まだ 1 ペルソナ4 Memories of the world 2013年05月02日 長いので折り畳み 『もう一度日向に会いたかったんだぜ、俺』 陽介の影は、掴んでいた日向の手首を親指で擦るように撫で触った。それを振り払おうとせず、日向は捕らえられた手首から影に視線を移す。 影は睫毛を伏せ、掴んでいる手首をじっと見たまま、だってよ、と口を開いた。『前は有耶無耶になっちまったもんなぁ。最後には会話らしい会話もなかったし』「……受け入れられて、ペルソナになったんじゃなかったのか?」 滔々と語る影に、日向は聞いた。ペルソナとシャドウは表裏一体。どんなに耐え難いものだと拒絶されたものでも、受け入れれば影は制御され、宿主を守るペルソナになる。 しかし、日向の目の前にいるのは、紛れもなく陽介の影――シャドウだ。人にはあり得ざる、黄色い虹彩がそれを物語っている。『ああ、俺もそうだと思ってた』 影が顔を上げ、日向を見てくっと口元を上げた。左手で自分の胸を押さえ、楽しそうな愉悦を見せる。『でも違ってた。俺はまだここにいるんだ。それをアイツは知らないみたいだがな』「……」『嬉しかったぜ。“俺”がこうしてまだいられるなんてよ。アイツに感謝してえぐらいだ』 堪えきれず頭を抱えて笑い出す影を、冷静に日向は見つめ、尋ねた。「お前は俺に会いたかった、って言った。――どうしてなんだ?」 純粋な疑問に、影は笑うのを止めた。それでも今の状況を楽しむように眼を細める。『ああ、そうだ。そうだったな。俺は』 日向の腕を掴む手に、力が篭る。日向に顔を近付け、真直ぐ見つめる眼を覗き込み、影は言う。『――お前に聞きたいことがあるんだ』「はぁ? なんでそんなことわざわざ呼び出してまで聞くんスか?」 フードコートの一角。椅子に肘を膝についた前屈みの格好で座った完二は、今更だろう、と呆れたような眼をした。日向とは違い、敬意が欠けている物言いに陽介は一瞬かちんと来たが、寸でのところで我慢した。ここで怒ったら、話が進まなくなってしまう。「い、いいだろ。ちょっと気になっただけなんだし」 精一杯睨み付け、それとも何か? と挑発するようにわざとらしく溜め息をつき、殊更ゆっくり首を振る。「あん時の古傷に触れたくないからって、誤魔化そうとしてんじゃねえだろうな、完二くんは」「ばっ……!」 あまり触れられたくなかった箇所を抉られ、勢いよく上体を起こした完二の顔が、みるみる赤くなっていく。自らがテレビに放り込まれ失踪していた間のことを思い出したのか、膝の上で握りしめた拳が小刻みに震えていた。「んな訳ねえだろ! 誤魔化してなんかねえ!」「じゃあ教えてくれるよな。完二は男らしいもんなぁ」「ったりめえだ!」 啖呵を切るような完二に、ちょろいな、と陽介は内心思う。ちょっと煽るだけで、冷静さを失ってしまうのでとても丸め込みやすい。「……で、何教えればいいんスか」 ぶっきらぼうな完二に、お前な、と陽介はがっくり肩を落とす。「さっき言っただろ……。人の話聞いてなかったのか?」 どうやら血が頭に昇ったせいで、尋ねたことが吹っ飛んでしまったらしい。陽介は呆れながら、その質問を改めて口に出す。「お前がペルソナを手に入れた時、影の記憶も一緒に戻ってきたかどうかかだよ」 りせを救出した日、雪子から聞かされたある事実は、陽介を大いに震撼させた。 今まで、日向を除く特捜本部の人間は皆、暴走した影を受け入れ制御することで、ペルソナをその身に宿している。そしてその時、ペルソナと一緒に、影が持っている記憶もまた自らの内側に戻ってきているのだと。 それを知った時、陽介は慌てた。雪子や千枝とは違い、自分はその時の記憶を持っていなかったからだ。 影が暴走し気絶した瞬間から、再び眼が覚めるまでの時間。その間だけの記憶がまるで最初から存在しなかったかのように、頭から抜け落ちてしまっている。 もしかして、俺だけなんだろうか。不安にかられ、こうして日向たちには内密に完二を呼び出し尋ねてみたが。「……覚えてるっスよ」 聞き出した答えは、もしかしたら、と抱いていた淡い期待を砕くには十分だった。完二もやはり、ペルソナと一緒に影の記憶を持っている。 ぞわりと後ろから突き落とされるような寒気が足元から這い上がるような感じがして、陽介は歯を噛み締める。「そっか……」「で、なんでそんなことを聞くんスか。先輩だって持ってるでしょうよ」 分かってるはずなのに、どうして聞くんだ。そう言いたげな眼で完二は言う。 いいだろ、と陽介は少し苛立ちながら答えた。腕を組み、椅子に凭れて深く息を吐く。「言っただろ。ちょっと気になっただけだって」 さっきと同じ質問に、同じ答えで返す。完二は怪訝な顔をするが、聞いても答えないだろうと思ったらしく「ま、いいっスけど」とそれ以上追求はしてこなかった。 しかしすぐに眉を潜めた完二は、陽介の方へ身を乗り出しさっきよりも小声で呟く。「それよりも、橿宮先輩のことちょっと注意した方がいいっスよ」「橿宮? なんで」「実は……」 人目を憚るように辺りを気にしながら、完二は、日向が警察官に噛みついた、と苦々しい顔で伝えた。そのことに驚いた陽介もまた完二の方へ身を乗り出す。「噛みついたぁ!? なんでだよ!」 フードコートに響く大声を出す陽介に、完二が顔を顰め「静かにしろよ」と立てた人さし指を口に当てて注意する。「オレだって、いきなりでびっくりしたんだからな。あんなに怒る先輩、初めて見たし」 先日二人で商店街を歩いていた際、警察官と鉢合わせしたらしい。その時の警察官は完二を冷たく一瞥し「大人しくしているだろうな」とさもいつもは悪事を働いているような口ぶりで言った。そして次の瞬間には、日向が警察官に詰め寄る勢いで反発したのだと、完二は説明する。「なんでそんなことを言うんだ、って噛みつく先輩見た時、すっげ驚いたもんスよ。普通、警官に噛みつく奴なんて、いねえっしょ?」 それまでは静かだったのが、警察官の言葉一つで一変し、激しくなったようだった。 そう表現する完二に、陽介は以前学童保育のアルバイトで悩んでいた時の日向を思い出す。自分勝手な言動をする大人に対し、憤っていたあの時の日向も、どこかいつもの彼と違って見えた。「……オレは慣れてるし、なに言われても平気だけどよ。先輩までオレと同じような眼で見られるのはまずいと思いますけどね」 後頭部を掻きながら、完二は左側の席を見た。そこはいつも日向が座っている席がある。「あの人の叔父貴はデカなんだ。下手して目ぇつけられたら、身動き取れなくなるっスよ」「ああ、まぁ、な」 陽介は苦い顔をして頷いた。 既に陽介と日向は、一回警察に連行されている前科がある。それにこれまで独自に調査している時にも、何度か鉢合わせしていた。堂島は、その都度探るような視線を甥に向けている。不審に思われている可能性は十分にあった。 もし本格的に疑われ、日向が身動きできなくなるのはなるべく避けたい。複数のペルソナを自在に使えるのは、リーダーである日向だけ。彼が抜けたら、戦力的にも精神的にも辛くなってしまう。 この事件は、警察には解決できない。 ペルソナを持つ、人間――俺たちでなければ。「でしょ?」と同意を得た完二は深く頷く。「だから、花村先輩ができるだけ見ておいた方がいいんじゃないっスかね」「なんで俺?」 名指しで言われ、自分の鼻先を指差す陽介に、それこそ何を言っているんだ、と不満たっぷりな表情で完二は眉間に皺を寄せた。「だってアンタら一番仲が良いじゃねえか。相棒なんだろ」「……」 陽介は黙り込む。 否定はしない。けど、少し複雑な気分だった。 そもそも、完二に尋ねるなどと回りくどいことをしないで、日向に直接聞けばこうして悩んだりはしないだろう。確実にこちらが望む答えを持っているのは、日向だけなのだから。 自分一人、他とは違う。それだけで、身体の中を冷たい空気が通り抜けるような疎外感を感じる今、速やかに行動へ移すべきだと、どこからか声が聞こえてくるようだ。 だけど、その一歩が踏み出せない。自分の知らない何かがある。それを知りたいと渇望すると同時に、それを聞いてしまったら自分を支えている“何か”が根柢から崩れていくようで、――怖くなる。 漠然とした不安を抱えながら完二と別れた陽介は、ジュネスを出て帰り道を頼りない足取りで進む。爪先にあたった小石を蹴りあげると、数回跳ねて側面の用水路へ落ちていった。ぽちゃん、と水に落ちていくか細い音が、陽介を心細くさせた。 立ち止まり、自分の足元を見下ろす。しっかり立っているはずなのに、ぐらついているような錯覚を感じた。 どうしてだろう。 あの時俺は、もう一人の自分と向き合って受け入れて、ペルソナを手に入れたのに。前とは違う、強くなれたと思っていたのに。「……なんか俺、全然変われてねぇ……」 自分で吐き出した言葉が思ったより重くのしかかる。陽介は唇を噛み締め、迷いを振り払うように歩き出した。 [0回]PR