劇場を指で描く 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 放課後、燈治は珍しい場所で七代を見つけた。何気なく横をみなければ、そのまま通り過ぎてしまっただろう。 美術室の後ろ側。ひっそり隠れるように七代がスケッチブックを開いている。時折周囲を見回す様は誰か来ることを恐れているようにも見えた。 扉に手をかけていた燈治は、周囲を見回した。誰の姿もないことを確認し、扉を開ける。 がらり、と音を立てて開く扉に案の定七代は驚いていた。スケッチブックを閉じ、慌てふためいていたが、相手が燈治だとわかり安堵の表情を見せる。「何だ、壇じゃないですか。驚かせないでくださいよ」「そういうお前こそこんなところでどうしたんだよ。探したんだからな」「あー、うん、その……」 言葉を濁し、七代は膝の上に載せたスケッチブックを見た。「絵を、描いてたんです。ほらおれ、美術部に入りたかったって言ってたでしょう? だけど任務との掛け合いはちょっと難しいと思って諦めたんですよね」 七代が寂しそうに俯く。「だからちょっとでも時間が空いたらちょっとここを借りて部活の真似事とか、しちゃったりしてみたりして」「だからそんな周りを気にしていたのか」「生徒会の人に見つかったら説明するの面倒臭いですし」 燈治は七代の行動を把握したが、それでもまだ腑に落ちない。絵を描くのは、何等疚しいことではないだろう。 七代の膝に置かれたスケッチブックを指差し「なあ、それ俺に見せてくれよ」と燈治は頼んだ。「え、ええっ!?」と七代は目を丸くして慌てる。スケッチブックを素早く背中に隠して「だ、駄目ですよ!」と首をぶんぶん振った。「なんでだよ」「だって、おれ絵が下手だし」「俺よりは絶対上手いと思うぜ」 絵を描くこと自体、馴染みがないのだ。腕前は考える間もなく七代が上だろう。「逆にこっちがうまく感じたこと言えねえかもしれねえけど」「そんなことないですって。……もうしょうがないなぁ」 七代が根負けし、スケッチブックを燈治のほうに向けて差し出す。「どうぞ。でもがっかりとかしないでくださいよ」「んなこたねーよ」 前々から七代の描く絵には興味があった。だけどこちらに気づくとすぐに隠してしまい、今まで見れずじまいだったからだ。 スケッチブックを受け取り、燈治はさっそく表紙を捲った。イーゼルや彫像。美術室を描いているんだろうが燈治の目に見えるものと、スケッチブックのそれとは色彩がまるで違う。 色鉛筆で描かれた美術室。でたらめな色使いがごちゃごちゃと白い紙の中に存在していた。 同じ場所かと思わず二つを見比べる燈治に「驚いたでしょ」と七代が悪戯っぽく笑った。「あ、いや」「いいんですよ。それが普通の反応ですし」 どこか覚めた七代の反応に、燈治は訝しむ。「どうして笑ってられるんだ。さっきの俺は失礼だとか怒られても無理ねえ反応してただろ」 なのに七代は笑みを崩さない。目を細め「だって、ねぇ」と淡々と言う。「俺の目は普通じゃないですから。描きたいものをそのまま写したって、他の人とは違うふうになっちゃうんですよ」「……じゃあこれはお前の目から見た、風景か?」「はい」と七代が頷く。「生活する分に秘法眼は、寧ろいらないものですしね。極力力を抑えても、おれの場合どうしたって多少は力が出ちゃうらしいから。どうにもこうにも」「あはは」と他人事のように言って、七代は閉じた瞼の上から自分の眼に触れた。「……」 黙って燈治は再びスケッチブックの絵を見た。これが七代の持つ秘法眼を通して見る、世界の一部。「他のも見ていいか?」「どうぞ」 七代に承諾を得て燈治はスケッチブックをぱらぱらと捲った。いつ描いたのか、校舎の色んな場所が描かれていた。 教室。階段の踊り場。武道場。屋上から見た新宿。 やはりどれも燈治が眼にするものとは違った色彩で表現されている。「……すごいな」 燈治は思ったままを素直に口に出した。 閉じた瞼に手を当てていたままだった七代が、ばっと驚いた顔を上げた。信じられないような眼で、燈治を見つめる。「……どこが、ですか?」 恐る恐る尋ねられ「うーん」と燈治は宙を仰いで考えた。ここがこうだから、なんて具体的に答えられない。燈治が感じたのは、もっと抽象的なこと。「俺には絵とかわからねえけど。お前の眼にはこんな風に見えてんだなって思うと……すげえなって」「あまり、意味がわからないんですけど」「だな。俺にもよくわからねぇや」 自信たっぷりに言った燈治に、思わず七代は吹き出してしまった。腹を抱え「変な理屈」と声を殺して笑う。「笑うなよ」と燈治は少しむっとして言う。こっちは本気なのに。「これでも嬉しかったりするんだぞ俺は。これがお前から見たものだって、わかったんだからな」 どう足掻いたって燈治には七代のような秘法眼を持てたりしない。だから彼の眼にはどんな風にモノが、景色が見えているか知る由もない。そう、思っていたけれど。 七代自身が、燈治の持っていた願いの一つを叶えてくれた。 笑うのを止めた七代が、ぽつりと弱い口調で言った。「……壇は、おれの言うことを信じてくれるんですね」「お前は下らないことはするけど嘘はつかないだろ。だから俺は信じるさ。これがお前の見てるもんだって。……見せてくれてありがとな」 燈治はスケッチブックを閉じ、七代に渡した。「……」 スケッチブックを受け取った七代は、それをまた膝の上に置いた。表紙をそっと指先で撫で、俯く。「壇はそういうけど、やっぱり殆どはおれの言うこと、信じてくれなかったかな」「……」「嘘はついてないから。だから見えるものそのままを描いたのに。やっぱり言われることは一緒だった。こんな風に見える訳無い。嘘つきだって」 スケッチブックに置いた七代の手が、震えた。「嘘をついたんじゃなかったんです。おれにとってはここに描かれていることが本当で。でも殆どの人にとっては嘘にしか見えなかった」「――千馗」 溜め込んでいた感情を吐き出しているように七代は言う。燈治は少し身体を屈めて後ろから七代を抱きしめた。 びくり、と七代の肩が震える。 燈治は七代の耳元で囁いた。「俺にとっても本物だ。それは、信じとけ」 直接脳髄へ声が届くように、意識して力強く言う。 そう、七代は下らないことはするが、嘘を吐く人間ではないことを、燈治は知っている。信じない奴はそのまま放ってしまえ。何があろうと俺は七代を信じている。 七代の掌が、自身を閉じ込める燈治の手の甲に重なった。そのまま力を抜いて燈治に凭れて七代は言う。「……ありがとう」 その声は微かに震えていたが、燈治は聞かないふりをしてそのまま七代を抱きしめていた。 [0回] PR
付き合うならどんな人? 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 仲が良すぎる二人に10題から 授業の合間の休憩時間。自分の席でぼんやり頬杖突いて外を眺める燈治に、突然後ろを振り向いた七代が質問を投げてきた。「壇が付き合うなら、どんな人がいいんですか」「は? 俺がか?」「そう」 至極真面目に七代が頷く。 突然突拍子もないことを問われ、燈治は面食う。そもそも恋愛ごとは苦手なのだ。がしがしと頭を乱暴に掻いて、燈治は思ったことを口にする。「んなこと言われてもよ。……別に今んなことに興味ねえし」「ですから、例えばの話ですって。実際付き合う訳じゃないんですし、気軽に答えてくださいよ」 身を乗り出す七代に、燈治はその分身体を引いた。「答えるまで離さねえって顔してんな」 苦笑すれば「おれのことわかってるじゃないですか」と七代が言った。これは早々に答えて七代を満足させなければずっと同じことを聞かれかねない。 ため息をつき「そうだな……」と燈治は考える。付き合うなら、と言われても簡単に思い付かない。 なかなか答えない燈治に焦れたのか、七代が答えを出しやすいようにと更に細かい質問で答えを促してくる。「ほら、料理がうまい奴だとかあるんじゃないですか?」 燈治は首を振った。「いや、料理の上手い下手は別に関係ねえよ。これまでお前のへんてこなの食わされてきたから舌が慣れちまった。だからお前の作るものなら何だって食える自信はついたけどな」「むむっ、今度はマシなの作ってきますよ。……多分」「期待しねえで待っとくよ」「じゃあ、髪型とか。顔はかわいいの? きれいなの?」「髪は……短めか? 顔はどっちかというと……かわいい方なんだろうな」「ほうほう」 何でこっちを見つめて言うんだろう。不思議な気持ちになりながら七代は相槌を打つ。「ま、一緒にいても飽きない奴がいいよな。目が離せなくなるのも困りもんだけどよ」「ほうほう。壇ってば面倒見いいですもんねー。ううん、壇の彼女さんになる人が羨ましいかも」 言って、七代は内心落ち着かなくなる。自分から話を振っておいて。燈治に彼女が出来たら、と想像したら、胸が締め付けられるように痛んだ。 しかし燈治はにっと笑った。「安心しろ。当分はそういう予定ないから」「へ?」「お前の面倒見てるだけで手一杯だからな」 ぽんぽん、と七代は燈治に頭を叩かれる。「あ……うん」 それは、彼女が出来るよりおれといたほうが楽しいってことですよね。そう思った七代は、優しく微笑む燈治を見て「じゃあ、まだまだ面倒見てもらっちゃいましょうか」と言って照れた。「ったりまえだろ。お前みたいな奴の面倒見れんのは俺ぐらいだからな」 燈治が笑ったまま言い切り「だから馬鹿なこと言ってんじゃねえよ」と七代の額を軽く小突いた。 [0回]
異議あり! 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 クッションを胸に敷き、七代は寝そべってテレビを見ていた。流れている番組は、美術やデザイン関係の話題を取り扱っている内容で、いつも楽しみにしているものだ。 手に届くところにお茶と東京BMのスナック菓子。もちろんおまけのカードは未開封のまま取っておき、蒐に渡すつもりだ。 憩いの一時。番組も始まり、さぁ見よう、とテレビに視線を向けた七代の腰にふと何かの重みが乗った。 振り向きかけた七代の視界の端で、横から伸びた手が、スナック菓子を奪い取る。 犯人は――もちろん一人しかいない。「……壇」「お前またコンソメ味かよ。たまには塩味買ってこいって」 燈治が寝そべり、奪い取ったスナック菓子の封を勝手に開けて食べていた。その頭は、七代の腰を枕がわりにしている。「おれはコンソメが好きだからいいんですー。壇が自分で買えばいい話じゃないですか」「出なきゃいけないんだろ。面倒臭ぇ」 自分の方へ寝返りを打つ燈治の手から「じゃあこれは自腹で買ったおれのものです」とスナック菓子を取り戻した。そして中を覗き込んで絶句する。「もう殆ど食べてるし! バカなの? バカなの!?」「二回言うな。……また買ってきてやるから」「おれは、今、食べたいの!」 もー、と七代は頬を膨らませ袋の口を逆さにした。仰向けた口に、辛うじて残ったポテトチップスの滓が落ちていく。全く食べた気がしない。 七代は袋を四角く畳み、燈治に投げ付けた。見事袋は燈治の額に命中し、床へ落ちる。「地味にいてぇな」とぶつかった箇所を摩る燈治を見て、多少溜飲が下った。また後で買いに行かせよう。ついでにアイスクリームとかも頼んでやる。 べー、と舌を出し、七代は番組に集中する。録画はしているけど、やはりリアルタイムでも見たい。「……」 芸術品の解説を夢中になって聞いている七代を、燈治は彼の腰を枕にしたまま見つめる。初めてこうした時はとても驚き顔を赤くして逃げていたのに、案外慣れるのが早かった。 どうせなら、こうして二人でいるときぐらい、もっとひっついていたいのだけれども。実際そう口にした時「十分ひっついてるでしょうが」とうんざりした顔で七代に返されてしまったのも、まだ新しい話だ。 燈治からすればまだまだ物足りない。七代は物欲しそうな眼で見ている燈治には気づかず、テレビの番組に夢中だ。「……」 燈治は反対方向に寝返りを打った。部屋着の七代は、下にハープパンツを履いていて、すらりとしたふくらはぎが見える。楽しみにしていた番組に両足がぱたぱたと上下に動いていた。 こういうところは子供だよな。燈治はふっと口許を上げ、こっそり手を伸ばした。 すぐに届いたハーフパンツの裾から手を差し入れ、太股を撫でる。「……っ!?」 急に触られ、クッションに顔を埋めていた七代の上体が跳ね上がり、声にならない悲鳴を上げた。そのまま横に転がって逃げ、枕を失った燈治は固いフローリングに頭をぶつける。思わぬ鈍い痛みに、少し涙が滲んだ。 時間差で、ごんっ、と鈍い音がした。転がりすぎた七代が壁にぶつかってもんどり打っている。 二人して別々の痛みに堪える。七代のほうが先に立ち直った。ぶつけたらしい背中を後ろ手に回した手で摩り「……だーんー」と鬼の形相を燈治に向けた。「お前はおれに恨みでもあんの?」「いや、お前が」「――はぁ?」「お前がもうちょっと俺を構えば済む話で」「知るかボケ! おれの楽しみ奪んな!」 七代は転がっていたクッションを渾身の力で投げる。ぶつかる寸前で避けたせいで、さらに怒りは増長したようだ。「千馗。悪かったって。魔がさした」「知るか。知るか! お前は当分×だからな、×!」 今度は以前蒲生に贈られてた○×クッションを投げ付けられる。ご丁寧に、燈治の方へ×印を向けて。「だから、悪かったって」 受け止めた○×クッションを床に置き、燈治は壁に向かいあって膝を抱える七代の後ろへにじり寄る。ちょっとさっきのは度が過ぎた。粗暴な言葉遣いになっている七代は、本気で怒っている証拠だ。「ばか、ばーか」と近づく燈治に七代はふて腐れた声で言う。耳の先まで真っ赤になっていた。 後ろから身体を抱き寄せて、その耳元に唇を寄せる。「後で好きなもの奢ってやるから。な?」「…………何でも?」「カレーでも、フレンチトーストでもなんでも言えよ。何なら両方にするか?」「コンビニで、さっきのチップスとハーゲンダッツと、シュークリーム追加でなら、許しても……いいかな」「よし、商談成立だな」「……しょうがないですねー」 言葉遣いも元通りになり、振り向いた七代は顔に赤みを残したまま「買ってくれるっていうんだし、許してあげましょう」と笑った。「だな」と燈治も笑い、手元に置いていた○×クッションを手に取る。「で、どっちだ」「……は?」「今日は○か×、どっちかって聞いてんだ。許してくれるんだろ?」「…………」 にっこりと七代が綺麗な顔で笑う。無言で燈治の手からクッションを取り、そして。「前言撤回!」 と、至近距離から燈治の顔目掛け、○×クッションを投げ付けた。 勿論、×の方を向けて。「あ――」 境内の掃除をしていた零は、ふと感じた気配に顔を上げた。優しいこの氣は彼のもの。「――雉明っ!」 境内の零を見つけるなり駆けてくる姿。相変わらず元気な様子に、零は微笑む。掃除の手を休め、「千馗」と零は来訪者を迎えた。「来てくれるなんて、うれしい」「おれも雉明が元気そうでよかった!」「はい、頑張っている雉明に差し入れ!」と七代が大きいビニル袋を零に手渡した。受け取った零が覗き込むと大量の焼きそばパンやうまい棒が入っていた。 あまりの量に、零は「こんなに……たくさん」と眼を丸くする。「いいのか? お金が……掛かるんだろう?」 心配する零を余所に「いいんですよ」と七代が僅かに拗ねた顔つきで答える。「おれの懐はぜんっぜん痛みませんしー」「……?」 どうして怒った顔をしているんだろう。首を傾げた零は、ふと後ろから近づく人影に気がつく。 先ほど手渡されたのと同じ大きさのビニル袋を下げた燈治がいた。七代と一定の距離を保ち、近づこうとしない。 どうしてこないんだろう。不思議そうに見つめる視線に気づいたのか、燈治が零を見て苦笑する。 どこか愉快そうな燈治に、どこか不機嫌そうな七代。二人を交互に見つめ、零は思った。 ひとはやはり斯くも難しいものなのだと。 [0回]
次はない 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 今日は珍しく食堂で昼食をとることになった。七代が、一度食堂で食べてみたい、と言ったからだ。 いつもとにかく駄菓子で昼食を済ませようとする七代にしては珍しい言葉に、燈治は「じゃあ行くか」と考えを改められる前に移動する。やはり、きちんとした食事ぐらいは取っておいてほしいと思う気持ちからだった。 生徒で賑わう食堂内で空席を見つけ、まずは座る。「どんなメニューがあるんですか」 初めての食堂に、そわそわと辺りを見回しながら七代が燈治に尋ねた。「そんなに珍しいメニューはないな」 カレーにラーメン。うどんに蕎麦。日替わり定食。ありきたりなメニューを思い付く限り羅列する燈治に、七代は真剣な顔で耳を傾ける。「壇的には何がオススメだったりします?」「ん? そりゃあカレーだな」 もちろん今日もカレーを頼むつもりだ。「壇はいっつもカレーですよねえ」「昼食をチョコやうまい棒で済ませようとする奴には言われたくねえな」「……あ、カレーラーメンとかもあるっぽいですね。おれはそれにしよっと」 そそくさと席を立つ七代に、逃げたな、と燈治は首の後ろへ手をやった。自分でもよくないとわかっているのなら、少しでも改善してほしい。だが、こうして食堂に来ていることを考えると、少しは見直そうとしているのか。 生徒で賑わう売場前で、七代がうろうろしている。迷っている姿に燈治も腰を上げた。どうやって買えばいいのかわからない七代に、方法を教えないと。 全く、千馗には俺がついてねえと駄目だ。「……うまー」 無事に買えたカレーラーメンの麺に舌鼓を打ち、七代の箸は動きを止めない。どうやら気に入ったようだ。「おれ好みに茹でられたちょっと固めの麺。カレーだしも旨味が効いてるし……うん、うまい」「そりゃあよかった。俺もここのメシは嫌いじゃないからな」 やはり自分が好きだと思うものを七代も好ましく感じてくれると、燈治も嬉しくなる。カレーライスをスプーンで掬い、燈治は横で一心不乱にラーメンを食べる七代を見た。やっぱり駄菓子だけじゃ物足りないんだろうことが窺える。「こら、千馗。汁飛ばすなよ。お前の場合シャツについたら汚れが目立つぞ」「……ふぁい」 口の中のものを飲み込む間も惜しむように、七代は頷く。「口の中のものを飲み込んでから喋ろって」「……」 注意する燈治に今度は無言で七代はこくこくと頷いた。止まらない箸に、やっぱり駄菓子だけじゃたりないじゃないか、と燈治は心配した。これはもうちょっと厳しく見る必要がありそうだ。「……ごちそうさまでしたー」 あっという間に食べ終わり、七代が手を合わせた。汁も飲み干した器の中は空っぽだ。「千馗」「はーい?」「こっちも一口食ってみるか?」 燈治は気持ち多めに掬ったカレーライスを七代の口へ差し出した。すると「ん」と迷わず七代は口を開け、差し出されたカレーライスを頬張った。これまでに何度も直接七代の口へと食べさせてきたせいか、もはやそれは当たり前の行動になっていた。 咀嚼して飲み込んだ七代は「うん。こっちもおいしいです」と答えた。「けど、カルさんのカレーのがもっと好きです」「じゃあ洞行く前に腹ごしらえで行くか?」「おれとしてはドッグタグも捨て難いんですけども」「この前だって食べてたじゃねえか。今日はカレーにしとけって」「それって横暴ですよ」 勝手に決められ反論する七代の額を、燈治は指で弾いた。「あいたっ」 咄嗟に掌で弾かれた部分を押さえる七代に、燈治が笑った。「これぐらいのも避けられねえし、お前はもうちょっとしっかり食えって気ぃつかってんだよ」「本当ですか? 自分が食べたいんからなんじゃないですか――むぐっ」 開いた口にまた一匙掬ったカレーを食べさせ、燈治は七代の言葉を塞ぐ。「ほら、いいからもっと食え。足りなかったら奢ってやるからよ」 話を中断させられ、不機嫌そうに七代は燈治を睨む。だが、皿ごと目の前に移動してきたカレーライスに、黙って今度はスプーンを動かしはじめる。「……いちゃつくなら、余所でやってほしいんだけど」 通りすがりの巴は、食堂でじゃれあうようなやり取りをする二人を見つけるなり、酷い脱力感に苛まれた。手が、自然にペンを探る。もし見つけたら、直ぐさま壇の急所目掛けて一投したかったが、生憎投げれるようなものは持っていなかった。 ふう、とため息一つ。呆れるやり取りを目の当たりにして、頭が痛くなってきた。 眼の毒。耳の毒。精神的にも毒だわ。巴は見ない振りをして、食堂に背を向けた。今度見つけたら、すぐ行動に移れるよう、文房具を常に持っていようと心に決めながら。 [0回]
にじり寄る、追い詰める 壇主 東京鬼祓師 2013年04月29日 ※壇が女装してます 俺が間違っていた。あんな目先の利益に釣られて。よくよく考えれば、過ちを犯さずにすんだのに。 いつだって俺は、事の重大さを後で思い知る。「……千馗。お前はいったい何をしたいんだ?」 放課後の家庭科室。しっかり鍵をかけられ、壁際に追い詰められ、逃げ場を失った燈治は、目の前に立ち塞がる七代を苦渋に満ちた目で見上げる。 七代は不敵に笑っている。勝ちを確信した肉食獣の笑みだ。「俺にこんな格好させて……楽しいか?」「はい。楽しいです」 そして直ぐさま打ち返される返答。淀みない口調に、燈治は歯を食いしばった。「……」 七代の口元がたわむ。ゆっくりとしゃがみ、燈治の頭からつま先まで舐めるように見渡す。「だって、壇に女装とか、見た目からして似合わなそうで笑えますよねぇー」「……テメエ、覚えてろよ」 苛立ち混じりに燈治が蹴りを繰り出した。スカートから伸びる足は、しかし身を捻った七代に軽く避けられてしまう。 くそ、と燈治は唸った。無理矢理はかせられたスカートが妙に纏わりついて気持ち悪い。上半身のセーラー服も、肌に慣れない生地が居心地の悪さを存分に発揮してくれている。 カルパタルの秘伝カレーを味わらせてあげるから、だなんて分かりやすい交渉に引っかかってしまった己を、燈治は呪う。まさか七代から出される要求が女装して、だとは露とも思っていなかった。「うん。覚えてる」 笑いを堪え、七代が歪んだスカーフを整える。「だって、こんな面白いこと、忘れるわけないじゃないですか」 ぷぷぷぷ、と今にも笑いが爆発しそうな堪え方に、燈治はいっそがら空きの脇腹に一発当ててしまいたくなる。卑怯だから、しないけど。 憮然としている間に、七代の手は忙しなく、燈治を変えていく。「えっとあと、足の毛を剃って化粧して……」「そこまでするのか? 服だけでも十分だろ」 寧ろそこまでにしておいてほしかった。心からそう思う燈治に、七代は容赦ない。両手で燈治の顔を軽く仰向けさせ「はい眼を閉じて」と指示を出す。「本気で、化粧すんのか?」「はい、おれは努力を惜しまない男ですから。それは壇を女装させることについても同じ。妥協、したくないですし」「妥協しろよ……頼むから」 まだ化粧とかしないでおけば、笑いを取るだけですむのに。ここまで真面目にされたら、人によっては引かれてしまうこと間違いなしだ。「はいはい。分かったから眼を閉じて、じゃないとマスカラ眼にぶち込むから」 棒状のものを持った七代の手が、目前に迫る。燈治は全てをあきらめ仕方なく目を閉じた。 数分後。出来上がった燈治の女装を見て、七代が一言呟いた。「……うん。分かっちゃいたけど、似合わないですねー、全然」 憮然と椅子に座る燈治を七代が腕組しながら顔を近づけ、じろじろと見回す。「胸囲だけ見ればかなりおっきいのに、他のところも筋肉とかあるから」「……で? 感想は?」 じろりと似合わない化粧をされた燈治が、七代をねめつけた。 うん、と七代は頷き真顔で答える。「正直、すまんかった。もう馬鹿なこと言わない」「……まあ、分かってくれただけでもありがたいと思わなきゃいけないんだろうな」 深く深くため息をつき、燈治は肩を落とした。これで七代も満足しただろう。燈治は「脱ぐからな」とまずは頭につけられたウィッグに手をかけた。「あ、待って。写メ撮らせて」 七代が、女装を解こうとする燈治を慌てて止めて携帯を取り出す。「何でそんなの撮るんだよ」 こんなの、末代までの恥だ。顔を顰める燈治に「壇だって、こっそりおれの撮ってたくせに」と言い返した。「壇は撮って、おれは撮れないとかずるい」「…………」 燈治は口をつぐんだ。こっそり撮ったつもりなのに、しっかりばれてしまった事に、内心動揺する。 黙ってしまった燈治の姿を、意気揚々と七代は携帯に収める。いいアングルを探しているのか、立ち位置を何度か変えて、繰り返しシャッターを切った。「うん。撮れた」 ようやく満足した一枚が撮れたらしい。これも青春の一場面、と画面を見つめる七代の表情が綿飴のように甘く崩れる。「……」「似合わないなぁ……」 えへへへ、と幸せそうに笑う七代に、燈治の胸はじんわりと熱くなった。些細なことだろうに。七代は小さなこともとても大切にする。 燈治は無言でウィッグを掴んで外した。有無を言わさずつけられた口紅が邪魔で、手の甲で乱暴に拭う。「千馗」 燈治は紅のついた手で七代の肩に触れて引き寄せた。さっき七代が己にしたように顔を上げさせ、無防備な唇に自分のそれを落とす。「……」「……」「……」「……何か、女装の男からこんなことされるのって、変な感じ」 離れた唇を押さえた七代は、照れたように眼を伏せた。仄かに頬が赤くなっている。「奇遇だな。俺もだ」 言いながら、燈治は七代の肩を押していく。重心が傾いた七代の身体は広い机の上へと横になる。 形勢逆転、眼を見開く七代を組み伏せ燈治は思った。これで逃げ場をなくしたのは俺じゃない。千馗のほうだ。「ちょ、ちょちょっと燈治さん? 眼がマジなんですけど」「マジだから仕方ないな」「うん、それは今までの経験から嫌ってほど知ってるよ。知ってるけどね。せめて、女装解けばいいと思うんだけどな。それからでも、遅くないんじゃない?」 必死に言いつくろう七代の様子が面白くて燈治はつい笑ってしまう。こっちも七代に付き合って、したくもない女装をしたのだ。これぐらいしたっていいだろう。 だから燈治は七代の耳元で呟く。彼が弱い重低音を響かせるように。「どうせ今から脱ぐんだからいいだろ。な……千馗」 吹き込まれた囁きにびくりと身体を震わせた七代は「くそ」と呟きながらも、燈治のほうへと手を伸ばした。 [0回]