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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

どんな顔して言ってんの 2

長いので折り畳み長いので折り畳み




 テレビの中の世界に、新たな空間が生まれていた。
 放り込まれた菜々子の心に影響して出来ただろうそこは、とても綺麗だった。
 白亜の迷宮に咲き誇る鮮やかな色彩の花。空に架かる虹。白くけぶる霧が、非現実さの美しさを際立てる。まるで天国のような場所。
 死別した母親に対する思いが、菜々子の中に深く根付いている象徴のようだ。どんなにしっかりしていても、まだ七歳の子供。親の愛情がどれだけ必要な年頃か。
 天を目指すように上へ上へ進んで行く中、一度菜々子の声が聞こえた。どうしていなくなっちゃったの、母親を求め恋しがる泣きそうな声と、お父さんやお兄ちゃんがいるから寂しくない、と強がる声。
 閉じ込めてきた心中を語る菜々子の声を、日向は天を仰いでじっと聞いていた。唇が小さく動いていたが、何を言っているのか言葉は聞き取れず、しかし陽介は聞こえなくて良かったと思う。聞こえてたら、どんな顔をしたらいいんだろう。多分、すごく困っていた。
 横で日向を見ていた陽介は、こっちを振り向かれるのが怖くて、視線を床に落とした。喚きたくなる衝動を、腹に力を溜めることで抑える。
 直斗があれを橿宮に見せなくて、こっちに渡してくれて良かった。陽介は心からそう思う。
 菜々子が誘拐された日、直斗から渡された壊れたビーズの指輪。日向の誕生日プレゼントに、菜々子が一生懸命作ったんだろうそれは今、陽介が誰にも見つからないよう大事に隠してある。
 自室の机。以前は早紀と撮ったプリクラを入れていた一番上の引き出しに鍵をかけて。


 午前最後の授業が終わると同時に、陽介は教師から隠れるように見ていた携帯を閉じた。机に開いていただけの教科書をしまうのもそこそこに、教室を出る。
 購買で目についたパンとコーヒーを二つずつ買い、靴を履きかえ外に向かった。暦の上ではもう冬に突入しているが、暖かな陽射しがまだまだ気持ちいい。
 始まった昼休みに、教室から出てくる生徒の声で、校舎の中が騒がしくなってくる。陽介は歩きながら、窓の向こう側を見た。楽しそうに話したり、待ちに待った昼食を買いに行ったり。活気が溢れている。
 ――対岸の火事、か。
 自分には危険が及ばない。苦しくもない。だから関係ない。春から起きた殺人事件は終わったんだから。
 きっと学校にいる殆どの人間は、もう恐ろしいことなんてないだろうと思っている。中には、諸岡がいなくなって清々した、と隠さず言う生徒もいて、陽介は胸が悪くなることもあった。
 陽介も諸岡は嫌いだった。教師にあるまじき傲慢な振る舞いもそうだが、早紀のことを悪く言っていたから。だが、それでも死んでしまえ、とまでは思わなかった。
 諸岡も被害者だ。久保が事件の手口を真似ようと考えなければ、殺されずに済んだはずだ。
 死、と言うのは簡単に受け止められるものではない。陽介とて早紀の死を完全に吹っ切れていない。
 だから、諸岡の死に対してさがない言葉を聞く度、辟易する。じゃあお前らが同じ立場に立たされたらどうすんの。そう思うが、口にはしない。関係ないと思う奴に言っても無駄なんだから。
 陽介は、校舎に向けていた視線を前に戻した。パンとコーヒーが入ったビニル袋を揺らして、体育館へ向かう。
「かーしみやっ」
「……花村」
 日射しが当たる体育館の壁に凭れ、ぼんやり空を見上げていた日向が、緩慢とした動作で陽介を振り向いた。陽射しに晒されている顔色は明らかに悪いし、声も覇気がない。
 だが陽介はそこに触れず、普段接している通りに振る舞う。手に持ったビニル袋を軽く上げ「パン、買ってきた」と日向の隣に腰を下ろした。
「あと飲み物な。これでいいだろ?」
 がさがさと音を立てながら取り出したコーヒーを、日向は「ありがとう」と受け取り、ポケットを探った。
「いつも悪い……」
「お金はいいよ」
 取り出した財布を見て、陽介はゆっくり首を振り、手で制した。
 日向が眉を寄せる。
「でも最近ずっと」
「だからいいって。今まで弁当食わせてくれたお礼みたいなもんだし。プラマイゼロ。なっ」
 歯を見せて笑い、陽介はさっさと自分のパンの袋を開けて食べはじめた。話を打ち切られ、日向は瞬きしながらパンを頬張る横顔に「……ありがとう」と囁くように呟いた。
 昼食を終えた陽介はヘッドフォンを耳に当てた。プレーヤーを操作して音楽を聴きながら、日向の様子を窺う。
 殆ど食べていないパンを手に、日向はぼうっとしている。寝ていないんだな、とすぐに見抜けた。
 現実にいるけど、意識は常にテレビの世界へ向けられている。菜々子の救出を始めてからずっと、日向はそんな感じだ。
 寂しくない、と言った菜々子の声が聞こえた後、りせが「菜々子ちゃんの他に誰かいる」と言い出した。もしかしたら、姿を消した生田目なのかもしれない。トラックで見つけたノートを見る限り、生田目は菜々子の誘拐に特別な意気込みを感じていたようだったから、と直斗がそう考えを述べた。もし犯人なら、テレビに入る力を持っている。可能性は十分にあった。
 菜々子と生田目が一緒にいるかもしれない。その事実が、日向に無理をさせることに拍車をかける。限界ぎりぎりまでシャドウと戦い、天を目指す。下手に騒がれないよう普段通りに学校も通い、テレビの後は病院に赴いては堂島の様子も見ているようだった。
 十分休めていないのは明白だ。しかし日向は疲れをおくびにも出さない。ただ気になるのはここ最近の言動だ。転校当時の淡々としたものへ戻っているように感じる。無闇に近づくことを、許してくれない壁が、日向と他の間に立ち塞がっているように思える。
「――花村」
「へっ?」
 いきなり呼ばれ、肩を跳ね上げた陽介は慌ててヘッドフォンをむしり取った。
 日向が「その袋ちょうだい」と手を伸ばす。
「パン、後で食べるから」
 今はもう食欲が失せたらしい。催促する手に、丸めてくしゃくしゃになっていたビニル袋を渡すと、日向は食べかけのパンをそこに入れ、口を縛って閉じた。見れば、コーヒーはプルトップすら開けていない。
 壁に凭れていた身体を前に移動させ、日向はコンクリートの地面へ横になる。腕を枕にして、陽介に背を向けた。そして空いている手が、ゆらりと上がる。
「ちょっと寝る。置いてっていいから」
「午後は?」
「出ない」
 簡潔に答えたきり、日向は沈黙した。でも眠れないらしく、時折身じろいでいる。
 陽介は日向の背中を見つめながら、手に持っていたヘッドフォンを首にかけ直した。プレーヤーの電源を切ると、ヘッドフォンから漏れていた音が途切れた。
 校舎の喧噪から外れた場所で二人きり。陽介は身体をずらすように移動して、日向に近づいた。地面に手をつき、そっと日向の顔を覗き込む。
 白い。
 学ランの襟から覗く肌に、不安を感じる。
 もともと日向は色白な方だが、最近はそれに輪をかけているように白く見える。まるで血が通っていないような病的な色だ。
 陽介たちじゃなく、勘のいいクラスメートもそれに気づいているようだった。日向がいない時を見計らい、「あいつ、大丈夫か?」と数人が陽介や雪子たちに聞いていた。教師も世話になっている家人が事故に遭ったと知っているせいか、授業をサボっても何も言わない。
 午前の数時間は授業に出るものの、日向はふらりと教室を出ては、さっきのように一人でぼんやりしていた。陽介がメールで居場所を聞けば、素直に教えてくれるが、あまり会話はない。まるで人間を警戒している野良猫みたいだ。
 あの雨の日からもう何日経つんだろう。あの天国で聞こえるのは、生田目らしき男の声ばかりで、菜々子の声がしなくなっていた。
「――なぁ、花村は覚えてるか?」
 背を向けたまま、突然日向の声がした。顔を覗き込んでいた陽介は、慌てて体勢を戻し心臓の辺りを押さえる。いきなり喋り出すから吃驚した。
「……何を?」
 日向は陽介を振り返らないまま、言った。
「初めてあそこに行ったときのこと。……りせが天国みたい言ってたときの」
「……ああ」
 陽介は苦々しく答えた。りせがそう言った時、菜々子がその内に抱えていた寂しさに気づいたのは、陽介だけじゃないだろう。
「俺さ、それ聞いて思い出したことがあるんだ」
 ぽつりと、日向は零す。
「……菜々子に前、聞かれたんだ。人は死んだらどこに行くの、って」
「え……」
「だから俺は答えたんだ。人は死んだら……天国に行くって」
 日向の頭が僅かに上向いた。どんな顔をして言ってんだろう。陽介はまた日向の顔を覗き込みたくなる。
「菜々子は俺の言葉を聞いて、天国を思い描いてたのかな。……あんな風に」
「そ……っ」
 そんなことない。
 出しかけた言葉は胸につかえた。声を出しかけた口をぐっと閉じ、地面に置いていた手をきつく握る。
 言ってどうする。口にしたって、慰めにもならない。
 日向はもう何も言わない。置いてっていい、と言われたがそんな気にもなれず、陽介は日向が起き上がるまでずっと隣に留まっていた。


 じっと待つのはもどかしい。
 陽介は、菜々子の心が生み出した天国へ続く門を見上げる。動き回っているほうが気が紛れるのに、こうして待ってるだけなのは苦痛だ。
 じりじりと焦りが少ない余裕を侵食いくような感じに、開け放たれた門へつい目がいってしまう。日向が完二と千枝、そしてクマを連れて門を潜って行ったきり、既に結構な時間が経過していた。
 無理をしてないか、と考えると次から次へと不安が押し寄せ心配になる。他に残された雪子と直斗もそうなのか、誰も言葉少なに日向らの無事を願っているようだった。
「花村先輩」
 りせが陽介に近づいてきた。そして陽介の顔を見るなり、表情が曇る。
「先輩顔色悪い……。ちゃんと寝てるの?」
「そう言うりせだって同じじゃね?」
 陽介は皮肉っぽく返した。特捜本部のムードメーカーとしていつも周りを明るくさせる屈託のない笑みが、萎れてしまってる。化粧で隠しているが、目元の隈がうっすら見えてしまっていた。
「しんどい?」
 陽介は、後頭部に頭をやりながら、りせの顔を覗き込む。テレビの世界を歩き回るには、探知能力がずば抜けている彼女のペルソナが必要不可欠だ。しかしそれは、探索している間りせはペルソナを召喚し続けることにもなる。ここ最近、毎日テレビに入っていることを考えると、かなり疲労が溜まっているだろう。
「私は平気です」
 りせがツーテールを揺らしながら、気丈に首を振った。
「シャドウと戦うことはないですし。それに橿宮先輩が中で休んでる時教えてくれるから、その時私も休んだりしてるんですよ」
「じゃあ今アイツらも中で休んでるってこと?」
「はい。みんな大きな怪我もしてないです」
 そうか、とりせの報告に陽介は不安が尽きる訳ではないが、とりあえず胸を撫で下ろす。しかし二人の表情は曇ったままだ。二人並んで天国を見上げる中、りせが唇をきゅっとすぼませる。
「ねぇ花村先輩。橿宮先輩大丈夫だと思います?」
「……あれは相当無理してるだろ」
 事情を知ってる仲間に対しても、日向はあまり弱さを見せようとしない。自分が仲間を束ねるリーダーの立場が彼をそうさせているのか。
 ――菜々子は俺の言葉を聞いて、天国を思い描いてたのかな。
 弱音らしい弱音も、後にも先にもあの時だけだった。
「……ちょっと寂しいな。俺たちがいるんだから少しぐらい頼ってくれたっていいのに」
 陽介は悔しくなって言った。それを聞いてりせは俯き、爪先でとん、と地面を叩いた。
「……私は少し橿宮先輩のこと、わかるかも」
「え?」
「私もここに来る前、すっごく辛かったから」
 りせは、小さく溜め息を吐いた。
「芸能界で『りせちー』をやってくうちに『私』が何なのかわかんなくなっちゃって悩んでた時、マネージャーさんとかが励ましてくれたりしてた。『大丈夫?』とかって。でも」
 りせは陽介を見上げた。
「大丈夫って言われたら、大丈夫しか返せないんだよ」
「……」
「だって大丈夫じゃないって言ったら、心配させちゃうし、迷惑になるかもって思っちゃうから。それでもっと無理をしちゃう。気遣われて、遠くから見守られても、その視線が重圧になって息苦しい。だからいつも通りに振る舞うしか選択肢がない。……やることなすこと全部が悪いほうに行っちゃうの」
 りせの言葉には、重みがあった。稲羽に来る前は芸能界での自分の在りように苦悩していたからか、陽介を射抜く目には達観すら感じた。
 陽介は堪らずりせから目を反らした。返す言葉が見つからず口ごもる唇を掌で覆った。
「……なーんて。これは私の場合、なんですけどね」
 じっと真顔で陽介を見ていたりせの表情が、緩んだ。いつもの、人懐っこい笑みを浮かべ舌を出す。あまりの変わりように、陽介は瞬きを何度もした。流石は芸能界を生きてきた、ってところか。
「偉そうなこと言っちゃってごめんなさい」
 りせが陽介に頭を下げた。
「あんな風に言っちゃったけど、私だって先輩に頼ってほしいと思ってるのも本当なの」
「わかってるよ」
 りせは日向にとても懐いている。きっとさっきの言葉も、日向を案じているからだろう。
「良かった」とりせは笑うが、すぐ不安そうな顔に戻る。
「でも少し、怖いって思う」
「怖い?」
 どういうことだろう。陽介は首を捻る。
「だって今の先輩はいつも通りだけど、中身もそうだとは限らないから。私は先輩を励ましたいけど、その言葉が逆に追い詰めたりしないかって、つい思っちゃう。でも――」
 突然、弾かれたように「あっ」とりせが顔を上げた。後ろに手を当てた耳を澄ませ、陽介から少し距離をとる。はい、と相槌をうちながら、陽介に目線で謝った。どうやら日向たちの休憩が終わったようだ。
 天国の門の前で、りせが目を閉じた。掌を合わせて握りしめた両手を胸の前に当てる。すう、と息を深く吸い、その身に宿すペルソナの名前を呼んだ。
「――カンゼオン」
 りせの呼び声に呼応して、現れたペルソナは最初に彼女が宿していたものとは違う。りせだけじゃなく、仲間の中に何人か新たなペルソナを使えるようになっていた。

『橿宮くんのお陰だよ。彼に大切なことを教えてもらったから、あたしは強くなれた』
 トモエに代わりスズカゴンゲンを呼び出しシャドウを殲滅した千枝が、誇らしくペルソナを見上げて言ったことを陽介は思い出す。
 生まれ変わったペルソナを目の当たりにし驚く陽介に、千枝は迷いない眼差しで言った。
『これからはもっと橿宮くんの助けになればいいな』


「……助けになれればいいな、か」
 進みはじめただろう日向たちをペルソナで支援するりせを見ながら、陽介はぽつりと呟いた。
 羨ましいと思う。陽介のペルソナは、影がまだ完全に戻っていないせいか、未だにジライヤのままだ。
 陽介は目を閉じた。感じる心の空疎さはそのまま残っている。
 この欠けた部分が戻ったら、もっと橿宮の助けになるだろうか。
 霧にけぶった空の向こう、陽介は空を仰ぎ、どこかにいる日向を探すようにその目を眇めた。

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