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 ジュネスのビニル袋を手に持って、堂島家に帰った日向は、居間から聞えてくる賑やかな声に眉を潜めた。玄関を見れば、いつもはない靴が一足増えている。それは日向が毎日見ているもので、誰が上がり込んでいるのかすぐに分かった。
 日向は黙ったまま玄関を上り、足音を忍ばせ廊下を渡る。そっと台所の戸口から居間を窺うと、思っていた通りの人物が菜々子と楽しく会話に興じていた。
「陽介……」
 ジュネスのバイトだったんじゃなかったか。学校でそう言って別れた陽介が、こっちより早く堂島家にいる。バイトがそんなに早く終わらないだろうし。
 戸口に立ったまま考え込む日向に、菜々子が気付いた。大好きな兄の帰りに花も綻ぶような笑みを浮かべ「お帰りなさい!」と立ち上がる。菜々子に釣られ、陽介も日向を振り返った。
「よっ、お帰り相棒」
 軽く手を上げる陽介を、素通りし駆け寄ってくる菜々子に「ただいま菜々子」と笑顔を返した。
「いい子にしてた?」
「うんっ。せんたくものもたたんだし、おふろもあらったよ」
「うん。お疲れ様。菜々子は偉いな」
 家の手伝いを率先してやっている菜々子の頭を、日向は優しく撫でた。褒められ、嬉しそうに菜々子ははにかむ。
 仲睦まじい兄妹の光景を眺めながら、「俺の出迎えは無視か……?」と上げたままの手を寂しそうに閃かせた。
「あ、いたのか陽介」
「最初からいただろっ!」
 今更気付いたように振る舞う日向に、陽介は身体を向け直して怒った。だが日向は真顔で淡々と「俺よりも早く菜々子に出迎えられるのは、遼太郎さん以外認めない」と言い返す。
「うっわ……。容赦ねえなお前は……」
 菜々子が絡むとすげなくなる日向に陽介は冷たい、とうなだれた。
「ねえ、お兄ちゃん。なに買ってきたの?」
 日向が持ったままのビニル袋を見つけ、菜々子が興味津津に尋ねた。これ?と日向は軽く袋を掲げ、台所のテーブルに置く。中から出てきたのは、卵だった。
「今日はオムレツ」
「わぁい!」
 喜ぶ菜々子に眼を細める日向に「で、いい加減どうして俺がいるかどうか、聞いてくんない?」と陽介が近付いて、肩に顎を凭れさせる。今まで放っておかれ、寂しそうだ。
 構ってほしい、と全身で言っているような陽介に、日向は小さくため息を吐く。犬を撫でるように、陽介の頭に手をやり「……で?」と短く尋ねた。
 ようやく構ってもらえ、あからさまに表情を明るくした陽介は、一旦居間に戻り、テレビ横にメッセンジャーバックと共に置かれていたビニル袋を手に取って来た。
「これ、秋の限定モノ。結構たくさんあるだろ」
 差し出されたビニル袋の中を覗くと、いっぱいに菓子が詰め込まれていた。日向が帰ってくる前にも開けていたらしい「おいしかったよ」と菜々子が笑う。
「これ、全部やるよ。菜々子ちゃんも好きそうなものがたくさんあるしさ」
 にっこり菓子の詰まった袋を差し出す陽介をまじまじ見つめ、日向は「で、魂胆は何」と単刀直入に尋ねた。
 陽介の笑顔が一瞬で引きつる。冷や汗が頬を伝った。
「……い、いやだな橿宮。俺がそんな下心を持っているように見えるか?」
「見える」
 即座に答え、日向は「で、魂胆は何」とさらに言い返す。
 真顔で尋ねられた陽介は、最初視線を虚ろに彷徨わせていたが、無言の圧力に耐えられず「すんません」と頭を下げた。
「またテストがピンチなんです。今度の中間で赤点取ったら、バイト禁止だって言われてよ……。そうされたら、バイク買う資金が稼げなくなるんだよ。けどもう日にちがないし。でも赤点は勘弁だし! だからさ……」
 今日もバイトするより勉強しろと、親に言われたらしい。
「助けろ、と」
「このとーり! 本当! たのんます!」
 ぱん、と手を合わせて拝み倒す陽介に、どうしようか、と日向は宙を仰いだ。恐らく、先回りしてやってきたのも、菓子で菜々子を味方につけるつもりだったんだろう。そこまで必死になる陽介に、何だか絆されそうになってしまい、日向は甘い自分に対して馬鹿だ俺も、とまた溜め息を吐いた。
「……橿宮?」
 手を合わせたまま、ちらりとこちらの様子を窺う陽介に、日向は洗面所の方を指差した。
「風呂のお湯溜めて」
「……へ?」
「それが終わったら、夕食の準備。菜々子もおなか空いてるだろうから、早く頼む。――菜々子はテレビ見てていいよ」
「なにもしなくていいの……?」
 遠慮がちに尋ねる菜々子に笑って日向は頷いた。
「今日は陽介お兄ちゃんが菜々子の仕事やってくれるってさ。――なぁ陽介?」
 言外に助けてやるから、見返りに家事を手伝えと眼で言う日向の考えを汲み取り「あ、ああ、もちろん」と顔を上げた陽介は何度もこくこく頷いた。
「今日はお兄ちゃんが菜々子ちゃんの代わりに頑張るからさ。菜々子ちゃんはテレビ見てなよ」
「う、うん」
 ありがとうと小さく礼を言って、それでも菜々子は申し訳なさそうに、居間に戻っていく。
「――いいのか?」
「どうせ泊まる気だったんだろ」
 肩を竦めて嘆息し「これぐらいはしてもらわないとな」と言いながら、日向は椅子に引っ掛けていたエプロンを手に取った。
 夕食の準備を始める日向を呆然と見つめる陽介は、だんだんと嬉しそうに笑った。「さっすが俺の相棒」と感謝を込めて抱き付く。
「いいから、さっさと仕事しろ」
 抱き付かれ、卵を割るのに失敗した日向は、ボールから殻を取り除きながら、陽介の肩を押した。
 了解、と敬礼し風呂場に向かう陽介の足音を聞きながら、日向は卵足りるかな、とこっそり心配した。

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