われた雪夜に硝子が降る 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 七代が投げた風魔手裏剣が、隠人の体を真っ二つに裂いた。致命傷を与えられた隠人は悲鳴を上げる間もなく、消えていく。情報の欠片が燐光となって辺りに散っていった。その内のいくつかが引き寄せられるように七代の手甲へ吸い込まれていく。『――終わったようですよ』 頭に響く鍵の声に、ふう、と七代は息を吐いた。「終わったな」 後ろからぽん、と肩を叩いた壇が、七代を労る。「怪我はないか?」「はい、大丈夫ですよ。でも手裏剣飛んだままなので取りに行ってきます」 目尻を緩ませて笑い、七代は最後に倒した隠人がいた方向へ歩きだす。その背中を見守りながら、燈治は不思議な気持ちになった。元々あの風魔手裏剣は玩具店で売っている子供用の、投げて当たっても痛くない素材で出来たブーメランだ。呪言花札で強化していても、あそこまで見た目も威力も変化しているなんて。封札師の《力》の凄さを感じてしまう。シャープペンシルが大きな西洋剣に変わったときが一番驚いた。「……おい」 不機嫌な声が燈治を呼んだ。燈治と同じく探索に同行している御霧が「何をぼおっとしている」と刺々しい声で言う。「今日はまだ一度も休憩を取っていないぞ。さっきの隠人の戦いは何度目だと思っている」「……っ!」 失念していた。燈治は慌てて手裏剣を取りに行っている七代の方を振り向いた。ぱっと見るといつもと変わらないが、足元がわずかにおぼついていない。「おい千馗!」 燈治は走り出し、しゃがんで見つけた手裏剣を手に取る七代の腕をがっと掴んだ。 いきなり後ろから乱暴に引っ張られ「はい?」と七代は燈治を見上げる。彼の頬は、先ほどの戦闘前より確実に赤く火照っていた。掌でそこを包み込めば高くなった体温を如実に感じる。「お前また熱上がってんぞ!」 どうして本人が気づかないんだ! と若干の苛立ちを感じながら燈治は叫ぶ。 七代の右手甲には隠者の刻印が刻まれている。隠人を倒した際、その刻印を通して情報を取り込み《カミフダ》を自在に使役する能力を持っていた。 しかし七代はその集めた情報を《力》に変換する際、体温が上がってしまう体質を持っている。彼曰く、たくさんの情報が集まると処理しきれないらしい。そのせいで、こまめな休憩が探索中必要とされていた。 だが今回はまだ休憩を入れていない。今日洞に足を踏み入れてから数度の戦闘をしているとなると、今の七代はかなり体温が上がっていると考えられた。 倒れることすらある。しかし、今日はまだそんな素振りを見せていなかったので、燈治は油断していた。「確実に倒れるレベルだろこれは! 早く言え!」 怒る燈治に肩を竦め「で、でも……」と手裏剣を手にして七代は腰を上げる。「今日は調子もいいし、休憩を入れてそれを崩すのもどうかな、と思って……」「その油断が命取りになるんだ。……いいからそこに座れ」 つかつかと御霧が二人に近づいた。そして座れる手頃な大きさの岩を指さし、七代に指示する。「で、でも、大丈夫ですよ?」 何とか七代は燈治と御霧を宥めようと笑って見せた。しかし赤ら顔で言われても、説得力は皆無だ。「……」「……」 二人から無言で睨まれ、七代は「はい、すいません」とおとなしく岩に座る。すると、ぐらりと身体がふらついた。右手から発する熱が、情報が、全身を巡っている。本当に大丈夫なつもりだったが、身体が悲鳴を上げていた。 頭から前のめりに倒れそうになり、七代はふらつく頭を押さえる。「……全く、お前は熱暴走を続けるパソコンか」「うう、面目次第もございません……」 的確に弱いところを突いてくる御霧に、七代はさらに身体を小さくした。七代の味方になってくれる燈治も今回ばかりは御霧に賛同のようで、口を挟む素振りなはい。「いいから黙っていろ。無駄な動きをしていたら熱が下がるのに時間がかかる」 御霧は持っていた弓を肩に担ぎ直し、持っていたパックバックから冷却シートを取り出した。ビニルを剥がして七代の前髪を掻き上げると、容赦なく冷却シートを剥き出しになった額に貼りつける。「つめたっ」 七代が肩を竦めた。「当たり前だ。冷却シートなんだからな」 御霧がふん、と鼻を鳴らし、後ろで成り行きを見守っていた燈治を振り向いた。「おい、お前もそこで面白がってないでとっとと持っているものを出せ」「へいへいっと」 さして反論もなく、燈治は背中に背負っていたデイバッグから水筒を出す。準備のいい二人に、おれはそんなにわかりやすいのか、と七代は自分が少し情けなくなった。「うう……おれとしては、早く今日の依頼をこなしてしまいたいんですけど」「悪いが、この点に関して俺は全面的に鹿島に同意だ。諦めろ」 予想していた答えが返り、七代は肩を落とした。それを見て燈治は笑い「ほら、熱が治まるまでこれでも飲んでろ」と水筒のカップに冷やされたスポーツ飲料を注いで渡してくれた。「……ありがとう」 素直に受け取り、七代はスポーツ飲料を一口含んだ。まだまだ平気だと思っていても、やはり身体は熱のせいか水分を欲している。あっと言う間に一杯飲み干してしまった。 空になったカップをまじまじと見つめる七代に「もう一杯飲むか?」と燈治が意地悪く笑って水筒を傾ける。意地悪だ、と思いながら七代は無言で燈治を睨み、それでもカップを差し出す。 おかわりをする七代を横で見ながら「全く」と御霧がため息をついた。「自分の体調管理ぐらいきちんと出来ないでどうする。これじゃあ、効率よく探索なんて夢のまた夢だ」 にべもない言葉に「ぐっ」と七代が呻く。そんなことない、と言いたかったが、こうして休んでいる今、何を言葉にしても説得力はない。「そんな顔をするのなら、自覚はあるようだな。これで何もわからないほどの馬鹿だったら、義王以上の救いようがない――馬鹿だ」 眼鏡のフレームを指で押し上げ、御霧の説教はさらに続く。「わかっているのなら、とっとと効率よく隠者の刻印を使えるようにしろ。……全く、いちいち足止めを食って時間がかかりすぎる。そんな体たらくで呪言花札をすべて集められるのか疑問だな」「う、うううう……」 歯に衣を着せない物言いが次々に七代の胸へとぐさりと突き刺さる。 思わず七代は苦しそうに胸を押さえた。御霧の方が正論すぎて、返す言葉も見あたらない。 そうだよな、呪言花札も後もう少しで集まるのに。落ち込んでカップを持つ手を膝に乗せて小さくなる七代に「そんな顔すんな」と燈治が小さく笑った。「……?」 燈治を見上げ、七代は首を捻る。「鹿島の野郎もあれで心配してるんだと思うぜ。アイツが本当にどうでもいいことなら、無視してとっとと先に行ってるだろうからな。つーよりさ、お前にそんなの貼ってやる時点で心配してんだろ」 これ、と燈治が七代の額に貼られた保冷シートを軽く指先でつついた。「わざわざ自分で貼ってるしな。そんなの目の前で見てた俺としちゃあ、さっきの台詞とか聞いても説得力ねえぜ」「あ、ああー……」と燈治につつかれた保冷シートを掌で押さえ、七代は心底納得した。 御霧はどうでもいいと思うような人間の世話を焼くような性格ではない。いや、もしかしたらどうでもいいと思えるような人間が目の前にいても、苛々しながら世話を焼いていそうだ。何せ、盗賊団員の為に手編みの腹巻きを作っていたんのだから。「なるほど。御霧は俺のことを心配して、敢えて厳しい態度をとっていたと」とこくこく頷く七代に「……だろ」と燈治は笑った。「……お前ら」 その二人を前にし、御霧がこめかみを引きつらせ、感情を抑えて震えた声で言った。平素を保っているようだったが、明らかに怒っているのがわかる。「……何、人の前で堂々と話してるんだ」「悪い話じゃないからいいじゃないですか」 ふふ、と七代は口元を緩めて微笑した。燈治のお陰で御霧が心配してくれたことがわかったせいか、怒られているはずなのに、ちっとも怖くない。「いい訳あるか。お前らはとっとと口を閉じろ」「何恥ずかしがってんだよ。別に面倒見いいのは悪いことじゃないだろ」 燈治も七代に合わせて言うと、御霧の眉間の皺がさらに深くなる。「もういいわかった、お前らそこに並べ」 御霧は肩に担いでいた弓を両手で持ち直し、矢をつがえる。「順番に射ってやろう。ほら、並べ」「千馗、逃げんぞ」 ほら、と七代の手から水筒のカップを取った燈治は素早く蓋を閉め、デイバッグに入れながら走り出す。「あいあい」 休憩と冷たい飲み物が効をそうして、すっかり熱が治まった七代も、燈治に続く。「まて、お前ら!」 御霧の鋭い声が飛んだ。怒っている様子を肩越しに見やり、七代は何となく、義王やアンジーが御霧を構いたがる理由がそれとなくわかった、気がした。 でもおれはほどほどにしておかないと。せっかく心配してくれたのに。 額に貼られた冷却シートにそっと指先で触れてから、七代は反対の方向へ方向転換する。なんだかんだ言いつつも、世話を焼いてくれる盗賊団の参謀の怒りを宥めるために。 [0回]PR