ここにいるのは ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 トイレ近くに設置されている長椅子に、日向はぼんやりと座っていた。さほど遠くない距離にある家電売場は、いつもより活気がある。チラシ出してたから、と陽介が言っていたのだから、少しは効果があったんだろう。「お待たせ」 陽介が男子トイレから出てきた。手には濡れたタオルハンカチ。陽介がメッセンジャーバッグを漁り、底から奇跡的に発掘されたものだ。 陽介は座っている日向の前に立ち、右手を出すよう促す。素直に日向が右手を陽介に伸ばした。 その右手は赤く腫れている。手首の辺りを一周するように歯型がついていた。「痛いかもしんねえけど、我慢な」 断りを入れてから、陽介は濡らしたタオルハンカチを広げ、日向の右手首に当てる。肌が痛みを感じたのは、ほんの一瞬だった。冷たさが気持ち良く、ほっと日向は息を吐く。「しばらくそうしとけよ」 陽介は当てたタオルハンカチをそのまま日向に渡し、隣に座った。「しっかしクマの奴、普通手が出てくるからって噛み付くか? 橿宮は呼んだだけだっつーの」「俺もまさか噛まれるとは思わなかった」 雨の降る深夜十二時、テレビに映るマヨナカテレビ。映った人間は、テレビに放り込まれてもう一人の自分に殺される――。 そう推論を立てた日にさっそく映ったのは、同級生の雪子。幸いにも連絡は取れ、無事は確認出来ているが、やはり不安は拭えない。 だから二人は雪子の親友でもある千枝を連れて、テレビの中の世界にいるクマに会いに来た。だが何を考えているのか、テレビに潜り込ませ外から呼ぶ日向の手にクマは思い切り噛み付いていた。 漫才じみたやり取りのせいで話が進んでしまったが、その間も日向はしきりに噛まれた手を摩っているのを陽介は見ている。すごく、痛そうだった。「一応帰ったら帰ったでちゃんとしとけよ。これはとりあえずの応急処置だし」「ありがとう」 日向の声と重なり、タイムセールの店内放送が流れる。それを聞き、足早に食料品売場に向かう人達を陽介はぼんやり見つめた。日常の裏に潜む非日常に足を突っ込んだからか、何となく向こうとこっちで境界線が出来たような気がした。「また起きんのかな」 ぽつりと陽介は呟く。タオルハンカチで押さえていた右手首を見ていた日向が、陽介のほうを向く。 ちらりと横目で日向を一瞥し「失踪」と陽介は短く告げた。これまでにテレビに映った人間は二人。そのどちらもが映った数日後に遺体となって発見されている。「どうだろうな」と日向が肯定とも否定とも取れない風に言った。「今の時点じゃ圧倒的に情報が足りない。どうしたって後手にならざぬを得ないだろう。もし天城が本当に狙われてるのなら、ずっと見てたほうがいいんだろうけど。もしくは里中と一緒にいてもらうか。でも難しそうだな」「天城ん家旅館だしな」 しかも急な団体が入り、学校を休んでいる程の忙しさだ。それにテレビに放り込まれて、もう一人の自分に殺されてしまうかもしれない――なんて話を信じてくれるかどうかすら怪しい。「あー、もう! 犯人の奴まどろっこしいことしやがって。宣言するなら、もうちょっと分かりやすいヒント残してけっつうの」「それはちょっと無理があるんじゃないか? 犯人だって捕まりやすくなってしまう」 無茶を言う陽介に、日向が思わず笑った。「でもさ……」 不服を唱えようとする陽介の言葉を「でも」と日向が遮った。「クマが言ってただろう? もしまた誰かがいなくなっても、ペルソナを持つ俺達なら助けられるかもしれないって」「それはそうだけど」「だから天城が失踪しても、助ければいいんだ」 妙にはっきりとした口調で日向が言った。自信に満ちた笑顔を陽介に見せる。「おま、……自信満々ね」 少し呆れた陽介に「じたばたしても仕方ない」と日向は肩を竦める。「それに花村もペルソナを宿してる。戦える人間は多いほうが心強い。それが、信頼出来る奴なら尚更」「……」 信頼。出会って一週間も経たない日向から言われて、陽介は呆然とした。そこまで俺を買ってくれてるのかと思うと、少し恥ずかしかった。今までそこまで言える存在がいなかったから。 これは、期待に応えないと。それに陽介も思ってしまう。日向となら、なんだってどんなことだって、不可能を可能にすらやれるんじゃないかって。「だから、一緒に頑張ろう、花村」「ああ」と陽介は笑った。軽く握った拳を胸の高さに上げる。「それじゃ改めましてこれからもよろしくな――相棒」「うん」 日向も左手で拳を固め、軽く陽介のそこに当てた。甲同士がぶつかり合う。 一昔前の青春ドラマみたいだ、と陽介は思いながらも悪い気はしなかった。「――陽介」 アパートの窓を開け、外をぼんやり見上げていた陽介は呼ばれて振り向いた。 荷物に埋もれた部屋に、日向が積んだ段ボールを崩さないよう慎重に入ってきた。眉が寄っていて、少し怒っている。「荷物移動しておいて、と頼んだだろう。それがどうして窓でぼんやりしてるんだ」「わ、悪い」 陽介は肩を竦めて謝り、窓際から離れた。短くはない付き合いで、さっさと非を認めていなければさらに機嫌を損ねてしまうことはわかっている。 無造作に置かれた二人分の荷物。陽介は段ボール以外はなにもない部屋を見渡し「どうしたらいい?」と尋ねる。「台所にこの部屋に入れる棚とか置いてあるから。テレビはあそこに置くだろう」 日向は陽介が黄昏れていた窓際と反対方向の隅を指差した。「だから、棚はここで……。あの壁に沿うように置いていって。あ、重たいものを下にしろよ」「おう」 日向に言われた通り、陽介は仕事をこなす。その後も二人で棚を運ぶなどしていくうちに、気づけば随分時が経っていた。「もうこんな時間か」 腕時計を見て、日向が驚いた。部屋は大分片付いているが、まだ段ボールの山が目立つ。「腹減った」と陽介がここぞとばかりに空腹を主張した。「今日はもうこれぐらいにしてさ。飯にしよう。メシ」「そうだな……」 日向が頷き、エプロンを解いた。部屋をでて、財布を手にすぐ戻ってくる。「ガス通ってないし、今日はコンビニでいいだろ」「おう。俺も行くわ」と陽介が腰を上げる。「疲れたんなら、部屋で休んでていいけど」「初お出かけじゃん。二人で行こうぜ」 浮かれた足取りで、陽介が日向の横を通り抜ける。さっさと玄関で靴を履き「日向早く」と日向を急かした。「落ち着け」と日向は笑う。 日向と出会って二年。共にいられたのは、駆け抜けたように過ぎていった最初の一年。後の一年は、お互い遠い距離に阻まれて気軽に会えなかったが、それぐらいで立ち消えるような柔な絆じゃない。 三度目の春が来て、それなりの月日が過ぎた。けれども日向は変わらず陽介の隣にいる。そしてこれからはずっと一緒だ。「同じ学部じゃなかったのは残念だったけど、それでも何とかなるもんだな」 コンビニまでの道を並んで歩きながら、陽介は感慨深く呟いた。 日向と同じ大学に入ろうと宣言してから、陽介はひたすら勉強に打ち込んだ。ランクが高いと絶対無理だという周りを見返すためでもあったが、一番は日向と居るため。 一緒に住みたいと言う願いもこうして叶えられ、陽介は幸せの絶頂にいた。「……どうした、にやにやして」 じっと見つめられ、日向が苦笑しながら言った。「いんや、幸せだなーって思ってさ」 陽介は空を見上げた。「これからお前と暮らせるとか。夢見ちゃってんのかなって気分っつうの?」「つねってやろうか」 頬に向かって日向の手が伸ばされる。抓られる寸前顔を反らした陽介は、小走りで日向の前を行く。「いいって。夢だったら覚めるのがもったいない」「落ち着け。ちゃんと現実だ」 日向が目を細めて言った。「お前と俺が同じ大学に――まあ学部は違うけど、受かったのも。一緒のアパートに住もうって誘いを俺が受けたのも。今日、アパートで二人分の荷物を入れたのも、全部本当」 陽介の足が止まる。日向と離れた僅かな距離があっさり縮まり、すれ違いざまに軽く肩を叩かれた。 しっかりとした手。稲羽にいた頃ついた胼胝はなりを潜めたが、そこには確かに色んな苦難を乗り越えた日々を感じさせる。 この手に何度助けられたんだろう。俺は、お前を支えられた? 今でも時折そんなことを思う。「なあ」 日向を追いかけ、陽介は尋ねた。「俺で、良かった?」 恐る恐るの質問に、日向が目を丸くした。それからすぐに、何を言ってるんだコイツは、とでも言い足そうに呆れ、今度は容赦なく陽介の頬を抓る。「いった。ちょ、ちょっとは加減してくれよ」「夢見てるんじゃないかと思ったからな。痛くしないと起きないだろ」「起きた起きた! 起きてるから! その手離してちぎれる!」 涙目で懇願し、陽介はようやく解放してもらえた。抓られた頬が、ひりひり残った痛みをしつこく主張している。「ひでえ」と頬を摩り睨む陽介に、日向は笑って見せた。「お前の隣に居るのは俺が決めたことだ。ペルソナに目覚めた、あの時からずっと」「……」「相棒の言葉ぐらい、素直に信じてくれ」「……信じないわけ、ねーじゃん。だってお前の言葉だぜ?」 日向の肩に腕を回して引き寄せた陽介は、赤い顔を見られないよう前を向いて「信じるよ」と言った。「じゃなきゃ、ここにお前はいないもんな」「そうだ。俺は陽介の側にいるよ。――これからもずっとな」 付け加えられた言葉に、陽介はくすぐったそうに笑った。日向から離れて、手を伸ばす。促せば察したように、日向の指が絡まる。 ぎゅっと繋がった手は離れない。 絆もきっと、ずっと。 [0回]PR