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とめどなく 3

長いので折り畳み



 翌日、欠伸をかみ殺しつつ教室に入った陽介を待っていたのは、日向の欠席だった。朝礼が始まっても、姿が見えない。出席簿を片手に持った柏木から「あなたたち知らない?」と聞かれたが、陽介たちも当惑気味に首を振るしかない。
 日向はたまに授業をサボることはある。だが欠席は初めてだ。しかも今日は学校が終わったら、直斗を助けに行くので、ますます休む理由が考えつかない。
「ちょっと待ってて。メールしてみる」
 朝礼が終わるなり、千枝が携帯電話を取り出した。素早くメールを打ち、送信する。
「送ったよ」と千枝は不安そうな顔をして、フリップを畳んだ。
「どうしたのかな……。休むなんて、初めてだよね?」
「うん……。たいしたことないといいけど」
 千枝が持っている携帯に、視線が集中する。日向がいないだけで、周りの空気が少し重い。息苦しくなって、陽介はシャツの胸元を掴んで仰いだ。
「あっ」と千枝が着信音が鳴り、震える携帯に目を見張った。
「あ、返事! 橿宮くんだよ!」
 返ってきた日向からのメールを開き、千枝は急いで読んだ。すると一旦戻った笑顔が、また萎んでいく。
「なんだって?」
「菜々子ちゃんが具合悪いんだって……」
 せっつく陽介に、唇を尖らせ携帯の画面を見た千枝が、溜め息をついて答えた。
「菜々子ちゃんが?」
 雪子が眼を丸くする。
「大丈夫なの?」
「うん。具合は良くなってるみたいだけど、まだ心配だからもう一日休ませたいって。橿宮くん、菜々子ちゃん一人にさせたくないからゴメンけどって……」
 どうする、と窺うように千枝は陽介を見た。陽介は腕を組んで、あいたままの席を見る。
「……そりゃ小さい子ほっとけないだろ」
 病気になれば、不安が増長するし心細いだろう。菜々子のような子供なら、どれくらい大きいのか。日向の判断は正しい、と陽介は思う。
「天城」と陽介は雪子を見た。
「天気はまだ平気だよな?」
「え……。うん」
 雪子は言葉を一旦区切り「曇りが続いてるけど、まだ大丈夫」と自分でも確認するように口元に指をやりながら、言った。
「よし、じゃあ今日テレビはなしだ。アイツいなきゃどうしようもねーし、それに菜々子ちゃんほっぽらせんものアイツからしたらいやだろ」
「……そうだね」
 千枝がほっとした。菜々子も心配だが、テレビに放り込まれた直斗のこともあるのだろう。陽介の判断を聞いて、揺らいだ心が落ち着いたように頷いた。
 千枝は足をぶらつかせ「菜々子ちゃん大丈夫かな……」と床を睨み付けた。雪子も「……うん」と言葉少なく目を伏せる。
 陽介は、あいたままの席を見下ろす。
 チャイムが鳴った。日向の机を指先で伝って撫で、陽介は自分の席に戻る。
 いつも見ている背中がいない。ただ一つ違うだけなのに、寂しくなってしまった。


 ジュネスの店内は、いつもコマーシャルで流れている曲と、やってくる客で賑わっていた。学校帰りに立ち寄る高校生や買い物の主婦に混じり、陽介は食料品売場に足を向けた。顔を見て会釈する従業員に挨拶を返しながら、きょろきょろとカゴを手に売場を見回す。
 あの時里中に菜々子ちゃんの病状聞いてもらえば良かった、と陽介は後悔した。見舞いを思いついて、菜々子に差し入れをしようと考えたまではいいが、どんなモノを買っていけばいいんだろう。消化のいいものか。それとも元気になってから食べれるように、日持ちする菓子か。
 迷った末、陽介は生菓子売場に行った。冷蔵ケースに並べられたプリンを手に取る。冷たいプリンなら、熱があっても食べやすいだろう。
 喜ぶといいけど。カゴにいくつか入れたプリンを見下ろし、陽介はレジに向かおうとする。
「あの……」
 何処からか声をかけられた。足を止め、辺りを見回すと、先日の女性がこちらに近づいてくるのに気づく。やってきた女性は、陽介に「こんにちは」と微笑みながら、頭を下げた。
「あ……ども」
 陽介も女性につられて、頭を下げながら、疑問が頭を過る。どうして声を掛けたんだろう。
 訝しむ視線に、女性は頬に手をやりながら「ごめんなさい、突然話しかけちゃって」と目尻を下げた。
「先生と昨日一緒だったの見て、つい、ね」
「……今日も買い物なんですか?」
 女性が持つカゴは食料で半分ほど埋まっていた。勇太が食べるだろう菓子もある。パッケージに、最近放送されているヒーローの絵が描かれていた。
「そうなの」と女性はカゴを軽く上げて見せた。
「勇太育ち盛りだから、たくさん食べちゃうの。だけど、作りがいがあるからついつい買い込んじゃって……」
 ふふ、と小さく笑う。
「こういうのも結構楽しいって、今まで知らなかったわ。これもきっと先生が教えてくれたお陰なのね」
「それって、……橿宮のことですか?」
「ええ、勇太のことで色々と。……あっ」
 尋ねた陽介に女性は答えてかけ、何か気づいたように開いた口元を押さえた。
「そう言えば、名前も言ってなかったわね。ごめんなさい。私は南絵里って言うの」
 女性――絵里はほっそりした指先を胸に滑らせ、「昨日の、勇太の母親です」と自己紹介する。
「先生――橿宮くんには学童保育ですごくお世話になってたの。昨日久しぶりに会ったけど、元気そうで良かったわ」
「久しぶり……ですか?」
「ええ。もう今は行っていないから」
 絵里はそう言って、細くした眼で陽介を優しく見た。
「今までは、学童保育で会ってばっかりだったから、昨日貴方と一緒のところを見かけた時、ちょっとびっくりしちゃった。私の中じゃお世話になった学童保育の先生、って感じだったけど、まだ友だちと遊んだりする高校生の男の子なんだなって」
「……やっぱり南さんから見たアイツって、しっかりしてるとか、そんなんですか?」
「そうね……。そういうのもあるけど、初めは正直言って苦手だった、かな」
「え?」
 思いがけない言葉に、陽介はまじまじと絵里を見る。昨日は楽しそうに会話してたのに。
「学童保育に勇太を預けてから、先生もあのバイトを始めて、それから顔を合わせるようになったんだけど……。結構きついことも言われちゃったりしたわ。でも、あの時の私は馬鹿だったから」
 絵里が、肩を竦め眉を寄せながら笑う。その時の自分を思い出して恥ずかしがっているような感じだ。
「自分がこうなったのは運命だと思えば楽だとか。……そんなことないのにね」
 あ、と陽介は口の中で呟いた。以前鮫川で日向が苦手だと称していた人物が言っていた言葉と、絵里のそれはぴったり重なる。日向が苦手だったのは、絵里だったんだ、と陽介は確信した。だけど今、二人の間に壁はなく、確かな信頼を築いているようにも見える。その結果が昨日見た光景と、絵里が浮かべている母親としての表情なんだろう。
「私ね、先生のお陰であの子のことをちゃんと自分の眼で見られるようになったの」
 絵里はそう在れる自分を誇るように言った。
「だから今度は私の番なんだわ。先生が大切なことを気づかせてくれたように、今度はこっちが頑張る番。自分の力であの子と一緒に家族にならなきゃって。――先生に頼らないよう。胸張って、勇太と家族って言えるように」
 しっかりした口調の絵里の眼差しは、力強い。日向の言葉を思い出すなら、絵里と勇太には血の繋がりはないらしい。けれど、そんなのは今の絵里を見れば、些細なことのように思えた。
「あっ、いけない。もうこんな時間」
 絵里が腕時計を見て眉を跳ね上げた。もうすぐ勇太が家に戻ってくる時間らしい。
「用事があるのに話し込んじゃってごめんなさい。先生によろしくね」
 絵里はそう言って会釈をすると、そのまま行ってしまった。真っ直ぐ迷いも悩みもない足取り。やるべきことを見つけている背中が、陽介には眩しく見えた。


「わざわざありがとう」
 突然見舞いに来た陽介を、日向は驚きながらも出迎えてくれた。家に上げてもらい、居間に通される。
 前ここに来たのは、夏休み最後の日。たくさんスイカを貰ったから一緒に食べようと、日向と菜々子に誘われた。
 仲間みんなと菜々子、堂島。大勢で集まった居間はとても賑やかだった。食べたスイカはいつもより美味しく感じたし、来年は海でスイカ割りをしようと、笑いあった。
 その時が楽しかったせいか、一人きりで居間に座ると、なんだか物寂しい。落ち着きなく視線を彷徨わせていると、廊下の先、菜々子の部屋から話す声が小さく聞こえた。
「菜々子がありがとうって」
 扉が開く音がして、日向が台所に顔を出した。手には、渡していたジュネスのロゴがプリントされたビニル袋。それを揺らしながら、日向は残りのプリンを冷蔵庫に入れていく。
「良かったよ。菜々子ちゃんどう悪いのかわからなかったし」
「もう殆ど悪くないんだ」
 日向は冷蔵庫から取り出した麦茶を氷が入ったグラスに二つ注ぎ、居間の卓に運んだ。陽介の前に、はいと置き、向かい側に座る。
「前にもかかったことがあるみたいで。置き薬もあったから。幸い、大したことには……」
 日向は手にしたグラスを揺らす。からん、と氷が涼しい音を立てる麦茶の水面に、視線を落とした。
 暗い声に、陽介は飲んでいた麦茶を卓に置いて日向を見た。その表情には見覚えがある。
「どうした?」
 思い切って、陽介は聞いた。日向の顔を覗き込むように、軽く身を乗り出す。
「何か……あった?」
「……」
 日向の眼が陽介をとらえ、すぐに俯いた。黙り噛み締めていた唇を、躊躇いがちに開く。
「菜々子のことで、叔父さんと喧嘩した」
「喧嘩?」
「菜々子がお腹が痛いって言ったのに。叔父さんは自分の都合を優先させた」
 淡々と、日向は事情を説明しだす。昨晩菜々子はふらつきながら腹痛を訴えた。しかし堂島は、かかってきた足立からの電話を受け血相を変えると、薬がある場所を日向に教え、家を飛び出てしまった。
「菜々子、出ていく叔父さんを見て、泣き出しそうな顔をしてた」
 苦々しく日向は言った。
 幸い取っておいた薬が効いて、菜々子の容態は落ち着いたが、堂島はなかなか帰ってこない。
 戻ったのは、菜々子が眠ってしまった数時間後。日付はとうに変わっていた。
「……まだ起きて待ってた俺に、叔父さんはもう遅いだろ。早く寝ろって言って。俺はさっきまでのこと忘れたような叔父さんに腹が立ったから」
 日向は、ふうと息を吐いた。
「――どういうつもりだって」
「……言ったのか?」
 うん、と日向は頷き、立ち上がった。陽介に背を向けて窓際に立ち、拳を桟に押さえ付ける。
「……何で?」
 呟く日向の声が震える。
「どうして自分の子供より、仕事を優先する? 家族で大切なんだろう? なのに何で……」
 陽介の中で既視感がする。以前日向が自分の母親の話をした時と雰囲気が似ていた。どうしようもない何かに、日向は憤っている。
『結構きついことも言われちゃったりしたわ』
 陽介はジュネスで会った絵里の言葉を思い出した。
 日向が怒りを露わにする存在。会ったばかりの頃の絵里。早紀を根も葉もない噂で中傷し、貶めていた女子高生。完二がいつか言っていた、警察官。
 堂島。
 そして――日向の母親。
 振り回される身にもなれ、と日向が言っていた。そこにある思いはもしかして。
「橿宮ってさ、もしかして大人が嫌い?」
 思いついた考えを陽介は言った。
「いや、大人って言うか……、自分勝手な奴が?」
「……そうかもしれない」
 日向の頭が俯く。
「……昨日の叔父さん見て、俺の母親を思い出した」
「橿宮の?」
 聞き返すと、日向は肩ごしに陽介を見て、そう、と頷いた。
「俺が転校して来た理由、知ってるだろ?」
「ああ、親が海外赴任だから、だろ」
 日向が稲羽にやってきた事情は、千枝からあらかた聞いている。一緒見知らぬところへに連れていくよりは、と叔父である堂島に預けられた。
「別に預けるだの預けないだの、そんなのはどうだって構わない。ただ、こっちの言葉を聞かないで、一方的に決められるのはごめんだ。……例え、親が正しかったとしても。どうして、お前のためだって言うばかりで、こっちの言葉を聞いてくれないんだ? 叔父さんだって、仕事を理由に菜々子から逃げてるじゃないか。プライベートなんかない、菜々子も分かってくれるなんて……そんなの詭弁だ」
 信じられない、と呟く日向の拳が震えている。行き場のない怒りを抑え、単調な声で話す姿に、陽介は「橿宮」と小さく呟く。高ぶる感情が落ち着くのをじっと待っている姿に、かける言葉が見当たらない。
「……悪い。情けないことぐちぐち言って」
 日向がようやく振り向いたのは、グラスに入れていた氷が解けきった頃だった。少しばつの悪そうな顔をして、頭に手をやる。
「それから俺の勝手で、テレビに行けなくなって。本当にごめん。直斗のほうが命かかっているのに」
 頭を下げる日向に、「何言ってんだよ」と陽介は慌てて首を振った。
「お前は当たり前のことしかしてないだろ。菜々子ちゃんだって大変だったんだから。余計な気を回すな」
 陽介はわざと明るく言って笑った。暗い顔をしている日向の表情を、晴らしてやりたい。
「……まだ天気は大丈夫だ。直斗は明日、助けにいく。そして、絶対にうまくいく。だからさ、橿宮は今日、菜々子ちゃんに甘やかしてやりなよ。昨日のことなんか忘れるぐらいに」
「……うん。ありがとう」
 強張っていた頬が緩み、日向は小さく笑った。だけどちょっと失敗したようなその笑みは、ぎこちなく陽介の目に映った。

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