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二次創作(小説のみ)やオフラインの情報を置いてます。

過去が横たわる部屋 2

長いので折り畳み




 四六商店に用事があるふりをして、陽介は丸久豆腐店の前を通り過ぎる。
 いつもは、おっとりとした雰囲気を持っているりせの祖母が店に立っているが、今は扉が締められていた。りせが失踪しているのに、店を開けている場合ではないんだろう。可愛い孫を何も言わずに優しく見守っていた様子からして、いなくなった辛さはそうとうあるに違いない。
 結局、まだりせは救出するに至っていない現状が、とてももどかしい。
 あの日も、なるべく力を温存しつつネオンが眩しい劇場を進んでいったが、やはり短期間で辿り着くのは難しかった。進めば進むほど、シャドウも強く一筋縄ではいかなくなるので、一旦退却を余儀無くされてしまい、りせの救出は後日に持ち越しとなってしまう。
 予報では天気が崩れるのはまた日がある。しばらくは夜に雨が降りそうもない。りせのマヨナカテレビが、映る可能性もほぼ皆無なのが、せめてもの救いだろう。
 だが、確実に助ける為にも今日は休もう、と日向は特捜メンバーに言い渡し、本人は授業が終ると同時にさっさと下校してしまっている。やっぱり行こう、と陽介が声を掛ける間もなかった。
 今日こそは助けたい、と意気込んでいた陽介としては、テレビの中に行って先に進みたかった。探査能力が薄れながらも、懸命にりせの気配を追っているクマは、あともう少しみたいなことを言っている。それにシャドウと戦ってきて、強くなった自信もあった。
 それなのに、いきなり出来てしまった空白の時間。のんびり休んでいていいのか、とじんわり燻る焦りのせいで意気込みは空回り、どう時間を使えばいいのか、分からなかった。
 前だったら、バイトがない時は適当にぶらついたり、部屋でだらけながら、時間を潰していただろうけど。今そんなことをしても、落ち着かなさそうだ。
 悩む陽介の横を、買い物帰りの主婦が横切った。陽介の顔を見て、物言いたさげに眉をちょっと潜められてしまう。
 商店街では、よくあることだ。一々気にしても仕方ない。
 諦念の溜め息を吐き、首に掛けていたヘッドフォンを耳に当てる。大音量で音楽を再生して、足早にその場を後にした。


 ふいに肩に衝撃が走り、そこを咄嗟に手で庇った。音楽を聞きながら、ぼんやり歩いていたせいで、すぐ近くに人がいるのも気づかず、そのままぶつかったらしい。
 ぶつかってしまった相手は、上品な服を着た女性だった。肩を押さえる陽介に、すいません、と頭を下げた。つられるように陽介もヘッドフォンを外し、慌てて頭を下げる。その横を女性の子供だろうか、活発そうな少年が走って通り過ぎていった。
 女性は憂いを含む目で少年の背中を見つめる。溜め息をつき、もう一度頭を下げてから、「待ってユーくん」と小走りで少年の名前を呼びながら後を追っていく。
 なんとなくその様子を見送り、いつの間にか鮫川の河川敷まで来ていたことに気づいた。しかも自分の家がある方向とは逆に進んでしまっていて、さらに驚く。
 つーか、こっちは橿宮ん家の方向だし。
 何も考えずに歩いていたことを考えると、無意識の行動なのか。それとも心のどこかで日向に会いたいと思っていたか。
 会った瞬間、日向に怪訝な顔をして理由を問われそうだが。
 いやー、ないわこれ。うん。ない。
 自分の無意識の行動に呆れて首を振り、陽介は踵を返して来た道を戻る。
 川と道を挟んだ反対側に建てられた東屋の近くに差し掛かった時、さっさと帰ってしまった日向の姿が見えた。川の方を向いて長椅子に腰掛けている姿は、心無しか落ち込んでいるように背中が丸まっていた。
 そっと近づいてみても、日向が陽介に気づく様子はない。横に立ってもそれは同じで、ぼんやりと鮫川の水面を眺めている。
「――橿宮?」
 躊躇いながら声を掛けた。すると、日向はびくりと肩を跳ね上がらせ、反射的に陽介の方を振り向く。予想以上の反応に、声を掛けた陽介も驚いてしまった。
「花村?」
「よ、よう。奇遇だな、ここで会うなんて」
 驚きを引きずったせいで、声が上擦ってしまう。落ち着け俺、と少し深めに息を吸い「もう家に帰ったんじゃなかったっけ?」と尋ねた。日向が下校してから随分時間が経つが、まだ制服の格好のままだ。てっきり家に帰ったとばかり思っていたのに。
 日向はううん、と首を振る。
「今日は学校からそのままバイトに行ってた。学童保育」
「学童保育って……、要はガキんちょの世話だろ?」
 確か放課後、親が勤めているせいで面倒見れない子供を迎えに来るまで預かる仕事だったはずだ。
「結構、子供って体力あるだろ。大変じゃね?」
「うん」
 頷いて、日向が苦笑した。
「でも、誰かの面倒見るのは嫌いじゃないから」
 そう言って力なく笑う日向の表情はすぐに消え、沈んでしまう。その姿は、以前ここで会話した内容のことを連想させた。
「なあ、何かあった?」
 日向の後ろに腰を下ろし、陽介は尋ねた。
 え、と振り向いた日向の眼は、虚をつかれたように丸くなっている。
「もしかして、また菜々子ちゃんとなんかあったとか?」
 菜々子とうまく話せないと言っていた時も、日向はさっきと同じような表情をしていた。
 林間学校の帰りに堂島家に立ち寄った時。そしてたまにジュネスのバイト中で見かける時。そのどちらも、二人はとても仲の良い兄妹にしかもう見えなかった。菜々子は心から日向を慕っているようだし、日向もまた菜々子の良い兄でいようと努力しているように感じていたのに。
「違う」
 日向は首を振った。そして陽介と同じ方向を向いて座り直し、「……バイト先でちょっと」と口籠り、俯く。
 黙ってしまった日向に、陽介はあえて沈黙を保った。日向はあまりものを言う時、はぐらかしはしない。曖昧に濁すこともせず、嘘を吐くぐらいなら、と葛藤して黙ってしまう傾向があった。
 そんな時は気長に根気よく待つしかない。
 この場合日向は、言おうかどうか迷っているのだと、陽介は知っていた。
「……なぁ。聞いてもいいか?」
 しばらく流れた沈黙の後、日向が喋る気になったらしく口を開いた。
「花村は、家族だけど血が繋がってないから仲良くなれないのは仕方ない。うまくいかないから放り出す。そういうのって、どう思う?」
 顔を上げた日向に真剣な眼差しで問われ、陽介もまた腕を組み深く考える。これは適当に答えるべきじゃないだろう。
「……それは勝手な言い分じゃねえ? 誰のことを言ってるかしらねーけど、それはきめつけているからで、本当にそうなのか分からねーじゃん」
 日向が、菜々子と仲良くなりたいと深く悩んでいたことを、陽介は知っている。だからこそ、さっきの問いを肯定するのは出来なかった。
「うん。俺もそうだと思った」
 陽介の答えに、同意を得られた日向がほっと安堵したように笑う。
 そして、ぽつりぽつりとその問いが生まれた切っ掛けを話してくれた。
 どうやら日向は、バイト先に苦手な人がいるようだった。再婚したばかりで夫が単身赴任で家をあけ、残ったのは自分と血の繋がらない夫の息子。ずっと二人で暮らしてきたが、子供が何を考えているか分からないから、と半ば接することを諦めているらしい。
 ふと陽介はさっきぶつかった女性を思い出す。どこか、疲れたような表情をしていたあの人も、子供とはうまくいっていないような感じがしていた。
「今日も自分がこうなったのは運命だと思えば楽だとか。本当は都会に帰りたい、だとか。自分のことばっかりで……」
 日向は瞼を伏せ、理解出来ないように頭を振る。
「……なんか、俺の母親を彷佛とさせる」
 膝の上に乗せていた手を固く握る日向の目が、冷たく光る。


「――振り回される身にもなれよ」


「……っ!?」
 その声音に陽介はぞっとした。転校当初の無感情とはまた違う、淡々と冷酷に響く声。
 まるで、テレビの中に現れる、シャドウのような――。
「か、橿宮……?」
 思わず腰を浮かし、陽介は咄嗟に日向の肩を掴んだ。
 はっと日向は顔を上げる。そして不思議そうに切羽詰まったような陽介を見上げ、首を傾げた。
「悪い。ぼんやりしてた。何か言ったか?」
「えっ? い、いや……何も」
 陽介は曖昧に言葉を濁して、掴んだ肩を離して座り直す。無意識に思っていたことが、口に出たんだろうか。日向はさっき自分が言ったことに、気づいていないようだった。
 そうか、と日向は腕時計を見て顔色を変える。
「ごめん、もうそろそろ帰る。菜々子が待ってるし、それに夕飯の支度しないと」
 そう言って、日向は急いで家に帰っていった。
 じゃあな、と遠ざかる背中を見送り、陽介は深く息を吐く。知らずに緊張したらしい、いつの間にか握りしめていた掌を開くと、汗を掻いていた。
 耳の奥では、冷たく響く日向の声がこびり着いていた。

『――振り回される身にもなれよ』

 以前千枝が言っていた。日向の両親はいつも仕事であちこち飛び回っていて、今回も海外の転勤を機に、稲羽に住んでいる叔父の元へと一人来たと。それに、幼い頃も転勤が切っ掛けで転校することも、何度かあったらしい。
『小さい頃に何度も転校って、結構しんどいよね』
 転校初日に日向から聞いたことを話した千枝はそう言って、少し複雑そうな顔をしていた。
『だってさ、せっかく馴染んで友だちも出来たーって時にまた知らないところに転校になったらさ、あたしだったら辛いかも。……花村だってそうでしょ?』
 その通りだった。
 ジュネスの店長になる父親に連れられて、やってきた稲羽は陽介にとって当初は全てが鬱陶しかった。それこそ、影が言っていたように、何もかも。
 商店街を潰す店の息子だから。それだけで敵視される毎日。酷い時には面と向かれて罵倒されたこともあった。
 だけど今は稲羽に来て良かったと思っている。ここに来なかったら、会えなかった人たちがいるから。
 それなら、日向はどうなんだろう。
 菜々子と一緒にいる時は、幸せそうに笑うけれど。じゃあ、それ以外はどんな気持ちなんだろうか。
 ここ――稲羽に来て、良かったと思っている?
 取り留めもなく考えながら、陽介は日向が見ていた鮫川の水面へ目を向ける。西の空へと沈みかけた夕陽が投げた光が、水面を橙色に輝かせていた。

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