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どっちもどっち





「……っふ」
 離れた唇の隙間から、苦しそうな息が零れる。酸素を求めて距離を離そうと日向の手が、陽介の肩を押した。
 しかし陽介は意に介さず、尚も口づける。触れ合って離れて。抵抗するように閉じられた唇をこじ開けて。逃げるように引っ込む舌を捕らえた時は、いつもぞくぞくする。テレビの中、先頭を切って走る日向の背中を見て感じていた庇護欲と自分の手で泣かせてみたい嗜虐心の比重が入れ代わるのは、こんなときだ。
「橿宮……」
 キスの合間に名前を呼びながら、陽介は自分ごと日向を後ろに押し倒した。床に敷かれたラグの上、お互いの視線が絡み合った。
 上気した顔で濡れた唇を手の甲で拭いながら、日向は陽介を見上げる。
「……したいのか?」
「したい」
 陽介はすぐにそう答え、じっと日向を見つめた。断られたくない必死さが視線から伝わってくる。それを受けた日向は小さく呆れた吐息を漏らした。
「この状況で言うんなら、もうちょっと前にしてほしいけどな」
 例えば、キスする前とか、と不満そうな呟きに、不意打ちでこの体勢に持ってきた陽介はぐっと反論に詰まった。いやだって、とぼそぼそ喋りながら、それでも日向の上から退かない。
 しかたがないな、と思いながら日向は「いいよ」と言った。
「その代わり、今日の夕食はお前持ちでコンビニだから」
 どうせしたあとは腰が痛くなるし、身体全体が怠くなる。仕掛けたのはあっちだし、これぐらいはやってもらわなければ割に合わない。
「ぜんっぜんいいぜ!」
 陽介が弾んだ声で言い、嬉しそうに何度も頷いた。
「なんだったら、デザートもつけてやろうか?」
「何買おうか考えとくよ」
「ヤる時ぐらいは俺の事だけ考えてくれよ……」
 自分の言動に一喜一憂する陽介に、くすくすと笑い日向は恋人の背に腕を回す。それが合図になって、陽介がまたキスをしようと顔を近づけた。
 あと少しで唇が重なり合うその時――。
 急に陽介の動きがぴたりと止まった。眉間に険しい皺を寄せ、強く瞼を閉じる。
「――陽介?」
 不審に思った日向が名前を呼ぶが、陽介は気づかず突然きつい眼差しを虚空に向けた。
「突然何出てきてんだよお前。俺が受け入れて消えたんじゃねえの?」
 少しの間の後、さらに陽介の表情は不快に歪む。
「はぁ!? んなことさせるか!!」
「陽介……?」
 どうしたんだ、と肩を叩く日向から、陽介は狼狽しながらどいた。手の平の付け根で頭を押さえる陽介の目が、金色へすっと変わっていく。キスのどさくさで釦を外された前を合わせ起き上がった日向は、それを見て目を見張った。
 抵抗するような喚きが収まり、陽介の口元がにやりと上がる。心配で顔を覗き込む日向の肩を引き寄せ、先ほどよりも乱暴にキスをされた。
「……んっ」
『やっぱ実際聞いた方がエロいな、お前』
 強引に出てきた甲斐があったぜ、と笑う表情を見て、日向が目の前の男を呼ぶ。
「影――お前、あの時陽介と同化したんじゃ……」
『そうだけど。ま、あんま細かいことを気にするなって』
 そう言っていつの間にか入れ代わっていた陽介の影は、日向にウィンクを投げた。そして掴んだ肩を押し、再び床へ日向を押し倒そうとする。
『それよりも――続き続き。早く続きしよーぜ』
「ちょっと待った」
 流石に状況が飲み込めず、日向は馬乗りになった陽介の影を止めた。服を脱がそうとする動きを手で制すると、せっかくの楽しみを阻害され、むくれた影は口先を尖らせた。
『何だよ。やってもいいって言ったじゃんお前』
「言ったけど。その前にどうして出てきたのか教えてほしい」
『ん~、そうだなー……』
 日向の服に掛けた手はそのまま、陽介の影は屈めていた背を伸ばし、宙に視線をさ迷わせて考え込む。
『俺もお前とシたいから――とかでいいんじゃね?』
「お前が出てきたことに対して、全く理由になってないな」
『って言うかよ。アイツはまだ事に及ぶのに、一々お伺いたててさぁ。内側から見てていい加減ウザいっつうの』
「いきなり出てくるお前もどうかと思うが」
 入れ代わる直前を思い返せば、陽介の意志ではないのが明白だ。しかし影は日向の言葉などどこ吹く風のように聞かず『いいじゃん。どうせ同じ『陽介』なんだしさ。――気持ち良くしてやるぜ?』と凶暴な笑みを乗せて日向に覆いかぶさる。
 しかし再び日向に乗りかかった身体がぴくりと止まった。ちっ、と影が舌打ちし『抵抗しやがって……』とぼやいた。対応するのも面倒臭そうに身体を起こし、こめかみに指先を当てた。
『何しゃしゃり出てんだよ。たまの一回ぐらいヤったって構わねーだろ。どうせ年中盛ってるくせに』
「……」
『はぁ? これでも苦労してる――って、んなことぐらい知ってるわ。俺はお前、お前は俺なんだし?』
「……陽介」
 どうやら内側で会話してるらしい二人の『陽介』を、日向は疲れた声で呼んだ。だが、同じ自分であるせいか、陽介も影もお互い譲らず、どっちが日向と事に及ぶか激しい口論を繰り広げていく。
 最初日向は黙って聞いていたが、次第に表情の色をなくし、冷めた視線を陽介によこす。そして深い深いため息を吐いた後、いきなり蹴りを放った。陽介の股間目掛けて。
 次の瞬間、蹴られた箇所を押さえた陽介が苦悶の呻きを上げた。さっさと起き上がり衣服を整える日向を涙目で睨み「いきなり何すんだ!」と二人分の声が混じって相手を詰る。
 日向はにっこり笑って言った。
「どいてくれなきゃ部屋から出られないだろう?」
「な、何言って――」
「どっちがやるかどうかで喧嘩されても俺が困るだけだ。だったら、何時終わるかわからん喧嘩見てるより、夕食作っている方が断然有意義だ」
 とにかく、と有無を言わさない口調で日向は部屋のドアノブを掴む。
「丁度いい機会だ。お前ら一度徹底的に話し合っとけ。和解するまで部屋から出るな、夕飯も無し」
 つれない言葉を残し、日向はさっさと部屋を出ていってしまった。呆然と陽介は閉められた扉を見つめ「……テメーのせいだからな」と自分の中にいる影を謗る。股間を蹴られたショックのせいか、影に乗っ取られた身体を取り戻せていた。
『はっ、テメーのせいだろ。このヘタレ』
 脳内に影の声が響く。
『大体お前の押しがいまいち弱いからこんなことになるんだろ』
「んだとぉ! お前だって突然出てきて――」
『だったらお前こそ――』
 日向に逃げられた原因を互いに押し付けあい、陽介と影の口論は激しさを増していく。もう一人の自分という最も遠慮のいらない相手だからか、どちらも折れず誰の目から見てもその喧嘩は長引きそうだった。

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