とめどなく 1 ペルソナ4 Memories of the world 2013年05月02日 ポケットに入れている契約者の鍵を上からそっと触り、感触を確かめる。 目の前にあるのは、白く光を放つ扉。何処からともなく商店街に現れたそれは、日向以外に見えないのか、誰も眼をくれず素通りしていく。 日向はポケットから手を離し、真白き扉に指を伸ばした。指先で触れた瞬間、視界が光で満たされていく。 眩しさに、目を瞑る。そして、身体から魂が切り離されるような、浮遊感。「――ようこそ、ベルベットルームへ」 涼やかな女性の声に、日向は閉じていた瞼をそっと開けた。 青い天鵞絨で内装された車内。商店街にいたはずの日向は、いつの間にかリムジンの後部座席に座っていた。窓から外は、霧が濃く立ち込めていて景色は見えない。 何処にいるのか、何処へ行くのかも分からず、リムジンはゆっくり走り続ける。 いつもだったら日向の真向かいに座っているベルベットルームの主――イゴールの姿が、今日は見当たらない。斜向かいに座る銀髪の女性が、視線に気づいて薄く微笑んだ。「本日、主は席を外しております。ペルソナに関しての御用があれば……」「いえ」 日向は首を振った。「今日は貴女に用事が。マーガレットさん」 名前を呼ばれ、女性――マーガレットは、あら、と瞬きをした。心を見透かすように、人にはあり得ない黄色の双眸を細め日向を見ると、笑った。「――見事。任務達成です」 日向がふうっと安堵の息をついた。マーガレットから出される要求は、彼女が望むペルソナをつくりあげること。どれも一筋縄ではいかないものばかりで、上手くいったかどうかは、彼女の反応を見て初めてわかる。 今回は、どうやら成功したらしい。緊張から、知らず握り締めていた拳をそっと緩めた。 マーガレットの笑みが深くなる。こうして見れば、普通の人のようだが、得体の知れない感じもした。もともと違う世界の人間だからか、黄色い双眸が日向の中でシャドウを連想させる。「あら」 マーガレットが頬に手を当て、僅かに首を傾げた。じっと、日向の顔を凝視する。「……何かあったの? 今の貴方はまるで、道に迷った子供のような顔をしているわ」「……そんなことは」 否定しかけた日向の言葉を「そうかしら?」とマーガレットが遮った。「私は貴方に頼み事をしていくごとに、ペルソナを通して貴方の心を見ているのよ。私に、貴方の小手先の嘘は通用しないわ」 誤魔化しは通用しないと言うようなマーガレットに、日向は口を引き結んだ。しばし無言を保った後、躊躇うように言う。「……以前イゴールは言っていた。俺は、数字のゼロみたいなものだって」 ペルソナが宿った日の夜。日向をベルベットルームに招いたイゴールはこう言っていた。『――からっぽに過ぎないが、無限の可能性も宿る。そう……言わば数字のゼロのようなもの』「イゴールはそう俺に可能性を示した。でも俺はそう思えない」 日向は胸の支えを吐き出すように言った。苦しそうに眉間に皺を寄せ、心臓の辺りを掌で押さえる。「心を入れ物に例えられたら、俺のそれは多分どこかがひび割れているんだと思う。だからいつまでも空っぽのままで」 まるで、虚ろを抱えているような。たまに怖くなる。 悩む日向を、マーガレットはじっと見つめた。 そして思う。 ――人は、なんて不思議なものかしら。 夏休みが終わり、九月も半分過ぎた。 波乱を呼んだ修学旅行も無事に終わり、平和な日々を過ごせると、陽介は思っていた。それは、先月自らテレビに逃げ込んだ久保美津雄を捕まえたからだ。 目立ちたかった。相手は誰でも良かった、と捕まえられても尚、嘲る久保の姿に後味の悪さを拭えなかったが、もうこれで事件は起こらない。小西先輩の仇が討てたんだ、と思っていたのに。 その思いを裏切るように、また事件が起こってしまった。 雨の降る夜。マヨナカテレビに映ったのは、解決した事件にこだわっていた探偵――白鐘直斗。白衣を着たもう一人の彼は、自らを改造して新たな自分に生まれ変わる、と物騒なことを言っていた。 直斗はペルソナも、テレビに入る力も持っていない。となれば、考えられることは一つしかなかった。誰かが直斗を誘拐し、テレビに放り込んでいる。 はあああ、と憂鬱に溜め息を吐いて、登校した陽介は、足取り重く階段を昇る。テレビの中は以前よりずっと霧が深くなっていて、探知能力に秀でているりせのペルソナでも、容易に見つからない。直斗の人となりを掴むため町で聞き込みをし、ようやく見つけたその居場所も、シャドウの強さになかなか進めない。久保を捕まえ事件が終わったからと、夏休みにあまりテレビの中に行かなくなったツケが、今になってきたようだった。 強いシャドウと戦いながら進むめば、どうしても体力の減りが激しくなって保てない。ぎりぎりまで戦って、引き下がる。その繰り返し。雨が降るまでまだ時間はあるが、どうしても焦ってしまった。 事件はまだ、終っていない。「おーっす。おはよ花村」 教室に入るとすぐ、元気な挨拶が飛び込んできた。中央にある自分の席近くで立っていた千枝が、軽く手を振っている。一緒に来たのか雪子も一緒だ。おはよう、と言い、眠そうに欠伸をする陽介を見る。「寝不足? よく眠れてなさそうに見えるけど」「分かる?」 欠伸をして目元に滲んだ涙を指で擦りながら、陽介は肩に掛けたメッセンジャーバックを自分の机に置いた。「これでも十分寝てるつもりなんだけどな。やっぱ、連チャンはきついわ。疲れが取れない取れない」 凝った肩を回しながら千枝たちに近づく陽介に「あ、私も」と雪子が同調する。「最近テレビの中に行ってばっかりだもんね。直斗くんのところのシャドウ、進むごとに強くなってるし。焦っちゃいけないのは、分かるんだけど……」 心細くに呟く雪子は、陽介と同じ焦りを抱いているようだった。表情を曇らせ、窓に目を向ける。 外はよく晴れていて、まだ夏の色を残した鮮やかな青が広がっている。だけど、いつかは暗く重い雨雲が、空を覆いつくすだろう。それまでに、直斗を救い出さなければ。「もうっ、暗いよ二人とも!」 沈みかけていた空気を吹き飛ばすように、千枝が明るく言った。突然の大声に驚いて、陽介と雪子が同時に千枝を見る。「シャドウとか、確かに強くなってるけどさ。強くなってんのはあたしたちだって同じことじゃん。今までだってやってこれたんだから、今度もうまくいく! そう思ってかないと」「……千枝」「考えるな、感じろって言うし。だからさ、考える前にまず動こーよっ」 頼もしい千枝に「そうだね」と雪子がほっとして言った。陽介も固くなった表情を緩め、ああ、と頷く。「里中の言う通りだ。考えるより、動かねーとな」「そうそうその調子!」 気を取り直す二人に千枝はにっと笑って、腕を曲げる。そして両腕を高く上げ、片足で爪先立ちながら、言った。「あたしも頑張る。今日も拙者は肉食って、シャドウを纏めて吹っ飛ばしてやるぞよ!」 アチョー、と千枝が好きなカンフー映画のポーズを決められ、陽介は思わず笑った。「……うん。それでこそ里中だわ」 底抜けに明るく前向きな姿勢は見習うべきところだろう。雪子が千枝を頼りにしているのが分かるのは、こんな時だ。 クラスメートが増えてきた教室で、事件の話は出来ない。自然と会話は他愛ないものへと移っていく。夏休みの働きをきっかけに、ジュネスで働くクマの給料を上げたと陽介が話していると、後ろから「おはよう」とトーンの低い声が聞こえ、陽介の身体が硬直した。「おはよう、橿宮くん」「おーっす。今日遅かったねー」 千枝や雪子が、笑顔で挨拶をする。 鞄片手にやってきた日向は、二人に挨拶を返しながら席につく。そして千枝の横で固まったままの陽介を見上げ「おはよう」と言った。「お、おう……」 微妙に日向から視線を反らし、陽介は、おはよ、と口の中でぼそぼそと呟く。 突然の異変に、千枝と雪子が揃って顔を見合わせ、疑いの視線を陽介に向けた。また何かやったんだろう。そう言外に告げている二対の眼は、陽介にその原因があると決めつけているようだった。 正しくその通りなので、陽介は居心地の悪さを感じてしまう。「あーっと、そろそろ朝礼だな。柏木来るから席戻んねぇと」 とってつけたような適当な言い訳をし、陽介はそそくさと自分の席に戻った。千枝が口を開きかけたが、タイミングよく鐘が鳴る。嘘はついていないぞ、と自分に言い聞かせるようにして、にへら、とまだ疑い深く見てくる千枝に愛想笑いをした。「はーい、おっはよー」 妙にねっとりとした高い声で言いながら、柏木が教室に入ってきた。担任の姿にようやく千枝が渋々と前を向き、陽介は安心する。 出欠を取る柏木の声を聞きながら、陽介は頬杖をついて前に座る日向の背中を見つめた。 衣更えで、夏服に変わった日。白のカッターシャツを着た日向に「橿宮くんの白って新鮮だよね」と千枝が珍しいことを発見したように、眼を輝かせて言っていたことを思い出す。明るい色を好む陽介の逆を行くように、日向は落ち着いた色の服をよく着ている。二人一緒にいることで、余計に周りからもそう思われるんだろう。 ふと日向が椅子を前に引き、座り直す。動いた弾みでいつもは制服で見えない首筋が覗いた。日焼けしないと言っていた白い肌を見て、無闇に動揺してしまう。「――むらくん。花村くん?」 いないのぉ? と出席簿から顔を上げ、教室を見回す担任の声に、陽介は我に返った。「いますいます!」 慌てて手を挙げ、自分の存在を主張する。「あら、いたの」と柏木は言い「あたしに見とれるのもいいけど、ちゃんと返事はしてよねぇ」と見当違いなことを口にして、出欠簿に記入した。 あちこちから、くすくすと笑い声が聞こえる。ぼんやりしていたこっちが悪いとは言え、笑われて少し腹が立つ誰も柏木なんて見ていない。 久保に殺された諸岡も陰険で、決していい教師とは言えないが、柏木も同じことが言える。あの自意識過剰さは相当なものだろう。 気分が重くなる。座ったままの姿勢を崩さない日向の、椅子を足で小突きたくなった。 誰のせいでこうなったと思ってる。 夏休み初めの頃だ。マヨナカテレビに映った久保の手掛かりを掴むため、聞き込みに稲羽の町を日向らは駆け回っていた。 もしかしたら今までの事件を引き起こしていた犯人かもしれない。その思いが、より一層捜査に対しての熱を高めていく。 だが陽介は一人、落ち着かないまま商店街を歩く日向を見つけるなり、その腕を掴んで路地裏に連れ込んだ。「花村?」 どうしたんだ、と尋ねる声を無視し、陽介は奥へ歩きつづける。ようやく足が止まったのは、路地裏の丁度真ん中辺り。ぱっと見ただけでは人がいると判別しにくい場所だった。「……」 陽介は日向の手を掴んだまま、黙っていた。「花村」と日向が呼ぶ。 一度大きく息を吸い、思い切って陽介は日向に向き直ると――頭を深く下げた。「――ゴメン」「……花村?」「俺、付き合うとか好きとか。今はそういうの考えたくねえっつか……。だからその」「……もしかして、この前のアレのことを言ってる?」 陽介は頭を下げたまま、こくこくと頷いた。顔は見せられない。自分でもそうと分かっている程に赤くなっている。頬が、すごく熱い。『お前が好きだって言ったんだよ。――花村』 そう、日向に陽介は告白された。 その衝撃は凄まじく、あれほど止まらなかった涙がぶっ飛び、気づいたら家の玄関で倒れていた。「ヨースケ死んじゃいやっクマー!」と戻っていたクマに泣きながら心配されつつ、どうやって帰ったか、全く記憶がないことに気づく。 一瞬冗談かと思った。だが、日向は人の気持ちを弄ぶような嘘を口にする男ではない。しかも、どうして暴走した影に殺されかけた自分を助け、面倒だと分かっている厄介ごとに飛び込んだのか、理由としてその気持ちを挙げたのだから、本気だと言い様がないだろう。 陽介は何度か告白されたことがある。もちろん女の子ばかりだ。都会に住んでいた頃は、軽い気持ちで応えて何度か付き合ったりしたし、稲羽に越してからは早紀のことが頭を過ぎって、すべて断ってきた。 そのどれよりも、今が一番緊張している。心臓は破裂しそうに動いているし、喉もからからに渇いていた。 頭を下げる陽介の目に入る、日向の足が少し動いた。ざり、とアスファルトを靴が擦る音に、過敏な反応をした陽介の肩が竦む。「花村」と戸惑ったような日向の声がした。「とりあえず、頭を上げてくれ。なんだか俺が悪いことをしているみたいだ」 陽介は怖ず怖ずと頭を上げ、日向の顔を見た。いきなり頭を下げられたせいか、少し困った顔をしている。そして、あのさ、と首の後ろに手をやりながら、尋ねてきた。「考えたくないというのは、男同士で気持ち悪いとかじゃ、なく?」「え」 陽介は眼を丸くした。「いや、それはない。うん……不思議なことにない、それは」 赤いままの頬を掻き、陽介は恥ずかしくなってよそを向く。言いながら、自分でも不思議な気分になった。 完二がテレビに放り込まれた時は、男同士なんてない。有り得ないと繰り返し強く言ってたのに。しかし実際に告白してきた日向に対し、嫌悪感はなかった。どうすればなるべく傷つけずに、答えを返してやれるかばかりを考えていて。 好きだと言われたことに関しては。「……すっげぇ嬉しかったよ。お前が俺を好きだって言ってくれたの」 出会ってから情けないところばかり見られ、挙げ句の果てに今まで自分が傷つかないよう、色んなものから守ってくれていた日向。逃げてばかりでいい加減うんざりされるかと思っていたけど、彼は好きだと言ってくれた。こんな、俺を。「でも俺……」 陽介は俯き、震える手を握りしめた。今度こそ、愛想が尽かされてしまう気がした。 断罪を待つ咎人の心境になって、陽介はぎゅっと瞼を閉じる。「いいよ。友達のままで」「……へ?」 聞こえてきた穏やかな声。眼を開けた陽介は、呆然と口を開け正面に立つ相棒の顔を見た。声と同様、穏やかな笑顔を浮かべている。まるで、陽介が断るのを予測しているように感じた。「考えた末なんだろ?」 落ち着いた様子で日向は眼を細めた。「俺は花村が小西先輩のこと、どれだけ好きかわかってるつもり。それにあの人のお陰で、今の花村がいるようなものだし。きっと簡単に忘れたり、割り切れるものじゃない」「でも……」「花村は良い奴だな」「えっ?」 どうして、そんな言葉が出てくるんだろう。陽介は混乱する。「あの時の花村、すごい驚いてたみたいだったから」 日向は苦笑しながら、自分が告白した後、ろくな会話も出来ず別れたことを、陽介に教えた。やはりかなり動揺していたようだった。 馬鹿じゃねえの俺。情けなさに、陽介は肩を落とす。「あのままうやむやになってしまったから、てっきり嫌がってなかったことにされたかと思ったけど……。真剣に考えてくれたんだな。ありがとう」「いや、そんな……こと……」 笑いかけてくれる日向に、陽介はどぎまぎした。胸が痛くなる。だって、俺はお前をふったのに――。 湿っぽい空気を断つように、ぱん、と日向が両手を合わせて叩いた。「じゃあ、この話はここまで」「えっ!?」「だって久保の手掛かり探さなきゃならないだろう? 事件解決のためにも、早く捕まえないと」 行くぞ、とあっさり日向は踵を返した。商店街に真っ直ぐ戻って行く背中を、陽介は唖然と見つめる。ついさっきフラれたのに、悲壮さは微塵も感じられない。 俺お前をふったのに。どうしてそんなあっさりしてるんだ……!? 腑に落ちない感じがする。胸に靄つきを抱えて、陽介は激しく悩んだ。 日向はそれでいいのか。自分の想いが通じなかったのに。 俺はすごく、辛かったのに。 あれから日向は、あの告白などなかったように接している。逆に陽介が意識して、たまにうろたえてしまう始末だ。たまに不意打ちで声を掛けられると、つい思考が揺らいでしまう。 朝礼が終わり、最初の授業が始まる。先生の声と板書の音が教室に響く中、陽介はやはり日向の背中をじっと見つめ続けた。 テレビの中でいつも追い掛けている背中。影が出た時も、日向は陽介を守るように背中で庇い、助けてくれた。 好きとか、そういうのはわからない。だけど、対等でありたい。追いかけるんじゃなく、肩を並べて一緒に進みたい。助けられるばかりじゃなくて、俺も、助けたい。 陽介はそっと日向の背中に手を伸ばした。襟に指先を引っ掛けかけ、思い止まる。 お前の好きって気持ちを断ち切っておきながら、こんなことを思う俺って、ずるいよな。やっぱり。 自嘲気味に笑って、手を戻した。 [0回]