりしかしていないから。
「雪子、もう大丈夫なの?」
 着物でいるところから考えれば、雪子は旅館の手伝いをしているんだろう。体調を気遣う友人に雪子は「うん」と微笑み頷いた。
「うん。もう殆どいつも通りだよ。……あ」
 二人の間に座り見上げてくるムクに気づいた雪子が「チョーソガベも元気そうだね」と声を弾ませる。どこかセンスがずれた呼び方に目眩がして、千枝は頭を押さえた。
「雪子……。チョーソガベじゃなくってこの子はムクだってば」
 指摘すると「え、そうだっけ?」とテンポのずれた答えが返ってくる。
「私の中じゃこの子はもうチョーソガベだから、イメージがそれで固まっちゃって」
「……ま、まあ最初にムクを拾ったのは雪子だし」
 チョーソガベ、としゃがんでムクを撫でる雪子に千枝は苦笑いした。
 まだ子犬だったムクを拾ったのは雪子だった。しかし旅館を営んでいる家では飼うのも難しく、結果千枝が引き取って今に至っている。ムクも拾われた記憶が残っているのか、雪子には千枝以上に懐いていた。
 ムクは雪子に撫でられとても気持ちよさそうに目を細めていた。千枝はムクを可愛がる雪子を万感の思いで傍で見つめる。
 ――雪子、元気そう。
 それに前と変わらない笑顔をこっちに向けてくれる。今までだって当たり前のことだったのに。それがとても嬉しい。
 不意に目頭が熱くなって、乱暴にジャージの袖で目を拭った。
「雪子、体調はもう大丈夫なの?」
 千枝は尋ねた。テレビの中は霧を見通すメガネがないと酷く疲れてしまう。加えて雪子は何日もあの中にいたのだ。救出した時だって体力を消耗していて、歩くのすらままならなかった。
「うん、もう大丈夫」
 腰を上げて答えた雪子は笑い、千枝の不安を払拭する。
「随分休んじゃってたから少しずつお手伝いするようになったの。ちょうど、団体さんも入っちゃって」
「え? 大丈夫だったの?」
「仲居さんや板さんたちがね、協力してくれてるから。いつもよりうまく回ってるの」
 笑みを零して「私、今まで気張りすぎていたのかもしれない」と雪子は小さく舌を出した。
「皆のこと信用しないで、自分がいないと駄目だって思いこんじゃってた。だけどそんなこと全然……なかった」
「雪子……」
「千枝も……ごめんね。すごく心配かけちゃったね」
 突然謝られ千枝は「えっ、そんな」と慌てて首を振った。
「だって雪子は……親友だもん。心配すんの当たり前じゃん」
 親友、の言葉に一瞬雪子は目を見張った。呆気に取られた表情をし――戸惑いが嬉しさへ変わるように微笑む。
「ありがとう……千枝」
 はにかむ雪子に千枝も「ううん」と笑った。心がすっきりしていく。最近どこか気持ちがボタンをかけ間違えたようにすれ違っていたのが、嘘のようだ。
「あのね、千枝」と改まったように雪子は千枝の両手を握りしめた。
「私が千枝にいろんなこと思ってたのは、あの……お城で聞かれちゃったけど。それでも私、千枝と一緒にいたい。だから」
 まっすぐ千枝を見る。緊張で千枝の手を握りしめる力が強くなったのがわかった。
「だから……これからもよろしくして、いい?」
 恐る恐る想いを口に昇らせ、まるで一生のお願いをしているような表情で雪子は千枝の返事を待つ。
 千枝の答えは、もちろん最初から決まっていた。
「んなの……いいに決まってんじゃん! あたしは雪子の、雪子はあたしの親友。ずっと前からそうだったし、これからだってずっとずっとそうだよ!」
「……ありがとう、千枝」
 真っ直ぐな言葉に、雪子の目から光るものが滲んだ。
 あたし、雪子を護れたんだ。親友の笑顔にようやく千枝は実感を覚える。
 二人の間でおとなしく座っていたムクが一声鳴く。まるでムクを家で飼うことになった、あの日みたい。千枝は初めて雪子と出会った日の出来事を思い出し――。
「……あ」
 そしてあることに気づいた。
 そうか、そうだったんだ。

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