ロードレース ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 今日の体育はロードレースだった。八十神高校から坂を降り、鮫川河川敷をぐるりと回る距離は長い。走り始めてからものの数分で音を上げる同級生が多い中、日向は一定の速さで黙々と走っていた。「っつーかさぁ、近藤の奴、無駄にはしゃぎすぎなんだよな」 日向の少し後ろを追い掛ける形で走る陽介が、先頭で自転車を漕ぐ体育教師に呆れて言った。熱血漢を地で行く近藤は「後ろの奴らはきりきり走れーっ!」と激を飛ばしている。昔の青春ドラマか何かから抜け出たようだ。付き合うつもりは陽介にはさらさらないが。「次の授業まともに受けさせるつもりねーだろな」「元々まともに受けるつもりはあまりないんじゃないか」 ちらりと日向が肩越しに陽介を見た。「それより、どうして俺の後ろを走る? 陽介は普通に足が速いんだから、隣に来ればいいだろう」「あー、だよなあ。俺も今気づいたわ」 走る速度を上げた陽介は日向と並び「何かテレビん時とごっちゃになってるみてえ」と歯を見せて笑う。テレビの探索で、陽介は先頭を走る日向の背中を見ながら追いかけた。それに慣れているから、こうして並んで走るほうに違和感を覚えてしまう。「切り替え大事。今はテレビの中じゃなくて、体育の授業中」 そう言って日向は肘で並走する陽介を突く。陽介は身体を反らしてそれを避け「わあってるって」と言った。 でも日向に指摘されなかったら、ずっと彼の少し後ろを走ったままだと陽介は思う。クセになったのもある。だがそれ以上に日向の背中を見るのが好きだから、きっとなかなか直らないだろう。「しかし、どんだけ走らす気なんだかあの熱血教師」「今鮫川の反対側に回ったところだから」 日向が走る方向に架けられている橋を指差した。「あれを渡って、そのまま学校まで戻るつもりだろう。多分」 すっと坂の上にある八十神高校へ動く指先を目で追い、「まだまだ長いな」と陽介がうんざりした。後ろからもまだ遠い道程に、喘ぎ苦しむ同級生達が怨嗟の声を上げている。息が切れかかっているのが、同情を誘うようだった。「女子は今頃呑気にバレーかな」 高校のほうを見ながら呟く陽介に「そうかもな」と日向が答える。女子に甘い近藤は、体育館で自由にチームを組み試合をするよういいつけてある。「里中がはしゃいでいそうだ」 息は全く乱れていない調子で言った日向に「まーな」と陽介は納得した。「バレーなのに、ボール蹴りそうだよなー。な、どうせなら賭けっか?」 突然勝負を持ち掛けてきた陽介を、日向が見遣る。「賭けって何を」「里中がボールを蹴ってるかどうか」「それは答えが俺もお前も同じだから、賭けにならない」「あ、やっぱり?」「でも終わったらジュース飲むか。流石に喉が渇く」「そうだな。さっさと済ますか」 互いに頷きあい、二人はさらに速度をあげていく。見るまに小さくなっていく日向らの背中に、後ろを走っていた男子達が「あいつらバケモンかよ……」とうんざりした声をあげていた。 [0回]PR
ここにいるのは ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 トイレ近くに設置されている長椅子に、日向はぼんやりと座っていた。さほど遠くない距離にある家電売場は、いつもより活気がある。チラシ出してたから、と陽介が言っていたのだから、少しは効果があったんだろう。「お待たせ」 陽介が男子トイレから出てきた。手には濡れたタオルハンカチ。陽介がメッセンジャーバッグを漁り、底から奇跡的に発掘されたものだ。 陽介は座っている日向の前に立ち、右手を出すよう促す。素直に日向が右手を陽介に伸ばした。 その右手は赤く腫れている。手首の辺りを一周するように歯型がついていた。「痛いかもしんねえけど、我慢な」 断りを入れてから、陽介は濡らしたタオルハンカチを広げ、日向の右手首に当てる。肌が痛みを感じたのは、ほんの一瞬だった。冷たさが気持ち良く、ほっと日向は息を吐く。「しばらくそうしとけよ」 陽介は当てたタオルハンカチをそのまま日向に渡し、隣に座った。「しっかしクマの奴、普通手が出てくるからって噛み付くか? 橿宮は呼んだだけだっつーの」「俺もまさか噛まれるとは思わなかった」 雨の降る深夜十二時、テレビに映るマヨナカテレビ。映った人間は、テレビに放り込まれてもう一人の自分に殺される――。 そう推論を立てた日にさっそく映ったのは、同級生の雪子。幸いにも連絡は取れ、無事は確認出来ているが、やはり不安は拭えない。 だから二人は雪子の親友でもある千枝を連れて、テレビの中の世界にいるクマに会いに来た。だが何を考えているのか、テレビに潜り込ませ外から呼ぶ日向の手にクマは思い切り噛み付いていた。 漫才じみたやり取りのせいで話が進んでしまったが、その間も日向はしきりに噛まれた手を摩っているのを陽介は見ている。すごく、痛そうだった。「一応帰ったら帰ったでちゃんとしとけよ。これはとりあえずの応急処置だし」「ありがとう」 日向の声と重なり、タイムセールの店内放送が流れる。それを聞き、足早に食料品売場に向かう人達を陽介はぼんやり見つめた。日常の裏に潜む非日常に足を突っ込んだからか、何となく向こうとこっちで境界線が出来たような気がした。「また起きんのかな」 ぽつりと陽介は呟く。タオルハンカチで押さえていた右手首を見ていた日向が、陽介のほうを向く。 ちらりと横目で日向を一瞥し「失踪」と陽介は短く告げた。これまでにテレビに映った人間は二人。そのどちらもが映った数日後に遺体となって発見されている。「どうだろうな」と日向が肯定とも否定とも取れない風に言った。「今の時点じゃ圧倒的に情報が足りない。どうしたって後手にならざぬを得ないだろう。もし天城が本当に狙われてるのなら、ずっと見てたほうがいいんだろうけど。もしくは里中と一緒にいてもらうか。でも難しそうだな」「天城ん家旅館だしな」 しかも急な団体が入り、学校を休んでいる程の忙しさだ。それにテレビに放り込まれて、もう一人の自分に殺されてしまうかもしれない――なんて話を信じてくれるかどうかすら怪しい。「あー、もう! 犯人の奴まどろっこしいことしやがって。宣言するなら、もうちょっと分かりやすいヒント残してけっつうの」「それはちょっと無理があるんじゃないか? 犯人だって捕まりやすくなってしまう」 無茶を言う陽介に、日向が思わず笑った。「でもさ……」 不服を唱えようとする陽介の言葉を「でも」と日向が遮った。「クマが言ってただろう? もしまた誰かがいなくなっても、ペルソナを持つ俺達なら助けられるかもしれないって」「それはそうだけど」「だから天城が失踪しても、助ければいいんだ」 妙にはっきりとした口調で日向が言った。自信に満ちた笑顔を陽介に見せる。「おま、……自信満々ね」 少し呆れた陽介に「じたばたしても仕方ない」と日向は肩を竦める。「それに花村もペルソナを宿してる。戦える人間は多いほうが心強い。それが、信頼出来る奴なら尚更」「……」 信頼。出会って一週間も経たない日向から言われて、陽介は呆然とした。そこまで俺を買ってくれてるのかと思うと、少し恥ずかしかった。今までそこまで言える存在がいなかったから。 これは、期待に応えないと。それに陽介も思ってしまう。日向となら、なんだってどんなことだって、不可能を可能にすらやれるんじゃないかって。「だから、一緒に頑張ろう、花村」「ああ」と陽介は笑った。軽く握った拳を胸の高さに上げる。「それじゃ改めましてこれからもよろしくな――相棒」「うん」 日向も左手で拳を固め、軽く陽介のそこに当てた。甲同士がぶつかり合う。 一昔前の青春ドラマみたいだ、と陽介は思いながらも悪い気はしなかった。「――陽介」 アパートの窓を開け、外をぼんやり見上げていた陽介は呼ばれて振り向いた。 荷物に埋もれた部屋に、日向が積んだ段ボールを崩さないよう慎重に入ってきた。眉が寄っていて、少し怒っている。「荷物移動しておいて、と頼んだだろう。それがどうして窓でぼんやりしてるんだ」「わ、悪い」 陽介は肩を竦めて謝り、窓際から離れた。短くはない付き合いで、さっさと非を認めていなければさらに機嫌を損ねてしまうことはわかっている。 無造作に置かれた二人分の荷物。陽介は段ボール以外はなにもない部屋を見渡し「どうしたらいい?」と尋ねる。「台所にこの部屋に入れる棚とか置いてあるから。テレビはあそこに置くだろう」 日向は陽介が黄昏れていた窓際と反対方向の隅を指差した。「だから、棚はここで……。あの壁に沿うように置いていって。あ、重たいものを下にしろよ」「おう」 日向に言われた通り、陽介は仕事をこなす。その後も二人で棚を運ぶなどしていくうちに、気づけば随分時が経っていた。「もうこんな時間か」 腕時計を見て、日向が驚いた。部屋は大分片付いているが、まだ段ボールの山が目立つ。「腹減った」と陽介がここぞとばかりに空腹を主張した。「今日はもうこれぐらいにしてさ。飯にしよう。メシ」「そうだな……」 日向が頷き、エプロンを解いた。部屋をでて、財布を手にすぐ戻ってくる。「ガス通ってないし、今日はコンビニでいいだろ」「おう。俺も行くわ」と陽介が腰を上げる。「疲れたんなら、部屋で休んでていいけど」「初お出かけじゃん。二人で行こうぜ」 浮かれた足取りで、陽介が日向の横を通り抜ける。さっさと玄関で靴を履き「日向早く」と日向を急かした。「落ち着け」と日向は笑う。 日向と出会って二年。共にいられたのは、駆け抜けたように過ぎていった最初の一年。後の一年は、お互い遠い距離に阻まれて気軽に会えなかったが、それぐらいで立ち消えるような柔な絆じゃない。 三度目の春が来て、それなりの月日が過ぎた。けれども日向は変わらず陽介の隣にいる。そしてこれからはずっと一緒だ。「同じ学部じゃなかったのは残念だったけど、それでも何とかなるもんだな」 コンビニまでの道を並んで歩きながら、陽介は感慨深く呟いた。 日向と同じ大学に入ろうと宣言してから、陽介はひたすら勉強に打ち込んだ。ランクが高いと絶対無理だという周りを見返すためでもあったが、一番は日向と居るため。 一緒に住みたいと言う願いもこうして叶えられ、陽介は幸せの絶頂にいた。「……どうした、にやにやして」 じっと見つめられ、日向が苦笑しながら言った。「いんや、幸せだなーって思ってさ」 陽介は空を見上げた。「これからお前と暮らせるとか。夢見ちゃってんのかなって気分っつうの?」「つねってやろうか」 頬に向かって日向の手が伸ばされる。抓られる寸前顔を反らした陽介は、小走りで日向の前を行く。「いいって。夢だったら覚めるのがもったいない」「落ち着け。ちゃんと現実だ」 日向が目を細めて言った。「お前と俺が同じ大学に――まあ学部は違うけど、受かったのも。一緒のアパートに住もうって誘いを俺が受けたのも。今日、アパートで二人分の荷物を入れたのも、全部本当」 陽介の足が止まる。日向と離れた僅かな距離があっさり縮まり、すれ違いざまに軽く肩を叩かれた。 しっかりとした手。稲羽にいた頃ついた胼胝はなりを潜めたが、そこには確かに色んな苦難を乗り越えた日々を感じさせる。 この手に何度助けられたんだろう。俺は、お前を支えられた? 今でも時折そんなことを思う。「なあ」 日向を追いかけ、陽介は尋ねた。「俺で、良かった?」 恐る恐るの質問に、日向が目を丸くした。それからすぐに、何を言ってるんだコイツは、とでも言い足そうに呆れ、今度は容赦なく陽介の頬を抓る。「いった。ちょ、ちょっとは加減してくれよ」「夢見てるんじゃないかと思ったからな。痛くしないと起きないだろ」「起きた起きた! 起きてるから! その手離してちぎれる!」 涙目で懇願し、陽介はようやく解放してもらえた。抓られた頬が、ひりひり残った痛みをしつこく主張している。「ひでえ」と頬を摩り睨む陽介に、日向は笑って見せた。「お前の隣に居るのは俺が決めたことだ。ペルソナに目覚めた、あの時からずっと」「……」「相棒の言葉ぐらい、素直に信じてくれ」「……信じないわけ、ねーじゃん。だってお前の言葉だぜ?」 日向の肩に腕を回して引き寄せた陽介は、赤い顔を見られないよう前を向いて「信じるよ」と言った。「じゃなきゃ、ここにお前はいないもんな」「そうだ。俺は陽介の側にいるよ。――これからもずっとな」 付け加えられた言葉に、陽介はくすぐったそうに笑った。日向から離れて、手を伸ばす。促せば察したように、日向の指が絡まる。 ぎゅっと繋がった手は離れない。 絆もきっと、ずっと。 [0回]
恋人補給 ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 祝日が重なり、ちょっと長い連休みたいになった今月。赤い日付が続くカレンダーに、陽介が抱くのは淡い期待。もしかしたら、都会へ戻ってしまった日向が稲羽に遊びに来るんじゃないか。休みが続くと、必ず同じことを思ってしまう。 勿論あっちにも都合があるのだから、それは外れることも多いけど、今回は当たってくれたようだ。 自室のベッドに寝転んだ陽介は、しまらない顔でにやにやと携帯を見つめる。さっき日向から届いたばかりのメールには、今度の連休に帰る、と言うことと、連休のどこかで陽介のうちに泊まりたいと言う内容が書かれていた。 勿論陽介は日向の要望に応える形の返事を出す。久しぶりに帰ってくれるだけでもすごい嬉しいのに、家に泊まりたいとか、願ってもない幸せが転がり込んだものだ。 フリップを閉じた携帯をベッドヘッドに置き、起き上がった陽介は、壁に掛けてあるカレンダーを見つめる。さっきよりもいっそう笑みを緩ませ、机に戻ると取ってきた赤マジックで、日向が戻ってくる日に大きく丸をつけた。 もう、すごい待ち遠しくなってっし。遠足前日を興奮して待つ子供みたいに、陽介は胸を弾ませる。「だからって、こんなに大きく丸をつける必要はないと思うけど」 当日の日付に書き込まれた赤い丸を見て、日向は苦笑した。後ろを振り向き、ローテーブルで肘を突きながら、見上げる視線に肩を竦める。数ヶ月ぶりに会った陽介は、ずっと蕩けるような目を日向に向けていた。他の仲間がいた時は自制したんだろうが、二人きりになった途端、この調子。「それほど楽しみだったの」と、嬉しそうにいうものだから日向からすれば苦笑するしかない。みんなと――陽介と会えるのが楽しみだったのは日向も同じだから、笑うことはしないけど。「会おう、と思って会える距離じゃねえし。だから見れる時に見貯めしとかねーと勿体ない」「こっちは流石に少し恥ずかしいが」 このままだと、本当に穴が開きそうな気がする。日向は微妙に陽介の顔から目を反らし、ローテーブルの向かい側に座る。「悪いけど俺と居るときは諦めて。それ以外はほんっと我慢してるんで」「……皆と居るときもずっと隣を陣取ってた奴の言う台詞か?」 それで我慢しているなんて。じゃあそうしてなかったら、陽介はどんな行動を取ってるんだろう。 完二や直斗が時折何か言い足そうな顔をしていたのは、そのせいか。楽しんでいたんだろうが、内心何か言いたかったのかもしれない。 呆れる日向に「あれでもじゅーぶん我慢してたの!」と陽介は臆面もなく言った。ローテーブルから身を乗り出し、日向の両手を包み込むように握りしめる。「連休前に橿宮からメール来て、すごく嬉しかったんだぜ、俺。休みっても五日だろ。全然短いよ」 それに、と陽介はカレンダーに目を移す。「もしかしたら、二人きり、とかもうないかもしんないし。今のうちに充電しとかないと、ぜってー橿宮不足になる」 言い切られてしまい、日向は一瞬唖然となった。時たまこの男は自覚もなく、恥ずかしいことを言ってくれるので始末に悪い。 頬に朱をさし、日向は「面と向かって言うな」と口を尖らせた。大体二人きりと言っても、下には相変わらず花村家の世話になっているクマと日向と一緒に泊まりに来た菜々子がいるのに。下から聞こえる楽しそうな声は、いつ二階に上がってくるか知れない。「とりあえず、手。クマはともかく、菜々子が来てこれを見られたら、ちょっと説明に困るんだが……」 純粋な従姉妹を前に、うまくごまかせる気がしない。陽介の手に包まれたままの両手を軽く引くが、陽介は決して離してくれない。それどころか、うーん、とローテーブルを挟んだ今の体勢がしっくりこないらしい。片手を離したかと思うと、素早く膝を立てた状態で日向に近づき、隣へ落ち着いた。手は離れたが、それ以上に、べったりくっつきあう感じになってしまった。 腰に手を回し、身体を密着させる。へへ、と陽介は日向を見て、嬉しそうに笑った。「さっきみたいに向かい合って座るのも、お前にじっと見つめられるから好きだけど、やっぱりいちゃいちゃすんならこうだよな!」「……なんか陽介、俺があっちに帰ってから妙に甘えたがりになったよな」「まあな」「認めるのか、そこで」 多少は照れるか、と思っていた日向は淀みない即答に面食らう。しかし日向もさした抵抗はせず、力を抜いて陽介にもたれ掛かった。離れていた分、寂しかったのは同じだから。「菜々子が来たら、お前ちゃんとうまく言い訳しろよ」「そこらへんは抜かり無し。今アニメの映画見てるけど、あれのシリーズがまだまだあっから。寝る時間までクマと一緒にテレビに釘付け間違いないから」「……ちゃっかりしてるな」「そりゃどーも」 褒めていない。日向は思ったが、口には出さなかった。言っても、砂が吐けそうな台詞で返されそうだ。 腰に手を回された意趣返しに、日向は体重を預けるように身体を陽介へ凭れさせる。どうせ支えてくれるからいいだろう。「俺達もなんか見る?」 陽介が部屋に置いてあるテレビを見た。しかし日向は「いいよ」と首を振った。「音に紛れて、菜々子たちが来てもわからなくなりそうだし」 この状態では、ほとほと言い訳に困る。 それに。「テレビに集中したら、いちゃつけなくなるだろう」「それもそうだ」 あっさり肯定し、陽介はあいていた手を日向の頬に添える。そっと顔を寄せ「じゃあ、しばらく俺に橿宮補給させて」と近づける。 唇が触れる寸前、日向は自然と瞼を閉じる。なら俺も陽介補給させてもらおう。日向は自分からも身を乗り出し、腕を陽介の首に回した。 [0回]
室内デート ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 怠い。疲れた。 今ベッドに倒れたら、数秒でマジ寝れる。 もはや疲労と眠気は極限に達していた。バイトを終え、夜道を歩く陽介の足取りは、とても危なかっしい。瞼は重く、気を多少なり抜いてしまったらすぐ落ちてしまいそうだ。 もはや歩けるのすら奇跡に近い状態。陽介はそれほど疲れきっていた。眠い眠い、とひたすら頭のなかで呟き、帰路を行く。自分の息子だからって、あの親父は人使いが荒いんじゃないか。 人手が足りないから、と急なシフトを組まされ、一アルバイトにしては責任の重みが違う仕事をさせられ――それが数日続いて。だが父親も息子に酷な仕事をさせているのに罪悪感があったらしい。明日の日曜はまる一日休みにしてくれた。当たり前だ。もしこれで明日も仕事、なんて言われたらいい加減キレてる。 ジュネスから近い場所にある家に、陽介は時間を掛けてようやく帰った。おざなりに靴を脱ぎ捨て、自室に入る。 もう着替えるのすら億劫だった。メッセンジャーバッグを床に落とし、学ランを脱ぐ。ローテーブルに足をぶつけつつ、待ち望んでいたベッドに倒れ込んだ。 疲れ切った身体を受け止め、ベッドのスプリングがぎし、と軋む。みるみる意識が無意識の海に沈んで行くのが分かった。 だけど、完全に途切れてしまう前にやらなければならないことがある。陽介はズボンのポケットから携帯を取り出した。 明日の休み、久しぶりにデートしようと日向と約束している。朝一番に映画を見る予定を立てたので、早い時間に目覚ましをかけないと。 眠気で引っ付きそうな瞼を必死に持ち上げ、フリップを開く。メニュー画面から、アラームの設定画面まで進み――。 記憶はそこでぷっつりと、途絶えた。「……ん」 うるさく鳴る音が耳を刺激する。 陽介は瞼を閉じたまま手探りし、音の元である携帯を掴んだ。電源ボタンを押して音を切り、ベッドに投げ出す。せっかく人が気持ちよく寝てたのに。 陽介は傍らの毛布を引き寄せて抱きしめた。深く息を吐き出し身体の力を抜く。意識はまだまどろんで。もうちょっと眠っていたい。「………………」 また眠りかけた陽介はふと思った。そう言えば、俺、目覚まし何時にかけたっけ。そもそも、目覚ましセットしたか?「…………」 つーか、さっきの音って本当に目覚まし?「……」 陽介は携帯のフリップを開いた。重たい瞼を無理矢理こじ開け、まずアラーム設定画面を出す。「!?」 ――設定されてなかった。 ざっと血の気が下がり、さっきまで陽介を捕らえて離さなかった眠気が波のように引いていく。さっきの音はアラームじゃない。着信音なら、俺に電話をかけたのは。 画面に表示されている時刻を、恐る恐る確認する。 午前十時。日向と約束していた時間は、とっくに過ぎていた。「やっべ!」 抱きしめていた毛布を跳ね飛ばし、陽介は起き上がる隙さえ惜しんで、着歴を確かめる。違っていてほしいと思いながらも、ボタンを押す手が震えていた。 こう言う時の嫌な予感は当たってほしくないのに、よく当たる。 画面にしっかりはっきり残っている――橿宮日向の名前。やっちった、と陽介は俯せになって言葉にならない呻きを漏らした。待ちぼうけ喰らってる恋人からの連絡切るとか、なにヤバいフラグ立ててんの俺? せめてアラームをちゃんとセットするまで起きていられたら。後悔する陽介は、このまま消えてしまいたくなる。だけど、今はそれよりもしなきゃいけないことがある。 俯せていた身体を起こした。まずはとにかく電話。怒ってるに違いない橿宮に会って謝らなきゃ。 陽介は携帯を操作し、出しっぱなしにしている着歴から、日向の番号を表示した。一つ深呼吸をし、思い切って通話ボタンを押す。 耳に当てた携帯から聞こえる呼び出し音は中々途切れず、これは本気で怒らせたか、と青ざめる。せっかくのデート。最近滅多に出掛けなかったから楽しみだ、と言っていたのに。「……」 ようやく繋がったけど、向こうの声は聞こえない。無言の静けさが、日向の怒りを物語っているようだ。「か、橿宮! ゴメン!」 陽介は謝って頭を下げた。相手に見えてなくても、そうしなければいけない気持ちになっている。「謝ってすむ問題じゃないけど、ホントごめん! 今すぐそっち行くから――」「いい」 端的な返答。素っ気なさが混じった声音に、陽介は奈落へ突き落とされたような衝撃を受けた。不覚にも、涙が混みあがりそう。自業自得なのに。「橿宮――」「後ろ」「へ?」「後ろ、向いて」 後ろがなんなんだろう。不思議がりながら、言われるまま陽介が後ろを振り向いた。 ドアが開く。待ちぼうけ喰らわせてる筈の日向が、無遠慮に室内へ足を踏み入れた。真っすぐベッドに進み、陽介の前で止まる。 怒られる。つい後ずさる陽介を追いかけ、日向の手が伸びた。陽介の鼻を摘んで持ち上げ、その指先に力が篭る。「いって! ちょ、何!?」「これぐらいで済むんだから安いもんだろう」 男前が台なしだな。呟く声に、陽介は目を瞬かせる。 待ち合わせの場所で待ちぼうけを喰らっているとばかり思っていた日向が、目の前にいた。通話が繋がったまの携帯を切ってしまい、寝起きの陽介を見下ろしている。「お、おま……。何で?」「お前が起きる随分前から、俺は家にお邪魔させてもらっていたが」 陽介の鼻を摘んでいた指を離し、日向は呆然とする陽介の隣に腰を下ろした。二人分の重さに、ベッドが沈む。「おかしいと思ったんだ。遅れるなら遅れるって連絡を入れるはずなのに、今日に限ってない。携帯に電話しても出ないし――」「短時間でここまで来たのか?」 一方的に陽介が電話を切ったのは、つい数分前だ。待ち合わせ場所は八十稲羽駅。陽介の家からは鮫川を挟んだ向こう側で、どんなに急いでも十分はかかる。 日向は「そんな訳ない」と首を振った。「さっきの電話より前にも一度、俺は電話してるんだ。そうしたらいくら待っても繋がらないし。来てみれば陽介のお母さんがまだ陽介寝てるのよって言うし」「じゃあどうして起こしてくれなかったんだよ」「あんなに気持ちよさそうに寝てるのに、起こせるか」 鼻を摘んでいた手をまた持ち上げ、今度はくしゃりと跳ねた前髪を撫でられた。もう日向の表情に怒りはない。穏やかに口元を上げて、微笑んでいる。「疲れてるなら疲れているって言え」「だって二人ででかけんの久しぶりだって、橿宮言ってたし……」 約束をした時の笑顔が忘れられなくて、当日を陽介も楽しみにしていた。なのに……。 自分の失敗にしょげた陽介を「出かけるのはまた今度にしよう」と日向が告げた。「えっ?」「あんなに気持ち良く寝てるの見たら出かける気がなくなった。今日陽介は家で休め。寝ろ。今陽介に必要なのは睡眠だ」 前髪を撫でていた手に額を押し当てられ、そのままベッドに倒される。立ち上がって跳ね飛ばした毛布を拾い、寝かされた身体にかけられた。 陽介は肘を突いて、上体を軽く起こし日向を見た。「出掛けねーの? デートはどうすんだよ」「これも立派なデートじゃないか。室内デート」 確かにデートはデートだけど……。それじゃ楽しくないんじゃ。 不服そうに眉を寄せる陽介を「俺と二人きりじゃダメか?」と日向が首を傾げる。ちっくしょ、可愛く見えるのは俺の欲目か? 絆されるじゃねーか。「ダメじゃないけど……」 渋々白旗を上げた陽介に、日向はそれでよし、と笑ってみせた。ぽんぽん、と掛けた毛布の上から子供を寝かしつけるように身体を叩く。「とりあえず、もう少し寝とけ。そしたら、ご飯作るから一緒に食べよう」 優しい声に、消えかかっていた眠気がじわじわ陽介の意識を侵食する。やっぱ疲れてたんだ。今更のように認識した。「本当、ゴメン。今度はちゃんと……するから……」 途切れがちになる言葉を聞き、日向は頷く。 耳元で「分かったから、今はおやすみ」と日向の声が囁く。その声に誘われ、陽介は瞼を閉じ、眠りにつく。「俺はお前と居られるならなんだっていいんだけどな……」 意識が途切れる寸前。そんな日向の呟きが聞こえたような気がした。 [0回]
やくそく ペルソナ34Q小話 2013年04月29日 事件も解決し、霧も晴れた。冬の冷えた空気は身体を震わせても、久々の太陽から降り注いで出来た日だまりに留まると、じわりと暖かい。 そんな冬休み間近のある日曜、俺は橿宮の家へ遊びに行った。ちゃんと前もって連絡を取ったら、ついでに醤油とみりんと砂糖を買ってきてくれ、と頼まれた。俺はパシリか。さりげに重たいものばっかりだし。 それでも嫌だ、と言えない辺り、俺はほとほと橿宮の『お願い』に弱い。ジュネスで頼まれた物を買い、ずっしり重たいビニル袋を両手に目的地へ到着した。冬なのに、額にはじんわりと汗が滲む。 一旦、右手に持っていた袋を道路に置いて、インターホンを押す。すると、中から玄関に向かって足音が近づいてきた。「いらっしゃい」「うっす。てか、これ」 玄関を開けた橿宮に、俺は早々に頼まれた物を渡す。重たいものが入っていたせいで、ビニル袋の取っ手が食い込んでいた部分が赤くなっていた。これって、地味に痛いんだよな。「ありがとう。あがって」 礼を言った橿宮に招かれ、俺はさっそく家に上がる。通された居間では家事の途中らしい洗濯物が山となっている。菜々子ちゃんも堂島さんも入院している今、橿宮一人分にしては妙に量が多い。 その山をしゃがみこんで見ていると、「最近洗濯してなかったんだ」と決まり悪く橿宮が言葉を濁した。買った醤油やらを取り出して、ビニル袋を折り畳みながら「天気もあんな感じだったし」と続ける。 陽介は半分納得した。ほんの数日前まで、稲羽は霧に包まれていた。数メートル先が見えない外で洗濯物を干そう、など思う酔狂な人はいない。 でも、あそこまで洗濯物を貯めるほど、橿宮は物ぐさな人間じゃないことを俺は知っている。菜々子ちゃんの為にいつも清潔に、とシスコン上等のコイツはいつも気を遣ってた。 だけど、菜々子ちゃんが連れ去られた日から、アイツは。 感傷に浸りかけ、俺は暗い気持ちを払うように首を振った。もう全て終わってる。だからいつまでも引きずってちゃ駄目だ。「陽介」と橿宮が台所から戻ってきた。洗濯物のすぐ脇に正座して「これ畳んでしまうから。陽介はコタツにでもあたっててくれ」と俺に言う。 俺は言われた通り、スイッチが入っていたコタツに足を突っ込んだ。重い荷物を運んできたお陰で、コタツは熱いぐらいだ。手探りでコタツを弱くし、洗濯物を畳む橿宮を見つめる。 慣れたように橿宮の手は動き、堂島さんのシャツやら菜々子ちゃんのワンピースが、あっという間に綺麗に畳まれていく。ここに来る前から家事をしてたと言っているだけのことは十分にあった。 手際のよさに感心して見ていると、ふと橿宮の視線がこっちを向く。僅かに目を細められ「お前もやってみるか」と話をふられた。「えっ、オレ?」「やりたそうな顔してた」 ほら、と適当に引っ張り出したシャツを、橿宮が俺に向かって投げた。反射条件で手を伸ばし受け取ると、それは橿宮のカッターシャツだった。 受け取ってから言うのもなんだけど、俺は決してやりたいとは思ってない。ただ、見つめる俺の視線を都合よく解釈しただけだ。だけど、橿宮の中じゃもう俺がやるもんだと思ってるんだろう。拒否権などない。 コタツから出た俺は、橿宮に倣い、投げ渡されたシャツを畳の上に広げた。ちらちらと畳む様子を盗み見して、同じようにやってみるけど、なかなか上手くいかない。な、なんでだ? それでも畳み終えたそれを「こんなんでどうよ」と橿宮に見せた。俺としちゃ、良いほうだと思うけど。 橿宮は俺が畳んだシャツを一瞥し、一言。「五点」 ……点数低くね? 低いだろ、おい。 唖然とする俺に、橿宮はご丁寧にも「百点中の五点だから」と言い直してくださりやがりました。しかも左手をぱっと広げて見せて。 どうせ下手だよ俺は。わかりやすく機嫌が急降下した俺に、橿宮は「もうちょっとお母さんの手伝いすべきだったな」とため息を吐く。 言外にガッカリだと言われたような気がして、俺はますますむくれた。「えーえー、すいませんでしたねー! どーせ俺は橿宮みたいにうまく出来ねーよ!」 ふん、とそっぽを向く俺に「そこまで怒るか」と橿宮が呆れた声で言った。怒るわ、そりゃ。 しかし俺の怒りは次に橿宮が言った言葉で、たやすく吹き飛んだ。「これからのことを考えると、俺としては少しでも陽介にこういうこと覚えてほしいんだけどな」「……へ?」 これから? これからのことを考えるって? 俺は疑問詞を頭に浮かべながら、改めて橿宮を見た。 洗濯物を滑らかに畳む手はそのまま、橿宮は遠くに思いを馳せるような目をする。口から出る言葉はとても弾んでいた。「料理はまあ俺が受け持つとしても、たまには陽介の焼いた目玉焼きとか食べてみたいし。洗濯とか掃除とか、覚えて損はないだろう? だから分担可能なところはどんどん分けて助け合うべきだと思うんだけど」 語っているのは橿宮の言うこれからって――つまり俺とコイツが一緒に住んでいる時のことか? え、もしかして将来俺とお前が一緒に暮らすの、橿宮の中でもう決定事項なの? 実はずっと大学入ったら、一緒に暮らそう宣言のタイミングを測ってただけにすっごい驚きなんですけど。もしかして悩むだけ無駄だったとか、そんなオチかよ。 俺は身体の力が抜け、へなへなと上体を前に倒した。まずい。顔が熱い。今起き上がってこの顔見られんのは、すっげ恥ずかしい。 額が落ちた場所には、五点と言われたひどい畳みようのカッターシャツ。俺はそれを握りしめ、悶えた。この瞬間、俺の幸せは確定されたも同然だ。悪かった機嫌は一変、どんどん急上昇していく。「陽介?」 突然半分俯せになった俺を、思い描いてたんだろう未来予想図を語っていた橿宮が訝しげに呼んだ。髪の毛を、伸ばされた指先が柔らかく梳く。くすぐったくて、気持ちいい。 俺は頭を撫でる橿宮の手を掴み、身体を起こした。胼胝やら傷とか、ちょっとざらついてる手の平を指の腹で摩り、へへ、と口を緩ませた。 もちろん、一緒に暮らすには色々問題をクリアしていかなきゃならない。そもそも同じ大学に受かろうとするには、俺は猛勉強する必要がある。 でも橿宮にはそんな心配をする素振りはない。俺ならどうにかなるって信じてる。 相棒なら――その信頼に応えてナンボだろってもんだ。「じゃあ、色々頑張ってみる」 まだ一年とちょっとある。やれないことはないことは駆け抜けた月日が教えてくれた。「だからさ」 答えは分かっていても、俺はそろりと言葉を押し出すように言う。やっぱり、俺の口から言っておきたいのもあるから。「大学同じとこ行って、一緒に住もう?」 橿宮はその言葉を待ち望んでいたように笑うと、すぐに頷いた。「もちろんだ」 触れている手の平が閉じられる。そこから伝わる温もりは、コイツの名前通り、まるで日向みたいに温かかった。 [0回]