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agitato 2

長いので折り畳み



 人様の家で長々と湯船に浸かっていられなかった完二は、そこそこ体が温まったところで風呂から上がった。脱衣場にある洗濯機脇のチェストに、畳まれた洋服がタオルと一緒に置いてある。日向が用意してくれたんだろう。タオルはさっき使ったもので十分だったのに、新しいものへと交換してあった。
 世話焼きすぎるんだよな、センパイは、と思いながら完二は手を伸ばしてタオルを取る。濡れた体を拭いて、服を着た。上は日向がサイズの大きなものを着ていたのか、ぴったりだった。しかし下のスウェットパンツは少し裾が足りず足首が見えた。
 浴室の引き戸を開く音で、青ざめた顔の陽介が無言で歩いてきた。両腕で自分の体を抱きしめ、風呂場へと消える。
 無言で閉じられた扉を振り返り、「なんだありゃ」と完二は眉を寄せた。見つめる扉の向こうで、慌ただしく服を脱ぐ物音が聞こえる。
 まあいいか、と完二は深く考えるのをやめた。花村センパイのことだ。どうせ、大したことじゃない。あの人は少し大袈裟なところがある。
「完二、こっち」
 陽介がやってきた方向から日向の声が聞こえた。そしてほのかにしてくるカレーの美味しそうな匂い。食欲をそそる香りにつられて廊下の奥まで歩いて台所に出た。日向がガスコンロの前に立っていて、火にかけた鍋を掻き混ぜている。ちらりと湯上り姿の完二を見て「よし温まったな」と言った。
「そりゃあアンタが無理やりだったからよ」
 それに逆らうのは怖いし。内心付け加える完二をよそに「じゃあ次はごはんだ」と日向が床続きになっている居間を振り向いた。
「菜々子、ごはんの準備をしよう」
 テレビの前に座った菜々子が「はーい!」と元気よく立ち上がり、笑顔で「お兄ちゃん、菜々子おてつだいなにしようか?」と日向に駆け寄る。
「そうだな……。じゃあまず食器を用意しよう。菜々子とお兄ちゃん、それから陽介お兄ちゃんと完二お兄ちゃんの分」
「えーと……、よにんぶんだね! わかった!」
 指折り数え用意する食器の数を答えた菜々子は頷いた。弾ける笑顔は兄の手伝いが嬉しくてしょうがないと完二にも伝わってくる。この子は橿宮センパイにすっげ懐いてるんだな。完二は食器棚に向かう小さな背中を、柄にもなく微笑ましく見つめる。そして日向もまた、完二と同じような表情で、菜々子を見つめていた。
 この人はこんな顔もできるんだな、と完二は少し驚いた。それまではとにかく冷静沈着なイメージがあったからだ。しかし妹――正確には従妹だが――の前では完二の中で根付きかけていた印象が吹き飛ぶほどの柔らかい笑顔を見せる。
「完二は座ってテレビ見とけ」
 日向が顎をしゃくり、完二に居間に行くよう促す。
「いや、オレも手伝うっス」
「だめ、お前はお客さんだから。だよな、菜々子」
 手伝いを申し出たが、素気無く却下されてしまった。日向に続いて「うん、おきゃくさんはおてつだいしなくてへいきだよ」と菜々子にまで追撃されてしまう。
「だから、すわってまっててね」
 にっこりと笑いかけられ、完二は二の句が告げれなくなった。菜々子のそばで日向の目が薄く細まる。これ以上の反撃は許さないと言外に告げていた。
 完二は己の負けを悟り、軽く肩を落とした。意外と強情だな。不毛なやり取りをしてても邪魔になるだけなので、大人しく居間に足を向ける。
 つけっぱなしだったテレビは、コマーシャルから天気予報に切り替わるところだった。天気図と共に出てきたアナウンサーが、今週は天気が崩れやすいと解説している。
 ――一日中雨の日もあるでしょう。お天気には十分注意してください。アナウンサーの予報に完二は胸糞悪い思いがした。またマヨナカテレビが映るかもしれない。
 胸糞悪い思いを抱え、完二はとりあえず窓際の近くに座った。夜中まで雨が降っていたら、マヨナカテレビが映るかもしれない。それはまた、完二のような被害者が出る可能性がある。テレビの中へと突き落とされ、最終的には自分が生み出したシャドウに殺されてしまう悲惨な末路が。オレは、センパイたちに助けてもらったからこうして生きているけど。
 完二は台所で食事の準備をしている日向を見た。戸棚から大きなフライパンを取出し、サラダ油を入れている。冷蔵庫から出した卵をテーブルに置いて、完二の視線に気づいた。
「……暇なら、チャンネル見たいところに変えていいから」
 気を回してくれる日向に「うっス」と完二は頷きかえした。しかしテレビよりも台所に立つ二人のほうが気になってしまう。
 割った卵を入れたボールを日向から受け取り、菜々子が一生懸命泡だて器で掻き混ぜている。微笑ましい光景は、まるで本当の兄妹のようだ。遠目からでも、二人とも楽しそうに笑顔を浮かべているのがわかる。
「おまたせ」
 二人がそれぞれ両手にお盆を持ってやってきた。日向がカレーライスを卓の前へ座りなおした完二のほうへ置く。続いて等間隔で切られた卵焼きや焼き立てのウィンナーが山盛りになった大皿が中央に乗せられた。
「はい、どうぞ」
 菜々子が自分で運んできたグラスを、完二に手渡す。並々と番茶が注がれたそれを、完二は零さないよう慎重に受け取った。
「あ、ありがとよ……」
 世話を焼かれ、照れくさくなった完二は赤くなった頬を自覚し、そっぽを向いて礼を呟いた。
「……?」
 何を言ったのか聞こえなかったらしい。完二を見て首を傾げる菜々子に「ありがとうって言ってるんだよ」と日向が助け舟を出した。日向には、しっかり聞こえていたようだった。暖かい眼差しにいたたまれなくなる。
「どういたしまして!」と菜々子は完二に満面の笑みを見せた。
「お兄ちゃん、菜々子ケチャップ持ってくるね」
「ああ」と冷蔵庫に向かう菜々子に日向は目を細める。残りのカレーライスを卓に置き、完二のはす向かいに座った。
「遠慮せず食えよ。おかわりもあるから」
「……っス」
 完二は両手を合わせてから、スプーンを手に取った。さっそくひと匙掬って口に運ぶ。
「うめェ……」
 程よい辛さに、完二は思わず感嘆した。焼き立ての卵焼きも、塩と砂糖の微妙な加減が効いていて、噛みしめるごとにふんわりと優しい味が舌に広がる。
「お兄ちゃん、ごはん作るのじょうずなんだよ」
 ケチャップを持って日向の反対側に座った菜々子が「菜々子、お兄ちゃんのごはん大好き!」とはにかむ。
「ありがとう、二人とも」
 素直な賞賛を受け、日向は少しくすぐったそうに笑った。
「ほら、たくさん作ってるから。どんどんおかわりしろよ。菜々子も欲しかったらちゃんと言うんだぞ」
「はーい!」
「っス!」
 散々ひどい目にあって、腹もすいていた分、日向手製のカレーはいくらでも食べられそうだ。あまりの美味しさに完二は口にかきこむ勢いで食べる。
 日向はすっかり兄の表情で、菜々子に卵焼きやウィンナーを皿に取り分けていた。和やかな光景に、見ている完二の心も解される。 ここまで落ち着いた気持ちになれるのも、久しぶりだった。日向らに突き落とされたテレビの世界から救われるまで、ずっと心のどこかが苛ついていたから。
 周りは、こっちの見かけで判断ばかりする奴が多かった。違うと言っても聞く耳を凭れず、疑われて。そのせいか、接し方がいつまでも変わらない日向の存在が、正直ありがたかった。


 林間学校での散々な思い出を払拭するように和やかな時間を過ごし、完二は陽介と堂島家を後にした。夕方になっても洗濯された服は乾かなかったので、とりあえず日向に預ける形になった。
 こっちも借りた服は洗って返さねえとな。そう思った完二は、歩きながらちらりと後ろを振りかえった。すると玄関先では日向と菜々子がまだそこにいて、見送ってくれている。
 完二は少し照れくさくなって、顔を前に戻した。どうも今まで向けられてきた冷たさとは真反対の接し方に、調子が狂ってしまう。
 何とも言えない気持ちになって唇を噛む完二の背中を、突然陽介が容赦ない力でばんばんと叩いた。
「なんか、やっと報われたような気がするな。なっ!」
 いきなり力強く叩かれたせいで、一瞬目の前が白くなった。前に数歩よろめき「いってぇな」と背中に手を回して陽介を睨みつけた。
「つーか、殆どアンタが諸悪の根源だろ。調子乗んなよ」
「あーもー、水差すなよ!」
 文句を言う陽介の顔はすっかり緩みきっている。風呂から上がってきてからずっと同じような表情だ。見ていると日向の時とは反対でちょっと苛々してしまい、なるべく見ないようにさり気なく顔を背ける。
「アンタ……その緩みきった顔どうにかしろよ。みっともねえ」
 完二はうんざりした。こっちは陽介のせいでひどい目にあい、日向に色々世話を焼いてもらったのに。元凶である陽介はにやけっぱなしだ。
 しかし陽介は「別に俺はいつも通りですよ?」ととぼける。両手を後頭部にやり「いやー、マジ俺の相棒ってすっげえよなあ」と夕焼けの空を見上げた。
「物体Xのせいで、危うくカレーが食べれなくなるところだったけどよ。アイツのすっげうまいカレーのお陰でカレー嫌いにならずに済みそうだしな。それに菜々子ちゃんは優しいし、二人揃っていると癒しだし!」
「……まあ、それもそうだけどよ」
 今まで完二は日向に対して最初何を考えているのかよくわからないように感じていた。無愛想で、笑ったりするのかと不思議がったりもした。しかし、今日の一件でそれは違うのだと分かった。菜々子に見せる優しそうな笑顔は本当の兄のようだ。
 それに、ずっとひた隠しにしてきた自分の一部を目の当たりにしても、反応は変わったりせず、素のままで接してくれる。
 今までそんな風に自然体でいてくれるのは、あの人が初めてだ。
 ――あの人は、スゴイ。
「だろだろ! だよなー。さすが俺の相棒」
「一々、俺の、って強調すんなよ……」
 浮かれまくった陽介に、完二のぼやきは届かない。早く帰りたくなって、完二は僅かに歩く速度を上げた。

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