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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

かみさまの庭で 壇主



 日曜日。燈治は新宿に慣れない七代を案内することになった。下手に待ち合わせして迷子になられても困るから、燈治が七代が世話になっている鴉羽神社へと迎えに行く。
 燈治の記憶の中で神社は祭の時ぐらいにしか来た覚えがない。その時の賑やかさが頭に残っていて、たどり着いた目的地の静謐さに少し気後れする。
「はい、動かない」
 境内から七代の声がした。耳慣れた穏やかさに知らず張り詰めていた気が緩み、燈治は神社へ足を踏み入れる。
 七代は拝殿へ続く段に腰をかけていた。膝にスケッチブックを乗せて、鉛筆を走らせている。普段持っているものよりも大きいそれに、あいつも好きだな、と燈治は呆れながらも感心した。
「七代」
「あ……、壇」
 よう、と手を軽く振って燈治は七代の近くまで歩を進めた。やってきた友人の姿に、七代は慌てて腕時計を見た。
「も、もしかして、約束の時間もう過ぎてた?」
 まだ準備終わってない、と焦る七代を燈治は笑って制した。
「いや、まだ早いから焦んな。それに少しぐらい予定が狂ったって平気だろ」
 柄にもなく緊張して早く家を出たことは伏せておく。友人と遊びに行く、だなんて随分久しぶりのことだったから。
「よかった」
 約束を破っていた訳じゃないと知り、七代は胸を撫で下ろした。
「じゃあちょっとだけ待っててもらっていいですか? これを描いてしまいたくて」
 膝のスケッチブックを軽く掲げる七代に燈治は了承して頷いた。
「何描いてんだ?」
「ちょっとね」
 微笑を漏らし、七代は神社を守るように立つ狛犬へと目を向ける。だからスケッチブックにはそれが描かれているんだろう。そう当たりをつけた燈治は、七代の後ろに回り込んだ。そして描かれているものと七代の視線の先を見比べ首を捻る。
「……誰だ、こいつ」
 七代のスケッチブックには着物の少女が描かれていた。袖で恥ずかしそうに口元を隠し、照れた様子で畏まっている。
 燈治は改めて狛犬の方を見た。やはりそこには七代の描いている少女の姿は霞とも見えない。
「うん? これはですね――、ああ鈴、逃げちゃだめ」
 説明しかけた七代が、急に狛犬に向かって言った。面食らう燈治を余所に何もないところへ「壇には鈴は見えてないから平気だよ。それに見えてたって壇は優しいから怖がらなくても大丈夫」と優しく語りかける。
 怪訝に七代の行動を見ていた燈治は、あることを思い出した。七代の眼は特別だった。
 自分にはなくて七代にはあるもの――秘法眼。普通では認識出来ないものも知覚出来る七代の眼には、ごく当たり前にスケッチブックの少女が見えるんだろう。
 やがて七代にしか見えない少女は落ち着きを取り戻したようだった。そのままでお願いね、と言い七代は再び鉛筆を走らせる。
 七代は暇さえあれば、よく絵を描いている。どこでも描けるように、と小さなサイズのスケッチブックを持ち歩いている程だ。
 燈治も一度だけ描かれてしまったことがあった。札憑きになった翌日の昼休み。不思議の連続で疲労が抜けきれなかった燈治は、つい教室で眠ってしまった。
 ふと瞼を開ければすぐ近くにスケッチブックを持った七代の姿。目が合うと、にっこり笑って描いた寝顔を見せてくれた時の衝撃は忘れられない。あれは完璧に不意打ちだった。
 間抜けな自分の寝顔に、それをよこせ、と隙を見ては口を酸っぱくして言っているが、七代は笑顔でのらりくらりとかわしている。
 ため息を吐き、燈治は七代に改めて尋ねた。
「で、こいつはなんなんだ?」
「この神社を守っている神使の一人。あともう一人いるんだけど――」
 きょろきょろと周りを見回した七代が表情を明るくして手を振った。燈治も同じほうを見るがやはり彼と同じものを眼に映せない。
 とても、もどかしい。俺にも、七代と同じものが見れれば。もっとあいつを近くに感じられるのに。
 難しく見下ろす視線に七代が「もしかして壇も描いてほしいの?」と悪戯っぽく聞く。
「ばっ……、んな訳ねえだろ」
「でも顔が真っ赤になっているということは照れてるんですよね」
「お前が馬鹿なことを言うからだっ!」
「はいはい」
 おかしそうに笑われ、機嫌を損ねた燈治はそっぽを向いた。七代はよく人をからかう。転校当初はこっちが挑発していたが今では立場が逆だ。
「まぁ、壇を描くのはまたの機会にして、今はこれを仕上げてしまたいから。もうちょっと待っててください」
「……結局俺も描くつもりかよ」
「……」
 頭を掻いた燈治のぼやきは七代にまで届かなかった。スケッチブックに少女を描く眼は鋭く、真剣だ。
 一度集中してしまうと七代は終わるまでこの状態が続く。からかわれるのもしゃくだが、ほって置かれるのももどかしくて。随分毒されたなと燈治は、七代の隣に座る。


 それから十数分後。七代が、ふう、と息を吐き鉛筆を膝に置いた。
「お、出来たか?」
「はい」と七代は出来上がったスケッチを燈治に見せた。恥ずかしがりながらもふんわり優しく笑う少女は、線の柔らかさもあってか、殊更暖かい感じがする。描いている七代の少女へ向ける感情が表れたのか。それとも少女の七代に対する思いが出てきているのか。恐らく両方だろう、と燈治は思った。
「よく描けてんじゃねぇか」
「本当?」
 やった、とはにかみ七代は「鈴も見てみて」と手招きした。
 持っていたスケッチブックを燈治とは反対方向に向けて見せる。
「……なぁ、そこにいるのか?」
 スケッチブックが向けられている空間に、燈治は指をさす。
「いますよ。燈治に指差されて慌ててる。……鈴、大丈夫だから。だっておれの友達だよ。今までだって散々話してきたじゃない」
「おい待て」
 聞き捨てならない台詞を聞き、燈治は思わず会話――少女の声は聞こえないが、七代と話してるんだろう――に割って入った。
「七代。お前何人のことをべらべら話してんだ」
「ええ? 別に悪口とかじゃないですよ。壇はすっごく頼りになる人だとか、パン奢ってくれるとか。今日も新宿案内してくれるとか。褒めてるしかないじゃないですか」
「恥ずかしくなんだから、それはそれでやめろ」
「別にいいと思いますけどねー。ねぇ鈴?」
「……」
 やっぱりもどかしい。燈治は少女のいるらしいところをじっと見た。
「おい七代」
「はい?」
「その、こいつは今どんな顔してんだ?」
 燈治はスケッチブックに描かれた少女を指差した。
「俺みてえな手前が見えない奴がいてよ。怖がったりしてないのか?」
「まさか」
 七代は直ぐに燈治の不安を断じた。
「この絵みたいに笑ってますよ。もし信じられないならもう一枚……あっ」
 逃げられた、と七代は肩を竦めた。
「人見知りをよくするから仕方ないけど、壇にはきちんと信じてもらいたいし……」
「いや、いい。わかったから」
 このままでは少女を追い掛けてでも描きかねない七代を燈治は止めた。七代がそんなくだらない嘘をついたりはしないだろう。
 何より。
「それ一枚だけでも十分説得力あるからよ」
 七代の絵は緻密に描写されている。もし少女がこちらを怖がっているのなら、描き途中だった絵もまたそんな風に変わっていただろう。しかし絵の中の少女は微笑んでいる。
「……そう。ならよかった」
 安堵し、七代は指先で絵を愛おしそうに撫でた。
「ほらおれの眼は普通じゃないじゃない? だからこうして描いてこれがおれの見えるものなんだよって意志表示しても、信じてもらえなくて」
「……」
「でも、壇は信じてくれたね。嬉しい」
 緩んだ笑顔で七代は言葉を噛み締める。これまで置かれていた立場を顧みるような姿に、思いがけず燈治の胸は締め付けられた。普通では有り得ないものをもつ七代の苦悩がかいま見え、燈治は「当たり前だろ」と強調して言った。
 信じると決めた。花札を集め封印しようと奔走する七代の背を見て、これは守らなければならないものだと、燈治は確信している。そう思わせるのに足る男だ。
「やっぱりこれは愛のなせる技ですか」
 この、ところ構わずぶっ飛んだことを言わなければ完璧だったのだけども。
「お前な……そういうこと言うの止めろよ。それで馬鹿な噂が経ったらどうすんだ?」
「ちゃんとそこらは相手見てますし。それに壇の反応面白いし」
「――さっさと準備してこい!」
 怒鳴ってしまった燈治に、はいはいわかりましたよ、と笑って素早く画材を纏めた七代は、あっという間に住居の方へと身を翻していった。やっぱりからかわれているんだろう。結局今回もいいように振り回され、燈治は脱力した。
 でも、七代になら振り回されてもいいとか思っているなんて。
 やっぱ重症だよな。
 そう一人呟きながら、燈治は再び七代が出てくるのを待った。

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