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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

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長いので折り畳み



 行きすぎてしまった。
 俯きがちに速く歩いていた日向は、河川敷の端まで歩いてしまった足を止めた。振り返ると、秋晴れの空に鮫川の川面が太陽の光を受けて輝いている。冷たい秋風が、熱を持って赤くなった頬を撫でていった。結構な距離を歩いたのに、なかなか冷めてくれない。
 むすっと唇を引き結び頬を撫で、日向は土手の中ほどに見える二つの人影を見た。地面に座りこんでいるのは、一緒に下校していた陽介。そして陽介に恐る恐る、と言った風に近づくのは、買い物途中の菜々子だ。
 びっくりさせたかな、と日向は菜々子に対してすまなく思う。あくまで菜々子だけ。陽介は自業自得だから許してやらない。
『流石はお兄ちゃん。菜々子ちゃんによく似合うの選んでんじゃん』
 さっき言われたばかりの言葉を思い出し、熱を振り返しかけた日向は慌てて首を強く振った。ようやく冷めかけたのに、また頬が熱くなってしまうじゃないか。もうちょっと強く蹴るべきだった。
 だけど、河川敷の端まで離れたのは失敗だった。ここからどんなに耳を澄ませても、開きすぎた距離は二人の声は届かない。かと言って戻るのも癪で、結局遠くから二人の様子を伺う。
 転んだ地面から立ち上がった陽介は、菜々子と話しているようだった。だが、ふと菜々子の目線に合わせるように身体を屈ませる。
 何やってんだ、と日向は気を揉んだ。駆け寄りたくなる気持ちを抑えるのに必死になる。花村が戻ってきたら、聞き出してやる、と決意を固めた。
 やがて二人はそれぞれ反対方向に別れて歩き出した。陽介お兄ちゃんまたね、と言いながら手を振る菜々子に、手を振り返した陽介の表情が、縮まる距離と共に見えてきた。にやにやとしまりのない顔は、明らかに何かを隠している。
「さあってジュネス行くか」と歩き出す陽介の隣に着き、日向は尋ねた。
「さっき、菜々子と何を話してたんだ?」
 教えろ、と言外に日向は眼光鋭く陽介を見据えた。しかし陽介は「内緒」と立てた人差し指を口に当て答えてくれない。
「……」
 露骨に不機嫌になった日向に陽介は「お前って菜々子ちゃん関してはすっごい分かりやすいよね」と苦笑した。
「でも教えらんねーのよ」
「何で」
「だって言わないって菜々子ちゃんと約束しちゃったし。破ったら菜々子ちゃん悲しむじゃん」
 そして今度は菜々子と指切りをしたらしい小指を立てて見せられ、日向は呻いた。無理矢理聞き出そうと考えていたが、菜々子を悲しませたくない。
「悪いコトじゃねーんだし、安心しろって」
 悩み肩を震わせる日向の肩を叩いて、陽介は宥めた。正直陽介に言い含められるのは癪だった。しかし菜々子に関して陽介も嘘を言ったりしないから、信用してもいいだろう。
 せめてもの抵抗に大袈裟な溜め息を吐いた日向を、今度は陽介が物言いたそうな目で見遣った。
「つーか、橿宮クンはー、俺に謝ることがあるんじゃありませんかねー?」
「何のことだ」
「マジふざけんなよ。すっげ痛かったんだからな」
 蹴られた臀部を摩る陽介に日向は「自業自得だから仕方ない」とつれない。いらないことを口に出すから痛い目にあうのだ。
「俺はただ褒めただけじゃん! 菜々子ちゃんの誕生日にプレゼントとか橿宮は優しいなー、みたいなニュアンス感じたっしょ!?」
 猛烈に抗議する陽介を日向は顔を背けて無視する。例え悪意がなかろうが、こちらからすれば恥ずかしいものは恥ずかしい。だから無意識に身体が動いて陽介を蹴ってしまったのだ。
 反論が素通りしてしまい「素直じゃねーな……」と陽介は軽く言い返して空を見上げた。
「あ、トンボ飛んでる」と呟く陽介につられ、日向も顔をあげた。秋晴れの穏やかな空を、トンボがすい、と横切っていく。遠くに見える山は赤く色づき始め、川辺に群生する薄が、風に白い穂をなびかせる。
 こうしていると、平和に感じる風景。だけど、その影では得体の知れない何かが、確実にこの町を蝕んでいる。
「――これ以上、助けるな……か」
 空を見上げたまま、ぽつりと日向が呟いた。微かな声は、それでも隣にいた陽介の耳まで届いたらしい。見えぬ犯人に「そっちのがマジふざけんなって感じだよな」と不満を漏らした。目についた小石を蹴ってぶつけようのない苛立ちを紛らわせる。
 春先からずっと犯人を追いかけてきた連続失踪殺人事件。ここに来て、初めて真犯人らしき人物から脅迫めいた警告が向けられた。
 消印のない手紙。わざわざ日向の名前で自ら堂島家に投函されていたその文面には、たった一文が書かれていた。
 ――コレイジョウ、タスケルナ。
 言葉の影に見て取れる、明らかな害意。まるで逆らえば良からぬことを犯人が仕出かすように思える。それがこちらに直接刃を向けるものなのかどうか、よくわからないけれど。
「花村。そんな怖い顔をするのはよくない」
 日向は陽介を見て柔らかく笑いかけた。
「さっきも言っただろう。そうやって焦るほうが危ないし、犯人の思う壷だろう」
「でもさ」
「落ち着け」
 反論を遮り、日向は気の逸る陽介を制するようにゆっくり首を振った。
「勿論俺だって大人しくしているつもりはない。犯人がわかれば、全力で叩き潰すだけだ。そうだろう?」
「そうだけど……。お前ってたまに素で怖いこと言うよな」
「そうでもない」
「そうだって! ……でもさ、ホント菜々子ちゃんの為にも早く解決してーよな」
「うん」
 言われるまでもないことに日向は即答して頷いた。菜々子だけじゃない。大切な人を亡くした陽介の為にも。一緒に事件を追いかけてくれる仲間の為にも。
 誰も日向にとって大切な人達だ。例え自身が傷ついても守りたいと思う。
 そこまで考え、日向は自分の変化を不思議に感じた。こんな風に誰かを案じるなど、稲羽の地を踏むまでなかった。考えることもせず、ただ流されるように生きて。
 でも稲羽に来て、陽介と出会ってから色んな変化が訪れた。たった半年ほどで全てを塗り替えられそうで、それが日向をたまに怖くさせる。
 稲羽にいられるのは、次の春までだ。秋が来たら冬はすぐそこで、冬が通り過ぎれば――帰らなければいけない春になる。
 変わってしまう俺は、あっちの流されるような日々へ戻ることに耐えられるんだろうか。
 俺は――。
「橿宮?」
「……っ!?」
 気遣うようにかけられた声で、日向ははっと我に返った。陽介が日向の顔を覗き込み「ぼんやりしてっと、転ぶぞ」と心配する。
「ああ……うん。ごめん」
 語尾の弱い謝罪に陽介は腕を組んで黙り込んでしまった。そして思い切ったように口を開く。
「大丈夫だって!」
「……花村?」
「何心配してんのかしんねーけど、橿宮には俺という心強い相棒がいんだろ。頼りにしてくれよ」
 自信満々に胸を叩いた陽介に、日向は目を丸くして見つめ、思わず吹き出してしまう。
「そこで笑うのは止めてくんね? 俺が恥ずかしい人みたいだし」
 まともに取り合ってもらえず、へそを曲げた陽介に「ごめん」と日向は笑いを堪えて謝った。これこそ言われるまでもないことだったから。どれだけ陽介が頼りになるか知っている。
「わかってる。頼りにしてるよ、花村」
「……ホントかよ」
「本当だって」
 疑いの目を向ける陽介の肩を、日向は叩いた。
「花村のこと、頼ってる。だからヘマして倒れたりするな」
「わかってるって」
 ようやく機嫌を直した陽介は、歯を見せて笑った。
「橿宮にそこまで言われたら倒れたりとか出来ないって。だから安心しろよ」
「……うん」
 本当に、頼むな。
 日向は口に出せない言葉を心の中で付け足した。
 花村。お前、前に言ったよな。俺にはどんなときでも冷静でいてくれよって。
 俺にそれを望むなら、お前は絶対に倒れたりするな。
 花村は花村のままで。
 お前がそのままで立っていてくれるなら、俺はずっと冷静でいられるから。
 だから――。



 銃声が聞こえた。
 ま白き空間に、りせの悲鳴が響く。
 何も考えられず放った刀が滑るように床に転がった。無意識に走り腕を伸ばす。指先を掠めるように背中から崩れ落ちる身体。
「――花村ぁ!!」
 日向は倒れた陽介の身体を抱き起こした。撃たれた腹部からの出血が止まらず、陽介だけじゃなく日向の制服まで赤い色が染みていく。
 どうして花村なんだ。撃たれるのは俺の筈だったのに。
「……花村」
 呼ぶとすぐに向けられていた目は、瞼に閉じられたままだった。ぐったりした身体は動く気配もない。
「あ……」
 突然降り懸かってきた出来事を受け入れられない日向の喉から、掠れた声が漏れた。
 ずっと好きだった。
 くるくる感情を変えて接してくれる陽介が。好きな人を想って泣く顔が。唐突にぶつけた気持ちを真面目に考えてくれた真摯さが。
 俺の前で倒れないって言ったのに。
 嘘だろう、こんなの。
 目の前がけぶる。霧に迷い込んだように、事実を認められない思考が止まっていく。
 ――私の言ったとおりでしょう。現実は、時に酷く残酷だと。
 耳元から、声が囁きかける。これまでに幾度も疑問を投げ掛けてきた声音が。
 ――受け入れたくなければ見なければいい。現実から目を反らし霧の中、思うまま力を振るいなさい。そうすれば楽になれる。君ならできるだろう? 容易いことだ。
 だって、ずっとそうして生きてきたんだから。


 そうだった。どうして忘れていたんだろう。
 本当なんて、辛いことのほうが多かったのに。今更目を向けたって、何ら変わりはしない。
 大人は卑怯で、その身勝手に子供は振り回される。
 昔も。……今も。
 陽介の肩を抱く手に力が篭り、日向は顔を上げた。そこには次々と人をテレビに放り込み、今の状況を引き起こした張本人――生田目太郎がいた。何匹ものシャドウを取り込んだ生田目は、宙に浮いたままこちらの様子を窺っている。神気取りで、高見の見物を決めているつもりか。
「……お前みたいな奴がいるから」
 冷たく言い放ち、陽介を床に横たえ立ち上がった日向は、眼鏡を外した。灰色に近い色素の薄い瞳が、一瞬にして金色に塗り替えられる。
「お前みたいな奴は、」
 日向の後ろに喚び出されたペルソナが降り立った。ペルソナを宿せるようになってからずっと傍に置いていたもう一人の自分――イザナギ。
 その身体はまがまがしく赤い光を待とう。
「お前みたいな奴はいなくなれよ――!」
 ぶっ壊してやる。
 日向の心に呼応して、イザナギが空気を震わせて吠えた。

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