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逆チョコ




 昼休みに突入した瞬間、日向と陽介は一目散に教室を飛び出した。晴れている日はいつも屋上へ上がる階段を今日は下り、一年の教室が並ぶ廊下から体育館に急ぐ。
 たどり着いた体育倉庫の扉を閉め、ようやく二人は長々と息を吐いた。だが油断はせず、耳を澄ませ物音の有無を注意深く探る。
「……どうよ?」
「まだ授業が終ってないところが多かったみたいだな。誰かが来る気配はない」
 大丈夫と結論づけた日向が、丸められたマットに腰を下ろした。
「あんまり見られてないと思うよ。こっちの授業が早く終わってよかった」
「そうだな」
 陽介はマットの近くに置かれている平均台に座る。閉められた扉を眺め「でも今頃誰か探してるかもな」と呟いた。それに対して日向は苦々しい顔をして、引っつかんできた鞄から弁当を取り出す。
 今日はバレンタインデー。そのせいかいつにも増して学校の雰囲気が浮ついてた。もし諸岡がいたら淫らだ不埒だと怒り狂っていただろう。だがその存在もいないせいか、去年よりやたらと盛り上がっている。去年陽介が稲羽に引っ越して初めてのバレンタインは、校内でおおっぴらにチョコのやり取りをしている者をみておらず、まるで通夜だと思っていた。
 その反動が返っているんだろう。今年はチョコのやり取りをよく見かける。陽介も下駄箱や机の中、ご指名を貰って直に手渡されたりしていた。
 日向に至っては引っ切りなしに呼ばれては、微妙な顔をして戻ってくる。来月にまた転校してしまうせいか、今日の日に勇気を振り絞った女の子達が次から次へとやってくる。
 そして日向はその次から次にされる告白を、全て丁寧に断っていた。
「しょうがないだろう。もう付き合ってる人間がいるのに。曖昧な受け答えして期待持たせたくない。好いてくれるのは嬉しいけど」
 度重なる告白を受けている日向は、好意を無下にしている罪悪感のせいで流石に疲れているようだ。弁当を食べる合間に、憂鬱そうな溜め息を吐く。
「この分だと今日帰る頃には女泣かせの称号がついてそうだな」
 パンを咀嚼しながら、日向が言うところの恋人である陽介がからかった。すると日向はふて腐れ「嬉しくない」と即座に切り返す。
「そんなこと言ってふざけるならお前にチョコはやらん。せっかく菜々子と作ったんだけど、お前のと合わせてクマにやろう」
「嘘。嘘ですって。そんなこと言わないで!」
 陽介は慌てて取り縋り謝るが、日向は冷たく目を反らした。つれない態度に「マジでゴメンって!」と両手を合わせて頭を下げる。
 弁当から箸で摘んだ卵焼きを口に入れしっかり飲み込んでから「どうしようかな」と惚ける日向に、陽介は冷や汗をかく。あまり機嫌が良くない。これ以上しくじったら怒らせてしまう。
 陽介は平均台の脚に凭れさせていたメッセンジャーバッグをちらりと見て言った。
「だから悪かったって! 俺もお前にチョコやるから機嫌直してくれよ」
 出てきたチョコの単語に日向の視線が怪訝そうに陽介へ突き刺さる。すかさず陽介は「ちゃんと俺が用意したんだぜ」と釘をさす。断じて貰ったチョコをそのまま日向に渡したりしない。した瞬間、日向が怒るだろうから。
 陽介はメッセンジャーバッグを開けて中を探る。
「ほらここ数年で逆チョコとか出てきたじゃん。女子から男子――だけじゃなくて男子から女子にもチョコをあげようって言うお菓子会社の陰謀。だからさ、俺も用意してみた訳ですよ逆チョコを」
 見つけたチョコレートを陽介ははい、と日向に差し出した。包装紙に包まれたそれは、ジュネスのバレンタインフェアで仕入れている有名店のチョコレートだ。
 日向は食べかけの弁当を膝に置いて、チョコレートを受け取る。ありがとう、と礼は言われたが微妙な顔をしていた。あまり嬉しそうに見えない。
 手に持ったチョコレートをしげしげと見つめ、日向が思ったことをそのまま言った。
「女の子に混じってどんな風に陽介がチョコ買ったのか想像して」
 ちょっとシュールだった、と余計な一言を付け加える日向に「普通に買った訳ねえだろ」と陽介は軽く突っ込んだ。自分でも考えて、ないわ、と鳥肌が立つ。
「食料品は24時間営業だけどさ、流石に朝早く来るお客もいないだろ。だから品出し手伝ってっから買う目星つけて取っておいて貰ったのを客がいない時間帯を狙って買ったんだよ」
 その時レジを担当していた従業員には、ばっちりチョコレートを買ったことがばれてしまっているが、そこは仕方ないだろう。うまくいくといいわね、と余計なお節介もやかれてしまったが。
 ふうん、とチョコレートを見つめたままの日向が、丁寧に包装を剥がした。出てきた箱の蓋を開ける。綺麗に並べられたチョコレートを一つ指で摘み、口に運ぶ。
「うまい」
「そりゃ高級ですし。で、機嫌は直った? 俺のチョコは?」
「……」
 催促する陽介に、日向はチョコレートを食べながら膝の上の弁当を脇に置いた。そして無言で手招きしてくる。
 不気味に思いながら陽介は素直に従う。
 近づいてきた陽介の顔に、日向の手が指し伸べる。触れたと思ったら、そのまま引き寄せられ唇同士がぶつかった。
 陽介の目が大きく見開く。不安定な体勢を咄嗟にマットヘ手をつくことで何とか保ったが、頭の中は混乱中だ。
 驚く暇もなく日向の舌先が陽介の唇に触れ、こじ開けられた。甘い味が陽介の口にまで伝わってくる。入ってきた物体は、日向が直前に食べただろうチョコレートだろう。
 煽ってんのか。頭が沸騰しそうになる。
 ひたすら甘いキスの洗礼を受け、ようやく唇が離れた時二人の息は荒かった。
「どう?」
 陽介の頬を包む手を放さないまま、日向が悪戯っぽく目を細めた。
「どうもなにも俺が上げたチョコだろ。ちゃんとお前が作ってきたやつをくれよ」
「わかってる」
 手を離した日向は大切そうにチョコレートを鞄にしまい、食べかけの弁当に手を伸ばした。
「夜になってからな」
「今じゃダメ?」
「お楽しみは後がいいだろ。それにお前がしそうなことは把握済みだから。ここで盛られても困る」
「……お見通しですかセンセイ」
 陽介は引き攣った声を出す。流石は相棒。こっちの考えを的確に読み取ってくれる。余計なところまで。
「陽介の行動パターンは結構わかりやすいよね」
 のんびり言いながら日向はプチトマトを口に放り込む。俺ってそんなにわかりやすいのか、と悩みはじめる陽介に「そんなところが陽介らしいけど」とフォローにならないことを言って慰める。
「だから今はさっきのでガマンな」
 日向はそう言うが、さっきあんなことをしてくれるならそのままさせてくれてもいいじゃないか、と陽介は思う。でも口には出さないでおこう。夜の甘い時間は確保出来てるんだから。
 そう思うと夜が一層待ち遠しくなる。陽介はまだ口に残っているチョコレートの甘みを噛み締め、日向に触れたい気持ちを我慢した。

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