agitato 1 ペルソナ4 Desire of fool 2013年05月03日 長いので折り畳み 男のくせに。 そう言われるのが大嫌いだった。こっちは好きなことをしているだけなのに。どうして男というだけで、裁縫や編み物をしているところを見られるだけで、変な者扱いされるのか。 どうして変なんだよ、と問いかけても答えはいつも同じようなものばかり。 だって男のくせに変だよ。 男のくせに気持ち悪い。 男のくせに女みたい。 男のくせに。 男のくせに。 男のくせに――。 うるさい声に、何でだよ、とこっちも負けじと叫ぶ。どうして男というだけで、そこまで白い目で見られなければならない。そんなにおかしいことなのか。 忌避がこもった視線に、まだ子供だった当時は傷つき、必死で涙を堪えていた。みっともなく泣いてしまったらまた、男のくせに、と馬鹿にされるから。 わかっている。外見に似合わないものが好きな自分を、認めてくれる奴なんてどこにもいやしないって。こっちだって、誰にも認められなくても構わない。どうせ本当のオレなんて変だから、見てもくれないに決まっている。誰も。ずっと。 そう思っていたのに、その日は突然訪れた。 男のくせにと否定され、燻り続けた気持ちを抱えていた自分を、彼は目を反らさず、穏やかに笑みを浮かべた。からかったり、馬鹿にはせず、こっちの作った物を見て「完二はすごいな」と褒めてくれた。 その一言で、救われた。 そして同時に――誤解する。あの人だって、オレと同じような部分があるのに。 巽完二にとって、林間学校は散々たる結果に終わってしまった。本当は行く気だってなかった。しかし進級をちらつかせながら半ば強制的に参加させられて。行ったら行ったで同級生たちはこちらに怯え、近づきもしない。 だが、それはまだ慣れている反応だった。同じような視線を、これまで何度浴びてきたか。 問題は夜からだった。通夜みたいな雰囲気に包まれた一年生のテントを抜け出し、やってきた日向と陽介のところ。そこで未だに完二のマヨナカテレビを引きずっている陽介に、性癖を疑われてしまった。違うと言っても怪しまれ、何故か女子のテントに突撃したところまでは覚えている。しかしそれから朝までの記憶がすっかり抜け落ちていた。 目を覚ましたら、そこは日向たちのテントで、何があったか二人とも教えてくれない。だが、ずきずきする頭が、どうせロクでもない結果だったんだと教えてくれた。 そしてそれだけで終わるはずもなく、止めは何故か冷たい川にいきなり突き落とされたこと。極めつけに、上流から聞こえる嘔吐の声。 やっぱり林間学校なんて行くもんじゃねえ。 気分はどん底だった。 帰り道の空は気持ちいい青空だ。すげえいい天気なのに、何でオレは、と濡れ鼠の格好で完二は肌に貼りつくジャージに辟易する。「あーあ、ロクでもない林間学校だったな」 完二の前を歩く陽介が、指を組んだ両手を後頭部にやり、これみよがしなため息を吐いた。「まっずいもん食わされるわ、停学の危機に陥りかけるわ、滝つぼに突き落とされるわ……」 最後のは聞き捨てならない。完二は恨みがましい声で、来年は絶対サボってやると喚く陽介を睨んだ。「……大部分はアンタのせいだろ」 滝つぼに落とされたのは、陽介の策略で水着を着せられた雪子や千枝に対し、下らない評価をしたせいだ。自業自得だろう。それをさも不幸のように嘆いて。 それに水着だった日向と陽介とは違い、完二はジャージだった。もちろん着替えもなく、濡れたままで帰る今の状態に陥っている。 すべては、陽介の失言が原因だ。完二は巻き添えを食らった鬱憤をぶちまけようと口を開きかけ、途端にぞくりと体を駆け巡る寒気に腕を回した。 大きくくしゃみをする。口を押さえていなかったからか、陽介が「うわっ」と大袈裟な反応を示して横に跳んだ。「くしゃみするときは、ちゃんと口で手を押さえろよ」 体ごと後ろを向いて歩き、注意する陽介に、だから誰のせいだよ、と再び怒りが込み上げてくる。「うっせーな! だいたい滝つぼに突き落とされたのはアンタが余計なことを言うからだろっ!」 完二は空を切るように腕を横へ振り払った。そして胸の前でぐっと拳を固める。鋭い眼光を持って、陽介を睨んだ。「自分から天城先輩らに水着着させるよう仕向けておいて、まだまだなんて言うなんて、バカじゃねえのか! つうかバカだろ! オレは被害者だ。巻き込まれたんだっ!!」 激しい剣幕でまくし立てると、陽介の顔が強張った。その隣で前を向いたまま歩いていた日向が、やれやれと言わんばかりに首を緩く振り、肩を竦める。「つか、お前が落ちたの自業自得じゃね?」「ううう、うっせえ!」 陽介の反論に、完二は顔を赤くして否定した。 陽介の余計なひと言で思い出すのは、完二が突き落とされた状況。無理やり着る羽目になった水着姿で恥ずかしがる雪子と千枝の姿。女子にあまり免疫がない完二にとって、肌の露出が多い彼女らは刺激が強く、気づいたら鼻から赤いものがしたたり落ちていた。その結果、鼻血に驚いた雪子が完二を突き飛ばし今に至っている。 思い出し、頬を染める完二に、陽介は小さく吹き出し前へと向き直った。「それにこっちだってあんなもの食わされたんだ。ちょっとぐらいの失言ぐらい流してほしいもんだよ」「……こいつ殴りてぇ」 まったく懲りていない陽介に、完二の拳は怒りで震える。拉致され放り込まれたテレビの中から救い出してくれた恩人の一人でなければ、今すぐぼこぼこにしていただろう。 いや、でも一発ぐらいなら――。 青天には似つかわしくない険悪な雰囲気に「二人ともいい加減にしろ」と低めの通る声が割って入った。今まで口を閉ざし、成り行きを見ていただけの日向が、二人を見ないまま「もう済んだことをぐだぐだ言っても仕方ない」と宥める。「でも先輩、この人が……」「うっせ、お前だって……」 完二と陽介は同時に言い返しかけ、振り向いた日向の射抜くような視線に口を噤む。「いいから大人しくする」 静かな口調だが、反論は許さない気迫があった。冷ややかな目を向けられ、喉元までこみあげていた言葉を飲み込む。この人に逆らってはいけない、と直感した体が竦んだ。 こええ、と思わず呟いた完二に、陽介もまた同じことを思ったらしい。小さく頷く素振りをしていた。 怯える完二と陽介を一瞥し、日向はそれきり黙ってしまった。歩く彼の後ろを、二人は顔を見合わせ、大人しくついていく。 しばらく歩いた後、突然日向が立ち止り、後ろに続く完二たちを振り返った。「橿宮?」 怪訝そうに尋ねた陽介に「二人とも家に寄ってけ」と日向が家があるらしい方向を指さす。その言葉に完二は思わずぎょっとした。親の都合で八十稲羽に来た日向は、叔父である堂島遼太郎の家に居候している。完二にとって、刑事である堂島は苦手だった。これまで警察に補導された時、何度か顔を合わせて苦い顔で説教されている。そのせいで、あまり顔を合わせたくない気持ちがあった。昼間から堂島が家にいる可能性は、職業上低いとは思うが、それでも進んで行きたいとは思えない。 しかし日向は「特に完二。そのままで帰って、またお母さんを心配させる気か?」と連れて行くつもり満々だ。「オ、オレは別に……」 完二は口ごもって俯き、抵抗の意を示す。全身ずぶ濡れの格好で帰るぐらい、今まで喧嘩をして青あざを作った時よりはマシだろう。わざわざ堂島家に寄ってまで、対処するものでもない。 何でそこまで……、と小さく呟く完二にさらなる追撃が待っていた「この前も失踪して、心配かけたばかりだろう」 日向は厳しい目つきで言い、渋る完二の手首を右手で掴んだ。「ちょ、センパイ!?」「いいから来る」 問答無用で日向は完二の手を引いたまま歩き出した。その後ろで陽介が苦笑しながら後をついてくる。「オレはいいっすよ! そこまで気ぃ回さなくったってよ!」「俺がよくない。このままで帰したら、完二のお母さんに申し訳ない」「んなことないっすから!!」「往生際が悪いのは男らしくないぞ」 何を言っても日向は完二を離してくれない。あっという間に堂島家に到着してしまい、無情にも日向が「ただいま」と玄関を開けた。 帰りを告げる日向に、はーい、と奥からかわいらしい声が聞こえた。「おかえりなさい!」 笑顔の少女が、後ろで二つに結わえた髪を揺らし、廊下を走ってきた。しかし日向の他に誰かいるのを見つけ、途中で足が止まる。予想していなかった事態に、丸くなった目が瞬きをした。そりゃそうだ。家族が帰ってきたと思ったら、余計なものまでついてきたんだから。「ただいま、菜々子」 日向は「あのな」と気まずそうに佇む完二の手を軽く引っ張る。「すぐでごめんけど、お風呂溜めてくれないか? このお兄ちゃん風邪をひかないようにしたいんだ」「えっ?」 菜々子と呼ばれた少女は、日向に指差された完二をじっと見た。つま先から頭のてっぺんまでずぶ濡れになっている格好に、すぐ状況を理解したんだろう。わかった、と頷いて、くるりと方向転換した。「バスタオル取ってくる」 ようやく日向が手を離してくれた。ほっとしたのも束の間、玄関を上がるなり、日向はすかさず完二の鼻先に指を突き付けた。「完二はそのまま待機してろ。花村は上がって居間で待ってて」「おう。じゃあ、お邪魔しまーす」 陽介が小さく笑いながら、釘を刺されて呆然とする完二の横を通る。そのまま廊下の奥へと歩いていく背中を、完二は他人事だと思いやがって、と恨んだ。それに、橿宮先輩もオレにそこまでしなくたっていいのによ、とつい完二はぼやいてしまう。 しかしここで逃げたら、後で日向の怒りが怖い。仕方なく玄関で大人しくしている完二は所在無く辺りを見回した。他人の家に行く回数がここ数年なかったせいか、居心地がつかめない。そわそわしてしまい、手持ち無沙汰な右手を首の後ろにやった。「待たせた」と日向がバスタオルを持って戻ってきた。「もう少ししたら風呂が溜まるけど、少しは拭いたほうがいい」 言いながら、日向はバスタオルを両手で広げ、完二の頭に被せた。視界が、バスタオルで覆われてしまう。「わっ、って……おい!」 完二は慌てた。タオルで髪に含んだ水分を、日向の手が拭っていく。子供じゃあるまいし、完二は「手ぇ、退けろよ。これぐらい自分でやっから!」と日向から後ずさろうとした。 しかし、日向は完二の頭を両手でがっちりと挟んでしまった。逃げ道を奪われ、そのまま乱暴に手を動かされたせいで、後ろになでつけていた髪が、どんどん乱れていく。「いいから大人しくしてろ」「ちょ……! センパイ!!」 なすがまま頭や耳の後ろまでも丁寧に拭かれてしまった。こそばゆくて、照れくさい。頬がだんだん熱くなる。 この人は、オレが怖くないんだろうか。出会った時から散々怒鳴って、凄んで。それでも日向は全く怯えたりしなかった。「もうそろそろか」と手が離れていく。被せられたバスタオルから顔を出した完二は、「風呂はこっち」と日向に手招きされる。もう、逆らう気力は残っていない。重い足取りで、完二は濡れた靴を脱いだ。水分をたっぷり含んで履いたままで歩くのも疎ましい靴下を脱いで、それを手に纏めて日向の案内に従う。「まだ、お湯溜めている途中だから、それまでシャワー浴びとけ」 浴室の扉を開け、浴槽の様子を見ていた日向が水に濡れないよう服の袖をまくり、簡単にシャワーの使い方を教えてくれた。「――で、服は全部洗濯機。着替えは俺のを後で持ってくる。サイズは合わないだろうけど、そこは我慢してくれ」 そしてさっさと日向は脱衣場を出て「じゃあゆっくりつかれよ。ちゃんと温まってからでないと駄目だからな」と念押しし、扉が閉められた。 強引な展開に、完二はぽかんと開いた口が塞がらなかった。これまでとは違う、他人の反応は完二からすると、やっぱり居心地が悪い。威勢を張ってきたせいで、調子が狂う。 完二は頭を掻いた。日向に拭いてもらったお陰でさっきよりも乾いている。これは風邪をひいたら、もっと居心地の悪いことになりそうだ。 もうすぐ湯も溜まる。ぼうっとしている間に溢れさせないよう、完二は脱いだ服を洗濯機に入れ、浴室へ足を踏み入れた。 [0回]PR