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名前呼び




「なー、聞いてくれよ日向。あの子がさぁ……」
 休み時間、クラスメートの一人が縋るような眼をして、教科書を机にしまっている日向に近付いてきた。力なく机に顎を凭れさせ、長い溜め息を吐く。
 日向は身体をずらし、クラスメートと向き合うと、無言で続きを促した。それを受け、あのさぁ、とクラスメートは胸のうちに抱える思いをぽつぽつ話し出す。
「……橿宮くんって、色んな人から相談受けてるよね」
 聞き役に徹している日向を感心するように見つめ、千枝は陽介に言った。日向はクラスだけでなく、街でも頼まれごとをされてしまうらしい。頼むほうも大胆だが、受けてしまう日向も豪胆だ。
「まーな」
 陽介もまた呆れたように二人を見つめる。そして日向を名前で呼ぶクラスメートに視線を移し、複雑そうな顔をした。
「花村どしたの?」
「いや、なんか橿宮のこと、名前で呼ぶ奴が増えたよなーって思って」
「あー、確かに」
 最初こそ、転校生呼ばわりされてきたが、大分月日も経ってクラスに馴染んだんだろう。砕けた態度で接するクラスメートが増えてきていた。
「いいことなんじゃん? 嫌われてるよか、マシでしょ?」
「そうなんだけどさ……」
「もしかして、橿宮くん取られちゃってイヤとか?」
 にやりと笑う千枝に、「ん、んな訳ねーよ!」と陽介は叫んだ。だがその顔は真っ赤で、説得力はない。
 千枝の笑みは深くなり、「そっか。そうだよねぇ。相棒取られるの、イヤだよねぇ」とにやにやしながら言った。肩が震え、吹き出すのを堪えている。
「だから、違うってーの! 俺はただ……」
 言いかけて陽介は口を噤んだ。俯く姿に「花村?」と異変を感じて千枝がその顔を覗きこむ。
 じっと握り締めた自分の手を睨み、言えるかよ、と陽介は思った。俺の他に日向を名前で呼ぶのは構わない。そこまで心は狭くないつもりだ。誰がどう呼ぼうと、勝手だろう。
 けど、いざ自分が日向を名前呼びしようとしても、口に出すのすら恥ずかしい、だなんて。簡単に言える奴等が羨ましい、とは口が裂けても言えない。
「……何で俺は出会った始めに名前呼びしなかったんだ」
 本気で悔やんでしまう。もしそうしていたら、今ごろ気兼ねなく日向、と呼べたかも知れないのに。
 頭を抱える陽介に「何か、重症っぽい気がするんだけど……。花村、大丈夫?」と千枝は気遣う。
「大丈夫そうに見えるかよ」
「見えない」
「……だったらほっといてくれ」
 即答され、はぁ、と地の底から響くような溜め息をつく陽介に、「駄目だわこりゃ」と千枝は軽く肩を竦めた。

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